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論語と算盤②立志と学問: 2.現在に働け

徳川時代の末路でも、因襲(いんしゅう、古い害のある風習)のしからしむる所、一般の商工業者に対する教育と武士教育とは、全く区別されておったのである。しかして武士は皆、修身斉家(しゅうしんせいか、己の身を正し、円満な家庭を築くこと)を本として、ただ自己一身を修めるのみではなく、他をも治めるという主義で、すべて経世済民を主眼としておった。農工の教育は、他人を治め国家をどうするかというような考えを持たせる教育ではなく、至って卑近(ひきん、ありふれた高尚ではないもの)な教育であった。当時の人は、武士的教育を受ける人はまことに少ないので、すべて教育はいわゆる寺子屋式のもので、寺の和尚さんか、または富豪の老人などが教育してくれたものである。農工商はほとんど国内だけのもので、海外などには毫(ごう、少し)も関係がなかったものであるから、農工商の人には低級な教育で足りたのである。しかして主なる商品は幕府及び藩が運送、販売等の機軸を握っておったので、農工商民の関係する所は実に狭いものであった。当時のいわゆる平民は、一種の道具であった。甚だしいのは武士は無礼打、切捨御免という惨酷な野蛮極まる行為を平気でやっておったものである。
この有様が追々、嘉永安政(かえい、あんせい。1848~1855、1855~1860年)頃には、自然に一般の空気に変遷を起こして、経世済民の学問を受けた武士は、尊王攘夷を唱えて遂に維新の大改革をなしたのである。
私は維新後、間もなく大蔵省の役人となったが、この当時は日本には物質的、科学的教育は、ほとんど無いといってもよいくらいであった。武士的教育には、種々高尚なものがあったが、農工商にはほとんど学問はなかった。のみならず、普通の教育のことを論じても低級で、多くは政治教育という風で、海外交通が開けても、それに対する智識というものが無かったのである。いかに国を富まそうと思っても、それに対する智識などはさらにない。一つ橋の高等商業学校は明治七年にできたものであるが、いくたびか廃校せられんとしたのである。これはすなわち当時の人が、商人などに高い智識などは要らないと思っておったためである。私などは海外に交通するには、どうしても科学的智識が必要であるということを、声を嗄らして叫んだが、幸いにも追々その機運が起こって、明治十七、八年にはこうした傾向が盛んになって間もなく、才学倶に備わった人が輩出するに至ったのである。それから以後、今日まで僅か三、四十年の短い年月に、日本も外国には劣らないくらい物質的文明が進歩したが、その間にまた大なる弊害を生じたのである。徳川三百年間を太平ならしめた武断政治も、弊害を他に及ぼしたことは明らかであるが、またこの時代に教育された武士の中には、高尚遠大(こうしょうえんだい、気高く立派で遠い将来まで見通し、規模の大きいさま)な性行の人も少なくはなかったのであるが、今日の人にはそれがない。富は積み重なっても、哀しいかな武士道とか、あるいは仁義道徳というものが、地を払っておるといってよいと思う。すなわち、精神教育が全く衰えて来ると思うのである。
われわれも明治六年頃から、物質的文明に微弱ながらも全力を注ぎ、今日では幸いにも有力な実業家を全国到る処に見るようになり、国の富も非常に増したけれども、爰んぞ(いずくんぞ)知らん、人格は維新前よりは退歩したと思う。否、退歩どころではない。消滅せぬかと心配しておるのである。ゆえに物質的文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。
私は常に精神の向上を富とともに、進めることが必要であると信じておる。人はこの点から考えて強い信仰を持たねばならぬ。私は農家に生まれたから教育も低かったが、幸いにも漢学を修めることができたので、これより一種の信仰を得たのである。私は極楽も地獄も心に掛けない。ただ現在において正しいことを行なったならば、人として立派なものであると信じているのである。

本書が書かれた渋沢先生の晩年である明治の初期と現代とでは甚だ文化も科学技術も違うけれども、人としての人格や精神の豊かさの基準に関しては本質的には変わっていないのではないかと思う。

前述で情操と道理について述べられた節がありましたが、現代社会ではのしかかる課題が重すぎるのか、頭でっかちになりすぎているのか、いたるところに負の感情が蔓延していて、環境問題や公衆衛生に関する国家的な議論から行政、マスコミ報道から週刊誌的なネタに至るまで感情にまかせた発言や解釈がまかり通っていて、常識的で平均的な人類の平穏で冷静な判断が失われているように思えます。

本節にあるように、武士道とか仁義道徳に立ち戻れとまでは言わないまでも、人としての常識は胸に手を当ててみたら自ずとわかるものだと思うので、もう少し世の中落ち着いて行き過ぎた左翼的な考え方というものはやめにしたらどうかと思う今日このごろです。

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