本節では、明治36年のサンフランシスコでの学童問題が触れられ、日米関係の悪化傾向が指摘されています。渋沢先生は、アメリカ人の日本人に対する偏見が高まり、特に「日本人泳ぐべからず」という事件が進展したことを憂慮しました。彼は在米日本人会の設立を提案し、日本とアメリカ間の誤解を解消し、友好関係を築くことを目指しました。さらに、渋沢先生は、日本人移民の行動を改善し、互いの文化への適応を促進することが必要と強調し、文明国としてのアメリカの行動に反する差別的な扱いに疑問を投げかけ、日米両国の友好と平等な関係の重要性を訴えたそうです。