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論語と算盤②立志と学問: 8.社会と学問との関係

学問と社会とは、さほど大なる相違のあるものではないが、学生時代の予想があまりに過大であるから、面倒なる活社会の状態を実見して、意外の感を催すものである。今日の社会は昔とは異なりて、種々複雑となっておるから、学問においても多くの科目に分かれて政治、経済、法律、文学、または農とか商とか工とかいうがごとく区別され、しかもその各分科の中においても、工科の中に電気、蒸気、造船、建築、採鉱、冶金などの各分科があり、比較的単純に見える文学でも、哲学とか歴史とか種々に分かれて、教育に従事するもの、小説を作るもの、各々その希望に従って甚だ複雑多岐である。ゆえに実際の社会において各自の活動する筋道も、学校にありし時、机上において見たごとく分明でないから、ともすれば迷いやすく誤りがちになる。学生は常にこれらの点に注意して、大体に眼をつけ大局を誤らずして、自己の立脚地を見定めねばならぬ。すなわち自己の立場と他人の立場とを、相対的に見ることを忘れてはならぬ。
元来人情の通弊として、とかくに功を急ぎ大局を忘れて、勢い事物に拘泥(こうでい、固執)し、僅かな成功に満足するかと思えば、さほどでもない失敗に落胆する者が多い。学校卒業生が社会の実務を軽視し、実際上の問題を誤解するもの、多くはこのためである。ぜひともこの誤れる考えは改めねばならぬが、その参考として、学問と社会との関係を考察すべき例を挙げると、あたかも地図を見る時と実地を歩行する時とのごときものである。地図を披いて眼を注げば、世界もただ一目の下にある。一国一郷は指顧の間にあるごとくに見える。参謀本部の製図は随分詳密なもので、小川小邱から土地の高低傾斜までも明らかに分かるようにできておるが、それでも実際と比較してみると、予想外のことが多い。それを深く考慮せず、充分に熟知したつもりで、いよいよ実地に踏み出してみると、茫漠(ぼうばく、広々としていてとりとめのないさま)として大いに迷う。山は高く谷は深し、森林は連なり、河は広く流るるという間に、道を尋ねて進むと、高岳に出会い、何ほど登っても頂上に達し得ぬ。あるいは、大河に遮られて途方に暮れることもあろうし、道路が迂回して容易に進まれぬこともある。あるいは深い谷に入って、いつ出ることができるかと思うこともある。到る処に困難なる場所を発見する。もしこの際、充分の信念がなく、大局を観るの明がないなら、失望落胆して勇気は出でず、自暴自棄に陥って、野山の差別なく狂い廻るごときこととなって、遂には不幸なる終わりを見るであろう。
この一例は、学問と社会との関係の上に応用して考えてみると、ただちに了解し得ることと思うが、とにかく、社会の事物の複雑なることを、前もって充分に会得して、如何に用意していても、実際には意外なことが多いものであるから、学生は平常一層の注意を払って研究しておかねばならぬのである。

座学と現実は違うということと、理屈で納得したり丸暗記して学んだことは実務とは違うのは当たり前なので、現実を見てすぐ絶望するのではなく、信念を持って社会を生きていきましょうということですね。若い人たちへのアドバイスですかね。

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