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論語と算盤⑩成敗と運命: 4.湖畔の感慨

大正三年の春、支那旅行の途上、上海に着いたのは五月六日であったが、その翌日は鉄道で杭州に行った。杭州には西湖という有名な景勝の湖水があり、その辺に岳飛の石碑がある。その碑から四、五間ほど離れた処に、当時の権臣、秦檜の鉄像があって相対しておる。岳飛は宋末の名将で、当時宋と金との間にはしばしば戦いがあって、金のために宋は燕京を略取せられ、南宋と称して南方に偏在した。岳飛は朝命を奉じて出征し、金の大軍を破って、将に燕京を恢復しようとしたのであるが、奸臣、秦檜は、金の賄賂を納れて岳飛を召還した。岳飛その奸を知って、「臣が十年の功一日にして廃る、臣職に称わざるにあらず。実に秦檜、君を誤るなる」と言ったが、彼は遂に讒によりて殺された。この誠忠なる岳飛と奸佞なる秦檜とは、今数歩を隔てて相対しておるのだ。如何にも皮肉ではあるが、対象また妙である。今日岳飛の碑を覧に行った人々は、ほとんど慣例のように、岳飛の碑に対って涙を濺ぐとともに、秦檜の像に放尿して帰るとのことである。死後において忠好判然たるは実に痛快である。
今日、支那人中にも岳飛のような人もあろう。また秦檜に似たる人がないとも言われぬけれども、岳飛の碑を拝して、秦檜の像に放尿するというのは、これ実に孟子のいわゆる「人性善」なるに、よるのではあるまいか。天に通ずる赤誠は、深く人心に沁み込んで、千載の下、なおその徳をし慕わしむるのである。これをもっても人の成敗というものは、蓋棺の後に非ざれば得て知ることができない。わが国における楠正成と足利尊氏も、菅原道真と藤原時平も、皆しかりというべきである。この碑を覧るに及んで、感慨ことに深きを覚えた。

本節では、渋沢先生が春の大正三年に中国旅行中、上海から杭州へ行き、西湖と岳飛の石碑を訪れた時に感じたことを語っています。岳飛は宋末の名将で、金に抵抗したが、奸臣秦檜に裏切られ処刑されました。しかし、現在彼の碑と秦檜の鉄像は数歩離れて対峙している。訪れる人々は岳飛に敬意を払い、秦檜に軽蔑の意を示すといいます。このことは、人の善悪が死後も評価されることを示している証だと先生はおっしゃっています。

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