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論語と算盤②立志と学問: 6.大立志と小立志との調和

生まれながらの聖人なら知らぬこと、われわれ凡人は志を立てるに当たっても、とかく迷いやすいのが常である。あるいは眼前社会の風潮に動かされ、あるいは一時周囲の事情に制せられて、自分の本領でもない方面へ、うかうかと乗り出す者が多いようであるけれども、これでは真に志を立てた者とはいわれない。ことに今日のごとく、世の中が秩序立って来ては、ひとたび立てた志を中途から他に転ずるなどのことがあっては非常の不利益が伴うから、立志の当初最も慎重に意を用うるの必要がある。その工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、しかる後、自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずる所に向って志を定めるがよい。またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂(と)ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、例えば、身体も強壮、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立てても、これに資力が伴わなければ、思うようにやり遂げることは困難であるというようなこともあるから、これならばいずれから見ても、一生を貫いてやることができるという、確かな見込みの立った所で、初めてその方針を確定するがよい。しかるにさほどまでの熟慮考察を経ずして、一寸した世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
すでに根幹となるべき志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな立志について、日々工夫することが必要である。何人でも時々事物に接して起こる希望があろうが、それに対しどうかして、その希望を遂げたいという観念を抱くのも一種の立志で、余がいわゆる小さな立志とは、すなわちそれである。一例を挙げて説明すれば、某氏はある行いによって世間から尊敬されるようになったが、自分もどうかしてああいう風になりたいとの希望を起こすがごとき、これもまた一つの小立志である。しからば、この小立志に対しては如何なる工夫を廻らすべきかというに、まずその要件は、どこまでも一生を通じての大なる立志に悖らぬ(もとらぬ、そむかない)範囲において、工夫することが肝要である。また小なる立志はその性質上、常に変動遷移するものであるから、この変動や遷移によって、大なる立志を動かすことのないようにするだけの用意が必要である。つまり大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことがあってはならぬ。この両者は常に調和し一致するを要するものである。
以上述ぶる所は、主として立志の工夫であるが、古人は如何に立志をしたものであるか。参考として、孔子の立志について研究してみよう。
自分が平素処世上の規矩(きく、てほん)としておる論語を通じて孔子の立志を窺うに、「十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る云々」とある所より推測すれば、孔子は十五歳の時すでに、志を立てられたものと思われる。しかしながらその「学に志す」といわれたのは、学問をもって一生を過ごすつもりであるという志を固く定めたものかどうか、これは、やや疑問とする所で、ただこれから大いに学問しなければならぬというくらいに考えたものではなかろうか。さらに進んで「三十にして立つ」といわれたのは、この時すでに、世に立って行けるだけの人物となり、修身斉家(しゅうしんせいか、己の身を正し円満な家庭を築くこと)治国平天下の技倆(ぎりょう、手腕)ありと自信する境地に達せられたのであろう。なお「四十にして惑わず」とあるより想像すれば、ひとたび立てた志を持ちて世に処するに方り、外界の刺戟(しげき、刺激)ぐらいでは決してその志は動かされぬという境域に入って、どこまでも自信ある行動が執れるようになったというのであろうから、ここに到って立志が漸く(ようやく)実を結び、且つ固まってしまったということができるだろう。してみれば孔子の立志は、十五歳から三十歳の間にあったように思われる。学に志すといわれた頃は、まだ幾分志が動揺していたらしいが、三十歳に至って、やや決心のほどが見え、四十歳に及んで初めて立志が完成されたようである。
これを要するに、立志は人生という建築の骨子で、小立志はその修飾であるから、最初にそれらの組み合わせを確と考えてかからなければ、後日に至って折角の建築が半途で毀(こわ)れるようなことにならぬとも限らぬ。かくのごとく立志は、人生にとって大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することはできぬのである。立志の要はよくおのれを知り、身のほどを考え、それに応じて適当なる方針を決定する以外にないのである。誰もよくそのほどを計って進むように心掛くるならば、人生の行路において間違いの起こる筈は万々ないことと信ずる。

「立志の要はよくおのれを知り、身のほどを考え、それに応じて適当なる方針を決定する以外にない」とはその通りだと思う。自分が一生自信を持って続けていける志というものは、野球や将棋の世界であればほんの一握りの人間は若いうちから縁と才能を使って志を立てることができるかもしれないけれど、それら特殊な業界に縁や才能を持ち合わせていない我々凡人の場合、ある程度世間の風潮や周りから与えられる自分に対する評価をもとに、何が自らの志なのかを30代にしてやっと理解して、あきらめられるというのが真実だったりするものだろう。このように若いうちは自分の能力を探りながらがむしゃらにやって、やっと天命に気づくといった境地になれるだけでもかなりの幸運というべきかと思ったりする。

また本節には特に書かれてはいないが、おのれを知り、身のほどを考え、誠実に仕事にあたっていると、周りの人がよくみてくれているので、30や40ごろに周りの人たちの信頼を得て、やっと好きな仕事にあたることが可能になったりするものだなぁとしみじみ感じたりしている。

なにごとも焦ることなく、自分の得手不得手というのは周りがわからせてくれるものであったり、自ずとしみじみと感じられるようになるものなので、ゆっくりとそれを知っていくという作業が立志というこのなのかなぁと思う今日この頃であります。

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