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論語と算盤⑧実業と士道: 5.模倣時代に別れよ

度々識者が力説する通り、わが国民の思想には忌むべき弊習がある。それはすなわち外国品偏重の悪風である。外国品だからとて別段排斥する必要がないように、これを偏重するのあまり、内地品を卑下する理由もない筈である。しかるに舶来品といえばすべて優秀なものばかりとの観念が、深く国民の上下に普及しておるのは、誠に慨嘆に堪えない。もっとも日本の文明は最近の発達で、しかも欧米諸国からの移殖に負う所が頗る多いために、かつては 欧化主義の流行に苦しみ、今もなおその余弊として、この舶来品愛重の勢いをなしておることと思われるけれども、維新以来早くも半世紀になろうとする今日、且つまた東洋の盟主、世界の一等国をもって任じておる今日の日本国たるもの、いつまで欧米心酔の夢を見ておる のであろう。いつまで自国軽蔑の不見識をあえてするつもりであろう。実に意気地のない話である。外国の「レッテル」が貼ってあるから、この石鹸は宜いぞと威かされたり、外国品だからこの「ウイスキー」を飲まなければ、時勢後れの人間に見られると怖れるようで、それで独立国の権威と大国民の襟度が、どうして保たれて行かれよう。私は実に、国民の大自覚を望むのである。われわれは今日ただ今心酔の時代と袂別せねばならぬ。模倣の時代から去って、自発自得の域に入らねばならぬ。
有無相通は経済の原則とはいうものの、私はいたずらに排外思想を鼓吹するものではない。物に一得一失は、ややもすれば伴うもので、先年戊申詔書を降された時も、これを極端非理な消極主義に穿き違えた人々が多く、当路者が御大旨の徹底に悩まされたことがある。この国産奨励の宣伝をも、極端な消極主義、排外主義と取られては、独り発起人等の迷惑なるのみならず、延いては国家の大損失を招く虞がある。有無相通ずとは、数千年前から道破された経済上の原則で、この大原則に反して経済の発展は企図せられる筈がない。一県にして佐渡からは金を産し、越後からは米を産する。一国にすれば、台湾からは砂糖が出るし、関東地方からは生糸が出る。さらに国際間に拡大してみると、亜米利加の小麦、印度の綿花の如く、それぞれ地勢によってその産物を異にするのであるから、われわれはかの小麦粉を食し、かの綿花を購い、そして我は生糸、綿糸を売って行くべきである。この点は特に注意して、わが国に適する物を作り、適せない物を仕入れることを過らぬようにせねばならぬ。
次に、われわれは奨励会の事業を選択しておく必要がある。奨励はその声ばかりでも効益は少ないが、折角、会組織にしたのであるから、ぜひ目的を貫徹するために実際の事業に着手し、範を天下に示すべきである。目下の所では会報を発行する以外、具体的に決定したものはないが、規則書にもある通り、今後は国産の調査研究、共進会の開催、講和会の開催、商品陳列場の完備、一般の質疑応答、輸出奨励策等を実施して行くのである。特に研究所の設立、産業上の注意、市場または製品の紹介、試験分析、証明の依頼に応ずることなどは、裨益する所、大なるものがあろうと思う。しかして事業の成否は、一つに係って各人の双肩にあるのだから、お互いにこの会の発展と利用とに力を注がねばならぬ。
最後に当局者に一言しておきたいことは、奨励は大いにこれを努めねばならぬが、不自然不相応の奨励を行なえば、終に無理ができる。親切なやり方も、かえって不親切な結果となり、保護したつもりが、干渉束縛となる。ことに商品の試験及び紹介をする際には、私利私情を離れて一つに邦家のためを念い、公平と親切とを忘れざらんことを切望しておく。さらにまた、日本品使用の機運が動いたのを奇貨として、詰まらぬ物を粗製濫造し、忠良なる国民を欺瞞し、一時の私腹を肥やさんと試むる商売人もあろう。かくのごときもまた、国産の発達を阻害すること尠少でないから、相警めてかかる不逞漢の輩出を防がねばならぬのである。

渋沢栄一先生は、日本人が外国製品に過度に傾倒し、国産品を軽視する風潮を批判しています。先生は、欧化主義の影響と自国製品への不当な見下しが問題だと指摘し、日本が世界の一等国として自立し、独自の発展を遂げるべきだと主張します。また、経済の原則として「有無相通」(相互依存)を認めつつ、極端な消極主義や排外主義を避け、適切な国産品の推奨と国際協力を重視するべきだと述べています。彼は国民の自覚を促し、模倣から自発的な発展への転換を呼びかけ、国産品奨励のための具体的な活動と公平な評価の必要性を訴えています。

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