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論語と算盤⑦算盤と権利: 3.ただ王道あるのみ

おもうに社会問題とか労働問題等のごときは、単に法律の力ばかりをもって解決されるものではない。例えば一家族内にても、父子、兄弟、眷属(けんぞく)に至るまで各々、権利義務を主張して、一も二も法律の裁断を仰がんとすれば、人情は自ずから険悪となり、障壁はその間に築かれて、事毎に角突き合いの沙汰のみを演じ、一家の和合団欒はほとんど望まれぬこととなるであろう。余は富豪と貧民との関係も、またそれと等しきものがあろうと思う。かの資本家と労働者との間は、従来家族的の関係をもって成立し来ったものであったが、にわかに法を制定して、これのみをもって取り締まろうとするようにしたのは、一応もっともなる思い立ちではあろうけれども、これが実施の結果、果たして当局の理想通りに行くであろうか。多年の関係によって資本家と労働者との間に、折角結ばれた所の言うに言われぬ一種の情愛も、法を設けて両者の権利義務を明らかに主張するようになれば、勢い疎隔さるるに至りはすまいか。それでは為政者側が骨折った甲斐もなく、また目的にも反する次第であろうから、ここは一番深く研究しなければならぬ所であろうと思う。

試みに余の希望を述ぶれば、法の制定はもとよりよいが、法が制定されておるからといって、一も二もなくそれに裁断を仰ぐということは、なるべくせぬようにしたい。もしそれ富豪も貧民も王道をもって立ち、王道はすなわち人間行為の定規であるという考えをもって世に処すならば、百の法文、千の規則あるよりも遥かに勝ったことと思う。換言すれば、資本家は王道をもって労働者に対し、労働者もまた王道をもって資本家に対し、その関係しつつある事業の利害得失は、すなわち両者に共通なる所以を悟り、相互に同情をもって始終するの心掛けありてこそ、初めて真の調和を得らるるのである。果たして両者がこうなってしまえば、権利義務の観念のごときは、いたずらに両者の感情を疎隔せしむる外、ほとんどなんらの効果なきものと言って宜かろう。余が往年欧米漫遊の際、実見した独逸の「クルップ」会社のごとき、また米国「ボストン」附近の「ウォルサム」時計会社のごとき、その組織が極めて家族的であって、両者の間に和気靄然たるを見て、頗る嘆称を禁じ得なかった。これぞ余がいわゆる王道の円熟したるもので、こうなれば法の制定をして、幸いに空文に終わらしむるものである。果たしてかくのごとくなるを得ば、労働問題もなんら意に介するに足らぬではないか。

しかるに、社会にはこれらの点に深い注意も払わず、みだりに貧富の懸隔を強制的に引き直さんと、希(こいねが)う者がないでもないけれども、貧富の懸隔はその程度においてこそ相違はあれ、いつの世、如何なる時代にも、必ず存在しないという訳には行かぬものである。もちろん国民の全部が、悉(ことごと)く富豪になることは望ましいことではあるが、人に賢不肖の別、能不能の差があって、誰も彼も一様に富まんとするがごときは望むべからざる処、したがって富の分配平均などとは思いも寄らぬ空想である。要するに、富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人が挙って富者を排儕(はいせい)するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることができようぞ。個人の富は、すなわち国家の富である。個人が富まんと欲するに非ずして、如何でか国家の富を得べき、国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が、日夜勉励するのである。その結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成り行きであって、人間社会に免るべからざる約束とみて諦めるより外、仕方がない。とはいえ、常にその間の関係を円満ならしめ、両者の調和を図ることに意を用うることは、識者の一日も欠くべからざる覚悟である。これを自然の成り行き、人間社会の約束だからと、そのなるままに打ち棄ておくならば、遂に由々しき大事を惹起するに至るは、また自然の結果である。ゆえに禍を未萌に防ぐの手段に出で、宜しく王道の振興に意を致されんことを切望する次第である。

渋沢先生は社会問題や労働問題が法律だけで解決できるものではないと指摘します。家族内の権利と義務の主張が人情を険悪にし和合を損ねるように、資本家と労働者の関係も同じで、法律に頼ることで情愛が薄れ、益々へだたりが生じる恐れがあると論じます。彼は王道をもって互いに対処することで、真の調和が得られると信じており、富の分配は自然の成り行きであり、人々はその間の円滑な関係に努めるべきだと主張しています。

一般的に「王道」とは中国の古典に由来する概念で、特に儒教の文脈で理想的な統治や行動の原則を指すようです。この文脈での「王道」は、正義、公正、共感、および相互理解に基づいた倫理的な行動の道を意味していると考えられます。渋沢先生が述べているのは、社会の各成員が単に法律に頼るのではなく、高い道徳規範に従って行動し、社会全体の調和と福祉を促進するべきだということです。資本家と労働者の関係においても、法律による規制よりも、相互の尊重と公正な取引によって真の調和が達成されるということです。

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