東洋には物質は卑しいもので精神の持ちようが尊いものであるといった考えがあるが、会社や地域の親睦会などで仲間との関係を深める場合にでさえ、金が助けになるわけで尊いものである。もっとも金そのものに心や精神があるわけではないので、それがうまく使われるか下手に使用されるかは使用者次第なわけです。
お金というのは人間社会が生み出したコミュニケーションツールなわけなので、その使われ方や配分方法は、社会や共同体、さらにはヒト個人にとってどういう状態が正しく科学的に幸福であるかを考えて答えを出すべきだと思います。
最近読み返した養老孟司先生の「バカの壁」の最終章「一元論を超えて」には、本来実体経済として生み出され利用される価値が金であったものが、金=価値といった原理主義的な価値観が蔓延して偽物の経済に洗脳されている様が説明されています。本来日本は八百万の神の国なのだから、原理主義的に金にこだわるのでなく、人としての多元的な幸せの形をもっと大切にしていく文化を取り戻すことに努力しなければと思いますね。