本節では、過去と現代の青年、教育、社会の変化を論じています。渋沢栄一先生は、明治維新前の青年と現代の青年が、境遇や教育に大きな違いがあるため、一方が他方より優れているとは一概に言えないと主張します。昔の青年、特に武士や上流階級は漢学教育を受け、高い理想と見識を持っていたが、一般の町人や百姓は基本的な教育しか受けていなかった。現代では、階級に関係なく全ての人が教育を受けるようになり、教育の平等が実現したが、これにより学問ができない青年も増えたと述べています。
先生はまた、昔の青年が良い師に出会うことに苦労し、師弟関係を重視していたのに対し、現代の青年は師弟関係が乱れ、尊敬が欠けていると指摘します。教育の目的についても、昔は精神修養に重点を置いていたが、現代は知識の習得に偏っていると述べ、青年たちが学問の本当の目的を見失っていると憂慮しています。青年は自己の境遇に合った教育を受け、実践的な技術を学ぶべきだと主張し、青年の誤った学問追求が国の衰退に繋がると警告しています。
昭和のオヤジが「いまのわかいもんは…」と昔よく言っていました。今では死語になっていますが、現代の中堅オヤジも、ひいては中堅オバハンも心の中で思っているけど、すぐにパワハラと訴えられてしまうので我慢しているのだろうなと思います。ただ、日本の武士道教育を捨てて明治維新以降西洋思想を鵜呑みにしてしまったブルジョアが採用した教育が日本国民全体のレベルを低下させたのちでは、オヤジもオバハンも若者も本質は同レベルな気がします。
別の機会に書こうと思いますが、小林秀雄と岡潔の「人間の建築」という書籍にもおなじようなことが書かれています。またタイミングよくもぎせかちゃんねるで浜崎洋介先生がこの辺をわかりやすく解説してくださっていました。
本質は日本的な武士道教育の欠如であって日本人的身体感覚や情緒の欠如によるものだと思います。