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論語と算盤⑧実業と士道: 2.文明人の食戻

全欧の事変について、はじめ私の予想は全く外れた。すでにその観察を誤った私は、将来もまた見込み違いをするであろうと恐懼している。しかしながら私の観察の誤った所以は、私の予想以上に暴虐の人があったからである。いわゆる「一人貪戻なれば、一国乱を作す」という古訓が、事実として全欧州に現れて来たからである。文明の世には有り得べからざるものとの想像が、過誤の観察となったのである。果たしてしからば、私の智の到らざりしがためでもあろうが、私はかえって文明人の貪戻なる結果ではなかろうかと、冷笑せざるを得ないのである。
 この事変の終局は如何になるであろうか。私のごとき近眼者流には、予言することはできないけれども、結局は列強並び相疲るるか、あるいは一方の威力が衰えて、その極ある条件の下に終局を見るであろうか。歴史家は、百年を経ると地図の色が変わると言っているが、われわれはまたこれによって、商工業の勢力の移りゆく様を見ねばならぬ。将来の商工業は如何に変化するであろうか。その変化について、われわれは如何なる覚悟をもって、これに応ずべきであろうか。われわれの考慮すべき所、用意すべき点はつまりここにあるのだ。私は政治上、もしくは軍事上について述ぶることを好まぬ。またその智識をも持たぬのである。ゆえに今私の言わんと欲する所は、単に商工業に関する方面に限らるるのであるが、今後地図の変化に伴う商工業勢力範囲の変化について、適切なる準備と実行の責任とは、未来の当事者にあるのである。しかして、この未来の当事者なるものは、現時の青年を除いて外にない。青年たる者は今日よりして審思熟慮、これに対する策を講ずべきである。
 いずれの国家においても、自国の商工業を発達せしめんとするには、海外にわが国産の販路を求め、人口の増殖するにおいては、領土を拡むることを講ずるのみならず、様々なる策略をもって自己の勢力の増大を図るのである。現に欧州列強が、五大州に雄飛している所以は、全くこれらの事情によるものであって、優越なる位置を占むるものは、将に優越なる国家と称せらるるのである。かの独逸皇帝、今回の行動のごとき、この点より企図せられたるものであると思われる。従来、皇帝が内地の殖産に海外の殖民に留意せらるることは容易ならざるものにて、もしも少しくその点について注意するならば、何人といえども、皇帝が何ゆえにかくまで仔細に、心を労せられるかということを感ぜずにはおられまい。例えば、英仏に対する商工業の競争はもちろん、日露戦後、日本雑貨が各地に歓迎さるるを見れば、ただちにこれを模造する。総じて学術技芸には、能う限りの保護と便利とを与え、商工業は常に政治兵備と相聯絡し、中央銀行のごときも力を尽くして、商工業の便宜、資金の融通を計るというように、如何に彼ら上下一致して富国に従事しているかが窺知し得られる。またその学問においても、化学、発明、技術、精妙、実に行き届くことは一通りではない。それは今回の戦乱のために、遠きわが国のごときをして、薬品染料等の欠乏に窮せしめたる事実にみるも、かの国の力が世界の隅々まで及んでいることが分かる。ゆえに自国の拡大のみを企図する貪戻心は、実に厭うべきであるが、官民一致その国の富強をつとむるの努力は感服の外はないのである。
 翻ってわが国の商工業を見るに、多くは不統一にして振るわず、ことに戦乱の影響を受け、生糸の値は下落し、綿糸綿布の販路は渋滞し、総じて取引は萎靡し、有価証券の価は下落し、新たなる事業は起こらざるの状態にある。しかし早晩これら恢復することも予想に難くないのであるから、この際、一時の困難は堪えがたくとも、当業者は大いに勇気を起こさねばならぬ所である。また一方にはこの事変は大いに乗せざるべからざる好時機と思う。今日わが実業家は、目前の不景気に畏縮するようであるけれども、それは甚だ無気力の行為である。ただその着目を誤らぬようにして、戦中充分なる研究を積み、漸次実物の効果のあるように、努めて行きたいのである。ことに支那に対する商工業のごときは、境は接近しおる。人情風俗ともに欧米人に比すれば、縁故最も深いのである。しかるに、その関係においては、往々にして他列強に比して、大いに遜色あるは、実に心細い極みである。吾人はすべからく進んで支那の富源を開発し、その産業を進め、その販路を拡めて、通商上の利益を増加するように心掛けねばならぬ。わが国民の今日まで支那に対する商工業経営の態度を見るに、とかく個々別々であって、その間に少しも聯絡がない。独逸の政治経済機関が統一して密接な関係を保っておるのを見るにつけても、わが国民がこの歴史的においても、はた人種的においても、幾多の便宜を有する国柄なるに関わらず、彼らの後えに瞠若たるようではならぬ。しかしてこの覚悟は、特にわが青年に対して最も望ましき所である。どうか今日の青年諸氏は、かかる所に注目して力を入れて貰いたいのである。

渋沢栄一先生は、当初の全欧事変(第一次世界大戦のこと)に関する予測が間違っていたと認め、その理由が予想以上の暴虐さにあったことを指摘しています。また、文明世界で起こったこの予想外の出来事に対し、冷笑を禁じ得ないと述べています。事変の結果について予言することは難しいが、結局は力の均衡または一方の衰退によって解決されると考えられるので、この事変は商工業の勢力図にも影響を与えることに注意を喚起し、将来の商工業家はこれに対応するための準備が必要だと強調しています。さらに、自国の商工業発展には海外市場の開拓や領土拡大が不可欠であり、これが欧州列強の動きにも影響していることを指摘しています。日本の現状については、商工業が不統一なことによる影響を受けているが、回復は可能であり、青年はこの機会を活用し、特に中国との関係強化に注力すべきだと説いています。

第一次世界大戦中、日本は連合国の一員としてドイツに宣戦布告し、青島などドイツの植民地を占領しました。この戦略は、日本が国際舞台での自己の地位を高め、自国の安全と経済的利益を確保するためのものでした。

しかし、渋沢栄一先生の主張は、単に軍事的拡張や領土獲得に焦点を当てるのではなく、経済的な発展と相互依存を重視していたようです。先生は、日本が中国との関係を強化し、経済的な協力を深めることで、両国の発展に貢献することを望んでいたと考えられます。そのため、先生の視点は、単なる領土拡張よりもむしろ、経済的相互利益と長期的な安定に重点を置いていたと思われます。

渋沢栄一先生の考え方は、日本がアジアにおけるリーダーシップをとるべきだという意見とも関連しており、これは先生の「アジア主義」の概念に影響を与えたとも考えられます。先生は、日本とアジア諸国が経済的に協力し合うことで、相互の発展と繁栄を実現するべきだと考えていたものと推測されます。

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