最近の記事

12月1日

10時過ぎに会社を出る。帰り道ではお茶の水小学校の新しい校舎が建設中で、大方できあがっているような大きい建物の前の交差点にクレーン車が止まっていた。たくさんの作業着を着た人たちがいた。煌々と電灯が灯っていた。クレーン車は交差点の真ん中で、大きな桜の木を持ち上げていた。木には一つの葉もついていない。根っこは大きな布で覆われているが、クレーンが揺れると時折り、さあああと黒い砂を落とした。みんな、宙吊りになった巨木を見上げていた。

    • 11月26日

      NHKBSのビットコインに関するドキュメンタリーを観た。ハル・フィニーという人の人間性に、強く心を打たれた。

      • 11月25日

        ナボコフの『ディフェンス』を読み始める。すごく面白い。けどその面白さを言葉にするのがすごく難しい。なんでか分からないのにずいずい読んでいってしまう、でも、それを言葉にしなくちゃだめだ。漠然と感じているのは、書かれる内容が、文章によってしかイメージされないような仕方で文が構築されているということ……多くのセンテンスが文以外の参照項、写実的な対象、に還元されないイメージをなすように構造化されているということ……

        • 11月19日

          気になる日本語:バーコードを読み取らせて下さい 電子決済が増えて来たことで現れた言い回しだと思うのだが、主にスーパーのレジなどに置かれている無人決済機によって発せられるこの言葉、耳にするたびじつにむずむずした気持ちになる。 「読み取らせる」のは会計をする人間である。だからこの表現は、会計をする人間に対して、バーコードをスキャンせよ、と命令している、それが第一義にあるように思う。でも、無人のレジからそう言われることで、まるで、機械は「この無人レジわたくしめに、お客様のバーコー

          11月14日

          引き続き、発熱。 薬を飲んで熱は落ち着いてきたが、お腹を下していてほとんど何も食べられない。衰弱というのがぴったりな状態。 病院で計ったときは38.6度もあった。それでもコロナでもインフルエンザでもなかったのでがっかり。ではこの高熱は何なのか、せっかく高熱を出した甲斐がないというものだ。

          11月14日

          11月13日

          帰宅後に、発熱。 でもコロナのときのように全体的な、トータルなだるさというか、上から横からぎしぎし圧迫されるような倦怠感はない。 でも喉が渇いた。ウーバーイーツでアクエリアスと果実ゼリをー注文してみた。3時5分に到着するということだった。 それはなかなか信じられないことだった。こんな時間に、コンビニ行ってきてと言われて、金も払うからとOKする人がいる。 自分は中学一年生のころ、テスト期間で部活が休みになると、野球部の先輩から、そのころ近くに新しくできたセブンにパシリに行かせら

          11月13日

          11月5日

          『レオン』を観た。 新しいホテルに引っ越すとき、マチルダが受付の男に音楽院を受験するから楽器の練習をするのとか、利発に答えていたところがかっこよかった。 やや陰気な感じのレオンが、そのマチルダに振り回されて、ええ…という表情をするのもよかった。立っているだけ、画面に収まっているだけで存在感というか、重さがのある画になるジャン・レノは、すごくかっこよかった。あんな髭、生やしてみたい。 映画の終わり方も、レオンが死んで、マチルダは学校に戻るが、レオンが死んでいるのだから当然、みず

          11月5日

          10月31日

          スプラトゥーンの動画を見ていて、運営が〜とか、次のアップデートでこの武器は弱体化される〜とか、あるいはワンピースの考察?というか下衆の勘繰りというかを読んでいて、何巻の謎が最新話で回収されたとか、そういった、目の前にあるものの背後に出来事をつかさどる黒幕がいる的な発想を、ここのところよく見かける。そういう存在、出来事を意味づけてくれる存在がいると安心するのだろう。誰かが自分の存在の基盤を担保してくれているはずだという、貧しい願望。でも、生活の中にそんな都合の良い誰かは絶対に存

          10月31日

          10月28日

          『パーフェクトブルー』という映画を観た。ぐずぐずにずたずたに打ちのめされた。 主人公はアイドルから女優に転身するが、それは半分本心で、また半分は本心でなく、他の人間の思惑によるもので、割り切れない思いを抱えているという状態がまず提示される。そのような中で進んでいく女優生活の中で鏡、ガラス窓、電話、ファックス、インターネット上の日記、ドラマにおける演技、ヌード写真の撮影といったものを媒介として他者の、また自分自身の声をくり返し、くり返し身にあびることで、実像と虚像の、現実と仮構

          10月28日

          10月22日

          『首塚の上のアドバルーン』を読んでる。 どういう小説なのか。連作短編だが、最初の二つで語り手の住む「ハイツ」近辺のまったく異常でない状況が異常に語られ、黄色い箱の背後のタブの木でこんもり覆われた丘に、正体不詳の馬加康胤の首塚が発見される。その次の小説からは、知人に宛てているのらしい手紙文のような文章で、首塚の発見を振り返った後、それをハイツ十四階の自宅のベランダから眺めていて、十数年前、新田義貞の首塚と出くわしたことを思い出し、そこから語り手は以後の作品で『平家物語』『太平記

          10月22日

          10月21日

          「ジョン・グレイディは帽子を手に墓標のない墓の前に立った。五十年間彼の家で働いてくれた女。まだ赤ん坊だった彼の母親の世話をしその母親が生まれるずっと以前から一家のために働きもうだいぶ前にみんな死んでしまった母親の叔父たちがグレイディ家の気性の荒い若者だったころを知り世話をしてくれたその老女の名を、帽子を手にしたジョン・グレイディは呼びスペイン語でさよならをいってくるりと背を向けると帽子をかぶり濡れた顔を風に晒して、一瞬あたかも自分の体をささえようとするかのようにあるいは大地を

          10月21日

          10月19日

          おびただしいほど労働。帰り、駅に行く途中で、小室哲哉を見た。車に乗り込むところだった。にっこり笑って、人に見送られていた。終電に間にあった。小室哲哉のことを考えていると、いつも降りる駅のホームの側とは反対側のドアが空いて、乗り過ごしていることに気がついた。板橋区役所前。一年前、免許更新に来たきりだった。首都高に沿って歩いて帰る。首都高がどこまでも空を覆って、こんなところで生活したら気が塞いでしょうがないだろうなと思う。今は帰りの途中で、わ蔵というラーメン屋で注文が来るのを待ち

          10月19日

          10月15日

          「おい、と彼はいった。声はいまにも消えいりそうなほどかぼそく顔はこわばりゆがんでいた。もう一度声を出してみた。誰かいた。いるのが感じられた。  誰だ? と声をかけたが答えるものはなかった。  いま誰かいるしさっきからも誰かいた。だが誰もいない。さっきから誰かいて今もいて誰も出ていかないのに誰もいない。」(『すべての美しい馬』、p.305)

          10月15日

          10月14日

          『HANA-BI』を観る。 寺島進の演技がいい。「でも、キレたら一番怖いのは西さんなんだよ。犯人の拳銃奪って、弾なくなるまで打ち込んだんだもんな」 『ソナチネ』は主人公と女性との関係は掘り下げないことで最後の破局の爽快感が増していたけど、『HANA-BI』は同じ主人公の死という結末ながらも、その理由も、そこまでの道程も、主人公の気持ちの中心にあるのは妻のことなので、観終わった印象は、少し感傷的なような、それでいて破壊の清々しさもあるような、それらが合わさった絶妙な感じだった。

          10月14日

          10月10日

          「その夜彼が寝台に寝ていると屋敷のほうから音楽が聞こえてきたがやがてまどろみながら馬のことを思い広々とした平原のことを思いまた馬のことを思った。地卓の上にいるまだ野生のままの馬たちは二本足で歩く人間というものをまだ見たことがなく彼のことも彼の生活のことも知らないがその馬たちの魂のなかに彼は永久に住みつきたいと思った。」(『すべての美しい馬』、p.196)

          10月10日

          10月8日

          『その男、凶暴につき』と『ソナチネ』を観た。ものすごく興奮した。ビートたけしの演技にものすごく興奮した。歩いてくる、歩いている。立っている。 何を考えているか分からない。どちらの映画でも、ビートたけしが演じる人物が何を考えているか分からない。ほとんどしゃべらないし、しゃべるとしても他人から何か言われて答えるときだけだ。その話し方も、言われたことについて、「うん」とか「そうか」とか、何でもいいよというふうで、いっさい会話になっていかない。だからその会話によって物語が進展する、展

          10月8日