常識とは、善悪を意識し、自己や身内の損得に走らず、自分の考えに固執することなく中庸であることだと本節では述べています。人間の心を「智、情、意」に分けるとするとそれらのバランスが整っている状態が常識的でよいと説いています。
私も職業柄Z世代とよばれる若者の面接などを行うことがあるのですが、みんな「世のため人のためになりたい」と口々に言うのであります。僕なんかはちょうど就職氷河期世代かつロスジェネ世代なので、世のため人のためばかり言っていては生きていけないという感覚で今の若者たちの人の良さを感心して見ているのですが、いろいろ聞いてみると「智」に欠けているなぁと感じるわけです。というのも、実際具体的なものごとに取り組ませると、メンタル(情)が先に来て、こんなこと難しくてできるわけない、と言うわけです。難しいと判断できる子はまだよくて、頭空っぽな感じで不動を貫く若者もいます。ようは、成功体験を持たないネガティブな情が先にきて、それに対する智も持たないため、今の状況をどう判断していいかわからないわけですね。このような若者はどうなるかというと、我々ロスジェネ世代のほんと悪賢い大人に簡単に騙されて搾取される、ということが結構おきているように見えます。ロスジェネ世代は団塊世代の子供たちなので人数も多く、ゆとり世代や2000年以降生まれのZ世代は人数で勝てないといった傾向もあるようです(ダウンタウンが作ったお笑い芸人カースト制をみるとよくわかりますよね)。
そのような課題意識から、地方大学の先生をやらせていただいている身としては、バランスのとれた「情操」教育とあまり難しくはないけど本質を忘れない「智」を、デザインやITシステムという文脈で教えていけたらなと思っています。