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論語と算盤⑧実業と士道: 6.ここにも能率増進法あり

われわれが始終──ことに私などは、それについて恥じ入って、諸君にも始終迷惑をかけるが、この物の切り盛りのつかぬために、無駄な時間を費やす。これがどうも事物の進むほど、注意せねばならぬことと思う。したがって、これが極端に行くと、能率が大変に悪くなる。能率の悪いということは、職工か何かにある語ですが、職工ばかりではない。通常の事務を処する人でも、チャンと時の決まりが充分付いて、この時間にこれだけの事をするということを、遅滞なく完全に遂げて行くことができると、いわば人を多分に使わぬでも、仕事はたくさんにできて来る。すなわち能率が宜くなる。事務においても、なおしかりと思う。自身にそう思うが、さらば日本の諸君が、私ばかりが悪くて他の方は寔にその権衡を得て、一日何時間働く。その働く時間は仕事に従事をしておる分量が、寔に完全に、時計の刻むがごとくやれ得るかというと、決してそうでない。あるいは、使わぬでも宜い人を大いに使い、一度で済むことを三度も人を走らせたり、そうして用は左まででない。費府(フィラデルフィア)でワナメーカーが私を接待してくれた。その時間の遣い方などを見て、ああ感心なものだ、なるほど、こうやると寔に少ない時間にチャンと多くのことができて、その日の仕事が完全に届くと思って、頗る敬服したのである。すでにテーラーという人が、こういう手数を省くことについて大いに説をなして、ある雑誌に池田藤四郎という人がこれを書いてある。能率を増進するという論であるが、私は初め工場の職工か何かについて言ったものとばかり思っていた所がそうでない。もう日々お互いの間に始終ある。ワナメーカーが私を待遇した有様を見ると、何も別に変わったことでもないが、丁度「ピッツブルグ」の汽車が五時四十分に費府に着く。着いたならば自働車を出しておく。六時までに私の店に来られるから、「ホテル」に寄らずにすぐ来てくれ。こういう案内であった。そこで指図通り費府に着くと宿にも寄らず、すぐ自働車で行くと、六時二分か三分に着いた。先生は店に待っておって、ただちに私を案内して、まず店の有様を一通り見せた。寔に目を驚かすような大きな店で、入口には大きな両国の国旗を建て、立派な華電灯を盛んに点じて、しかもその日に来た多数の客がまだ帰らずに待っておったから、何か大きな劇場の「ハネ」にでも出会ったような塩梅に群集をなしている。そこを主人が案内して連れて歩く。まず下の方の陳列場をズッと通りながら観て、それから「エレベーター」で二階へ上ると、まず第一に見せたのは料理場、すっかり掃除して綺麗になっていたが、これは上等の客の仕出しをする所、その次は普通の客の仕出しをする所、「コック」の有様はこうである。その次には秘密室といって、何か店のことについて秘密な協議をする所であるが、四、五千人の会議ができるというほどの広さである。それから教育をする場所、店の人にごく当用の教育を与える所、これらの諸所を見せた時間が、やがて一時間ぐらい。それが済んで七時頃に私が「ホテル」に帰る時に、ワナメーカーが「明朝は八時四十五分にお前を訪ねる。それなら朝餐は済むだろう」。──「済みます」。丁度翌朝の八時四十五分にキチンと来た。「これから大分長い話をして、正午頃まで話をして宜いか」、「宜しい」というからして、頻りに日曜学校に力を入れた理由は斯様である。一体お前の出身はどういう人であるというようなことから、段々談話が込み入って、ついそのために一時間も彼は余計、予期したよりも長き話をしたかと思う。「昼餐になるから私は帰る。二時に来るから、それまでに支度をして待っててくれ」。それからまた二時にキチンと来て、今度は日曜学校の会堂に案内される。その会堂は当人の建てたものか否かは知らないが、なかなか立派な会堂で、総体では二千人も入るという、大勢の会員がいる。いつもこの通りで、「別に貴方が来たから多くの人を集めたのではない」といっていた。牧師が聖書を講演し、それから讃美歌がある。それが終わるとワナメーカーが、私を紹介的の演説をした。それから私にも、日曜学校について感じたことを言えということで、私も演説をした。さらに、それに向かってワナメーカーが──この時には私も少し弱りました──「ぜひ孔子教を止めて基督教に宗旨変えをせよ」と直接談判を大勢の前で迫られた。これには私も返答に苦しんだ。それが終わると、すぐ隣の婦人の聖書研究会に行って演説し、次いで一、二丁隔った所の労働的種類の人が集まって、聖書を研究する所に行き、彼は「東洋からこういう老人が来たから、ぜひ握手したら宜かろう」といったので、四百人もいた残らずに、しかも向こうは労働者であるから、強く握られるので手が痛くなるくらいであった。やがて五時半頃になった。六時に立って田舎へ行かねばならぬ約束があるので、一緒に旅宿の前まで来て別れる時に、「ぜひもう一遍会いたいが、何とか途は無かろうか」という話、──「紐育にはいつ行く」。「三十日に行って来月四日まで滞在している」。「しからば私は二日に紐育に行く用事がある。その時もう一遍会おう」。「何時か」、「午後の三時には立ってこの地に帰らねばならぬ」。「しからば二時から三時までの間に、紐育の貴方の店に行こう」と約束し、二日の二時半、三時少し前ぐらい、少し遅くなってやり損なっては大いに困ると思い、大急ぎで行くと、すぐさま「お前よく来てくれた。これで満足だ」。「私も満足である」。「実はお前に御馳走はできぬから、書物を進げたい」といって、リンコルンの伝記、ゼネラル、グランドの伝記その他のものを与え、且つ簡単に両氏の崇高なる人格を語り、自分もグランド将軍歓迎委員長であったことなどを語り合ひて別れたが、その切り盛りに一つも無駄がない。話もまた適切である。私は実に敬服した。時間を無駄に使わぬこと、かくごとなれば、例の能率が如何にも増進するであろう。別にものを拵える訳ではないが、つまり、われわれが時間を空費してるのは、丁度物を製作する場合に手を空しくしてると同じことであるから、これはお互いに注意して人間を無駄に使わぬはもちろんのこと、われ自身をどうぞ無駄に使わぬように心掛けたいと思う。

渋沢栄一先生は、時間の効率的な使用の重要性について語っています。先生は自身の経験とワナメーカーの時間管理能力を例に挙げ、時間を無駄にしないことがいかに効率を高めるかを強調しています。能率の悪さは職工だけでなく、事務を処する人々にも当てはまると述べ、計画的に時間を割り当て、遅延なく完了させることの重要性を説いています。彼は、時間を無駄に使うことは、物を製造する際に手を空しくしているのと同じであると述べ、個人としても他人の時間も無駄にしないように心掛けるべきだと結論付けています。

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