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論語と算盤③常識と習慣: 9.人生は努力にあり

予は本年(大正二年)、最早七十四歳の老人である。それゆえ数年来、なるべく雑務を避ける方針を取っているが、ただし全然閑散の身となることが出来ず、まだ自分の立てた銀行だけは依然、その世話をしているという次第で、老いてもやはり活動しておるのである。すべて人は、老年となく青年となく、勉強の心を失ってしまえば、その人は到底進歩発達するものではない。同時にそれらの不勉強なる国民によって営まるる国家は、到底繁栄発達するものではない。予は平生、自ら勉強家のつもりでいるが、実際一日といえども職務を怠るということをせぬ。毎朝七時少し前に起床して、来訪者に面会するように努めている。いかに多数でも時間の許す限り、たいていは面会することにしている。
予の如き七十歳以上の老境に入っても、なお且つ、かくのごとく怠ることをせぬのであるから、若い人々は大いに勉強して貰わねばならぬ。怠惰はどこまでも怠惰に終わるものであって、決して怠惰から好結果が生まれることは断じてない。すなわち、座っていれば立ち働くより楽なようであるが、久しきに亘ると膝が痛んで来る。それで寝転ぶと楽であろうと思うが、これも久しきに亘ると腰が痛み出す。怠惰の結果はやはり怠惰で、それが益々甚だしくなるくらいが落ちである。ゆえに、人は良き習慣を造らねばならぬ。すなわち、勤務努力の習慣を得るようにせねばならぬ。
世人はよく智力を進めねばならぬとか、時勢を解せねばならぬとかいうが、なるほどこれは必要なことで、時を知り事を撰む(えらむ、吟味する)上には、智力を進めること、すなわち、学問を修むる必要がある。とは言うものの、智力いかに充分ではあっても、これを働かさねば何の役にも立たない。そこで、これを働かせるということは、すなわち勉強してこれを行なうことであって、この勉強が伴わぬと、百千の智もなんら活用をなさぬ。しかしてその勉強も、ただ一時の勉強では充分でない。終身勉強して、初めて満足するものである。およそ勉強心の強いほど、国力が発展している。これに反して、怠惰国ほどその国は衰弱している。現にわが隣国支那などは、いわゆる不勉強の好適例であるゆえに、一人勉強して一郷その美風に薫(くん)じ、一郷勉強して一国その美風に化し、一国勉強して天下靡然(びぜん、ある勢力になびき従うさま)としてこれにならうというように、各自はただに一人のためのみでなく、一郷一国ないし天下のために、充分勉強の心掛けが大切である。
人の世に成功するの要素として、智の必要なること。すなわち学問の必要なることはもちろんであるが、それのみをもって、ただちに成功し得るものと思うは大なる誤解である。論語に、「子路曰く、民人あり、社稷(しゃしょく、国家)あり。なんぞ必ずしも書を読みて、しかる後に学ぶとせん」とある。これは、孔子の門人の子路の言である。すると孔子は、「このゆえに夫の佞者(口先巧みにへつらう、心の邪な人)を悪む」と応えられた。この意は、「口ばかりで、事実行なわれなくては駄目である」ということである。予はこの子路の言を善しと思っている。されば、机上の読書のみを学問と思うのは甚だ不可のことである。
要するに、事は平生にある。これを例すると、医師と病人との関係のごときものである。平常衛生のことに注意を怠っていて、イザ病気という時に、医家の門に駈けつけるというようなもので、医者は病人を治すが職務であるから、何時でも治してくれると思っては、大違いである。医家は必ず平常の衛生を勧めるに相違ない。ゆえに予はすべての人に、不断の勉強を望むと同時に、事物に対する平生の注意を怠らぬように心掛くることを説きたいと思うのである。

本節では、勉強を習慣として口先や机上の勉学だけでなく学んだことを行動に生かすことが必要であるとあり、また「子曰、朝聞レ道、夕死可矣(子(し)曰(いわ)く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり、と。)」の言葉にあるとおり、老若男女関係なく正しい勉学の習慣は続けていくべきとの渋沢先生の考えが記載されています。

自分の立場としてはITエンジニアでありCTO/技術顧問の立場なので、最新のIT分野の発達の方向性を常にウォッチしてその技術がどんな意味を持つかを説明しつつ、製品やソリューションにベストなタイミングで適切なアーキテクチャで盛り込むことを指導することにあります。僕もすでに50近い老体なので、プログラミングは部下やアドバイス先のエンジニアさんや学生にお任せしてその方向性を指導するわけです。

最近はいままで難しいとされていたシステム構築(それによってSIerが詐欺的にシステム構築費を稼いでいました)をわかりやすく簡単にするしくみの発達が著しいと感じています。さらには、AIの発達によっていままでできなかった機能がAPIとして提供される時代に突入してきています。

注目に値するIT技術の紹介は本ブログの対象外なので、細かくは説明しませんが、目が悪くなったりずっと座っていられなく老体になったとしても、技術の本質を習慣的に学習し、顧客や社会の課題をウォッチする姿勢を続けていれば、若い人とのチームを円滑に回すことを貢献はできるでしょうし、老害と言われずに社会にそれなりに貢献することを続けられるのだろうと思って日々精進しております。


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