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論語と算盤⑨教育と情誼: 3.偉人とその母

婦人はかの封建時代におけるがごとく、無教育にしてむしろ侮蔑的に取り扱っておけば宜しいであろう。それとも相当な教育を施し、修身斉家の道を教えねばならぬであろうか。これは言わずとも知れ切った問題で、教育は縦い女子だからとて、決して疎かにすることはできないのである。それについて余は、まず婦人の天職たる子供の育成ということに関して、少しく考慮してみる必要があろうと思う。
およそ婦人とその子供とは、如何なる関係を持っておるものであるかというに、これを統計的に研究してみれば、善良なる婦人の腹から善良なる子供が多く生まれ、優れた婦人の教育によって優秀な人材ができるものである。その最も適切な例はかの孟子の母のごとき、ワシントンの母のごとき、すなわちそれであるが、わが国においても、楠正行の母、中江藤樹の母のごとき、また皆賢母として人に知らるるものであった。近くは伊藤公、桂公の母堂のごときも賢母であったと聞いている。とにかく優秀の人材は、その家庭において賢明なる 母親に撫育された例は非常に多い。偉人の生まれ、賢哲の世に出づるは婦徳による所が多いということは、独り余一家の言ではないのである。してみれば、婦人を教育してその智能を啓発し婦徳を養成せしむるは、独り教育された婦人一人のためのみならず、間接には善良なる国民を養成する素因となる訳であるから、女子教育は決して忽諸に付すことができないものである、ということになるのである。しかり矣、女子教育の重んずべき所以はまだそれのみにては尽きない。余はさらに、女子教育の必要なる理由を次に述べてみようと思う。
明治以前の日本の女子教育は、専らその教育を支那思想に取ったものであった。しかるに、支那の女子に対する思想は消極的方針で、女子は貞操なれ、従順なれ、緻密なれ、優美なれ、忍耐なれと教えたが、かく精神的に教育することに重きを置いたにもかかわらず、智慧とか学問とか学理とかいう方面に向かっての智識については、奨めも教えもしなかった。幕府時代の日本の女子も、主としてこの思想の下に教育されたもので、具原益軒の『女大学』はその時代における、唯一最上の教科書であった。すなわち、智の方は一切閑却され、消極的に自己を慎むことばかり重きを置いたものである。しかして、そういう教育をされて来た婦人が今日の社会の大部分を占めている。明治時代になってから、女子教育も進歩したとはいえ、まだそれら教育を受けた婦人の勢力は微々たるもので、社会における婦人の実体は『女大学』以上に出づることのできぬものと言うも、あえて過言ではなかろうと思う。ゆえに今日の社会に婦人教育が盛んであるとはいっても、なおいまだ充分その効果を社会に認識せしむるには至らぬ。いわば女子教育の過渡期であるから、その道に携わる者はその可否をよく論 断し、講究しなくてはならぬではないか。況んや昔の「腹は借りもの」という様なことは口にすべからざる今日、また言ってはならぬ今日とすれば、女子は全く昔日のごとく侮蔑視、嘲弄視することは出来ないことと考えられる。
婦人に対する態度を耶蘇教的に論じて云々することは姑く別とするも、人間の真正なる道義心に訴えて、女子を道具視して善いものであろうか。人類社会において男子が重んずべきものとすれば、女子もやはり、社会を組織する上にその一半を負って立つ者だから、男子同様重んずべき者ではなかろうか。すでに支那の先哲も、「男女室におるは大倫なり」といってある。言うまでもなく、女子も社会の一員、国家の一分子である。果たして、しからば女子に対する旧来の侮蔑的観念を除去し、女子も男子同様、国民としての才能智徳を与え、俱にともに相助けて事をなさしめたならば、従来五千万の国民中、二千五百万人しか用をなさなかった者がさらに二千五百万人を活用せしめることとなるではないか。これ大いに婦人教育を興さねばならぬという根源論である。

本節では、女性教育の重要性を強調しています。渋沢先生は、封建時代の女性の無教育と侮蔑を批判し、教育による女性の能力開発の必要性を説いています。賢母からは賢い子どもが生まれ、優れた教育が優秀な人材を生み出すと述べ、歴史上の賢母の例を挙げています。また、女性教育の進展にもかかわらず、幕末の日本の女性教育は消極的で、精神教育に重点を置きながらも、知識や学問への教育は疎かにされていたと指摘しています。先生は、女性を社会の構成員として尊重し、男女平等の観点から女性教育の重要性を説き、女性を教育することが社会全体の利益につながると主張しています。

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