渋沢栄一先生は、当初の全欧事変(第一次世界大戦のこと)に関する予測が間違っていたと認め、その理由が予想以上の暴虐さにあったことを指摘しています。また、文明世界で起こったこの予想外の出来事に対し、冷笑を禁じ得ないと述べています。事変の結果について予言することは難しいが、結局は力の均衡または一方の衰退によって解決されると考えられるので、この事変は商工業の勢力図にも影響を与えることに注意を喚起し、将来の商工業家はこれに対応するための準備が必要だと強調しています。さらに、自国の商工業発展には海外市場の開拓や領土拡大が不可欠であり、これが欧州列強の動きにも影響していることを指摘しています。日本の現状については、商工業が不統一なことによる影響を受けているが、回復は可能であり、青年はこの機会を活用し、特に中国との関係強化に注力すべきだと説いています。
第一次世界大戦中、日本は連合国の一員としてドイツに宣戦布告し、青島などドイツの植民地を占領しました。この戦略は、日本が国際舞台での自己の地位を高め、自国の安全と経済的利益を確保するためのものでした。
しかし、渋沢栄一先生の主張は、単に軍事的拡張や領土獲得に焦点を当てるのではなく、経済的な発展と相互依存を重視していたようです。先生は、日本が中国との関係を強化し、経済的な協力を深めることで、両国の発展に貢献することを望んでいたと考えられます。そのため、先生の視点は、単なる領土拡張よりもむしろ、経済的相互利益と長期的な安定に重点を置いていたと思われます。
渋沢栄一先生の考え方は、日本がアジアにおけるリーダーシップをとるべきだという意見とも関連しており、これは先生の「アジア主義」の概念に影響を与えたとも考えられます。先生は、日本とアジア諸国が経済的に協力し合うことで、相互の発展と繁栄を実現するべきだと考えていたものと推測されます。