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何が安全で何が危険か分からなきゃ危機管理なんて出来ない。

記事に興味をお持ちいただいてありがとうございます。

「解り易い危機管理」初投稿させていただきます。

元警察官としての経歴を持つ私、警察官を拝命してから18年の間、交番勤務、交通課の取り締まり担当係、交通機動隊パトカー乗務、知能犯担当刑事として経験を積んだのち、ある日突然警察官の仕事が嫌になって退職…でもつぶしがきかないんですよね…警察官とか刑事って。

結局タクシー会社の渉外担当としてクレーム対応や事故対応など各種の紛争処理の仕事や危機管理会社での反社排除コンサルと反社データベース構築に携わったのち現在は自称フリーランスのフォトグラファーで現在社会人経験34年と11か月。

自称「生涯、失敗を恐れない挑戦者」しかし周囲の評価は「懲りない奴」で、バツイチ独身。

そんな私が危機管理に興味を持ち始めたのは交通機動隊のパトカー乗務員だったころ、茨城県にある自動車運転センター中央研修所で受講した警察緊急自動車運転技能者過程の座学で受けた「交通危険学」の授業。

純粋な危機管理学とは言えないけど身近な危機管理学に非常に興味を惹かれ、この時学んだことが、私の危機管理の基礎となっています。

私の危機管理の基本は、「何が安全で何が危険か分からなきゃ危機管理なんて出来ない。」という言葉。

当たり前のことですが、危険を理解していなければ危険を回避することは出来ないし、何が安全かということが分かっていなかったら、安全な状況における危険の兆候を見落とすことになるということ。

何が危険かということを感じ取る能力を「危険感受性」ということで危険感受性というものは経験によって養われていくということと習った。

でも、人間人生で、マジやばいぞ…と青くなる経験なんて警察官や消防士のような日常的に危険な場面に出会いやすい境遇にいなけりゃ、そうそうないことだと思う。

そもそも危険を認識せずマジやばい経験をしたら、人生その一回の危険体験で終わっちゃうかもしれない。

じゃあ、どうすりゃいいの?と思ったら答えは思いっきり簡単だった。

危険感受性というものは経験によって養われるけど、経験は教育と学習訓練によって補われるということだった。

そして危険に関して「危険敢行性」という言葉も習った。

危険敢行性とは読んで字のごとく、あえて危険を冒してしまうことだそうで、危険を認識していても、これくらい大丈夫だろうとか、スリルを求めて危険を冒してしまう行動性のことを言うらしく、この危険感受性と危険敢行性のタイプやバランスが、その人の行動に関する安全や危険の傾向を決めて行くらしい。

危険敢行性は、その危険を冒すことによる危険や損害を認識して行動を自粛することで養われていくらしい。

だから危険感受性を高め危険敢行性を低めるために安全教育として、「ヒヤリハット活動」で日常に潜む危険を洗い出し顕在化し危険と学習により認識する訓練や、日常に潜在する危険の兆候を予測し危険を回避するための教育訓練である「KYT」…決して空気読めないトレーニング(Kuuki Yomenai Training)じゃなく、空気を読むトレーニングである「危険予知トレーニング」(Kiken Yochi Training)によって危険を芽のうちに摘み取り危険の発生を回避したり、発生する被害を縮小させることが可能になるということでした。

そして教育訓練による危険回避を補足するため歩道や信号機の設置など危険な環境を改善したり、自動車や機械の安全装備の開発などハードとソフト両面で危険の発生を予防し回避する取り組みがあるということを学んで、最初は何てあたりまえでつまらないこと言ってるの?と思った講義でしたが、次第にのめりこむように交通危険学から危機管理学にのめりこんで行ったのでした…と自己紹介代わりの初回投稿を結ばせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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