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30年ぶりの高値におもう。時給800円だったころの話(6)

僕はとにかく大声接客の店のノリが嫌いだ。

僕自身は運動系の部活に所属していたし、空手もやっていた。声を出すというのには、集中力を維持したりコミュニケーションをとったりと意味はあると思う。喉も使わないと声が出なくなるし、腹から声を出すと、腹筋や横隔膜も使われる。

体育会系の経歴が役に立っていることもあるバイトの採用で大きかったのは、空手をやってるから辞めなさそうという理由からだ。

もうひとつバイトでよかったのは、レジを打ち間違えたりすると、カウンターの下で蹴りを入れられたりするのだが、蹴りを入れる怖い社員に

「お前、空手やってんだって?」と聞かれ、

「一応、黒帯です」と答えてからは、蹴りを入れられなくなった。

体育会系のノリというのは、良し悪しも好き嫌いも個人的なことなので、そういう世界があっても良いとは思う。何が嫌いかというと、声を張り上げるで思考が停止してしまっているからだ。

それがなぜ必要か、何のため、何を目的にしているのかを考えず反射的に声を出している。戦争で死ぬとわかる突撃の先頭は、頭が正常に働いていたら絶対に嫌なものだ。それを思考させないために、反射的に動くように訓練しなければならない。それに似ている。

理由がはっきりして、論理的なことであれば、それを意識しながら声を出すことで、より効果を生むし、正しい声出しを反射的にできるようになるのは重要なことだ。稼げる人は仕事は体で覚えているのである。

安さをアピールして八百屋の叩き売りみたいに売っていい商品と、高価でしっかり説明を受けて納得して買いたい商品もある。

大きな声を出さないメリットは、うるさい店内でもこっちの話を聞こうと集中してくれるのだ。そして、物静かで商品知識豊富な店員さんという感じがして信頼感がでる。

こちらに話を聞きたそうにしているお客さんは、もう大体調べて店も回ってどれにしようかほぼ決めている。誰か信頼のおける人に、自分の判断は間違っていないと背中を押してもらいたいのだ。

買いたそうな方をプッシュしてあげれば、大体購入していくので、全く手間も時間もかからない。しかも高額な商品ほどそうなので、自分の販売金額もガンガン増えるのである。

高価な分、トラブルがあると大きいので、自分も日ごろから勉強するのも大切だし、トラブルになりそうなとき、例えば海外留学する前にノートPCを買っておこうと思ってきたとかだと、電圧が対応しているかとか、コンセント形状とかもっと情報が必要だ。それが曖昧なときはすぐには売らないし、メーカーに問い合わせてみる。

そうは言っても大声を張り上げる接客が良しとされていれば、いくら売ったところで評価もされない。あいつは楽してる動いてないと言われるだけである。バイトならば合わせねばならないと思うが、そうでない事情の人もいる。

販売店には有名な一流メーカーから売り場に人が派遣されることもある。

そういうのはグループの派遣会社かと思っていたら、たまに本社の社員が研修なのかなんなのかわからないが、売り場にヘルプにきていることがある。

人員の派遣を強要するのは確か独占禁止法に触れたはずなので、どういう理由や仕組みなのかは良くは分からないし、今もあるのかはわからない。

あとは営業さんがルートで回ってきて、これお借りしていいですかと、チャチャっと素晴らしいディスプレイをしていくこともある。

泥臭い昔ながらの営業もいれば、お洒落なスーツでスマートにサラッと立ち寄ることもある。

そんなヘルプ人員のひとりで、一流メーカーから来ていた篠原さんという人がいた。

年齢は20代そこそこで、ワイシャツに着られているように見えてしまうような感じの風貌である。そして、篠原さんは背が高く、少し肩をすくむような姿勢で売り場に立っていたので、その姿から「エヴァンゲリオン」と呼ばれていた。

基本的に自社の売り場で、自社の製品の説明をするのだが、デキる人は他の売り場の商品でも、お客さんに聞かれたら案内をするし、レジまで接客してくれる。

「私、店の販売員しゃないんで」みたいに自分の仕事ではありませんというのがなく、普通に店舗スタッフと同じように仕事をしてくれる。

非常に助かるので、競合より台数仕入れたり、売れるようにしたくなるのも当然である。

しかし、篠原さんは典型的に自分の仕事ではない的人間なのである。そして、いつも「こんな仕事するはずじゃない、本社へ早く戻りたい」という泣き言を口にしていた。

そんなだから、もちろん店の社員の風当たりは強い。バイトの僕ら並みに冷たくあしらわれていた。みんな毛嫌いしていたが、僕はよく篠原さんの愚痴に付き合っていた。隣に立っている間ずっと文句をいっているのだ。

「ここの社員は本当にひどい。レジをお願いしようと声をかけても無視されるし、質問しても無視。早く本社に戻りたい」というようなことを言って、話ができるのは僕だけといって嘆いている。

まぁ。そりゃそうだなと思うし、泣き言を言う暇すらなく3日で辞めてく店なので、泣き言を言っても毎日くるだけマシだなとも思っていた。

ある日、篠原さんと僕が並んで売り場に立っていると、

「声が出てねえぞぉおお!」と店長の檄が飛んだ。店内ガラガラにも関わらずである。客の前でこんな風に店員怒鳴りつけられないから、ガラガラであるが故にできるのだけど、篠原さん見てイラついた店長のとばっちりをうけた形である。

仕方がないので、「いらっしゃいませー!」っと人のいない店舗で声を上げて巡回し始めたら、篠原さんがそのエヴァンゲリオンのような姿で、僕の後をついて「いらっしゃいませ」を言って歩くというなんともおかしな風景となった。

しかも篠原さんの「いらっしゃいませ」は、

「ぃ…ら…ぃ…ませー!」と、「ませ」しか聞こえないのだ。

エヴァを引き連れて歩く僕を見て、バイト仲間もクスクス笑っていた。

翌日から篠原さんのあだ名は

「エヴァ」から「ませ」

に変わった。

公開延期となっていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が3月8日公開決定というのを見て懐かしく思い出す。

さらば、全てのエヴァンゲリオン。




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