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純粋な想いに心を動かされるとき

「天気の子」が地上波で放送された。
僕はこの映画について何度かnoteの記事で触れている。

この記事の中でも書いたが物語のポイントはこの言葉
「青空よりも俺は陽菜がいい!天気なんて狂ったままでいいんだ!」
にほかならない。

ハッピーエンドと言えるものではないしどこまでも少年少女のエゴでしかない一途な想いが世界の形を変えてしまう。

前出の記事にもある「新世紀ヱヴァンゲリヲン劇場版-破-」の
「僕がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。だけど綾波は、せめて綾波だけは、絶対助ける!」
も全く同じ。


どちらにも共通なのは純粋すぎる少年たちの想いに心を動かされてそのエゴを助けようとする大人がいるという事。

大人になると折り合いをつけて大切なものの優先順位を変えられなくなってしまう。でもあまりに純粋な少年の心に照らし出されたとき、もう捨ててしまったはずの少年の心が蘇ってくる。

理屈じゃない部分で後先考えずに心のままに動く。
正しいとか間違っているとかそれをすることでどんな結果が待っているか、そんなことは一切関係なくただ純粋に大切な人を助けたい。

そんな純粋な想いに胸を打たれるってのも悪くない。


ただ、純粋なこの想いを現実に置き換えた時に批判的な意見も多い。
それはそれで十分すぎるほどほど理解できる。

純粋な想いで追いかけていた夢をあきらめて折り合いをつけて生きてきたっていうのに今更なんだよ!!という想い。

「えんとつ町のプペル」でいうところのアントニオの立場。

映画の中ではアントニオがそのことに気づいてルビッチ達を助けるストーリーになるけれど現実はそう簡単に行かない。

折り合いをつけた自分の生き方を否定してしまうような思想を簡単に受け入れてしまえるほど人間は単純じゃない。

だから「えんとつ町のプペル」や西野さんの考え方に批判的な人は後を絶たないだろう。


「天気の子」に関する考察を何度も繰り返している僕はこの映画の主題となる部分に間違いなく感銘を受けている。

ただし、あえて言うと、僕は強欲だから目の前にいる大切な人を助けたいし、世界も救いたい。単純にそう思う。

世界を救うというと大げさな言い方になるけれど言いかえれば、笑顔の総量を増やしたい、ただそれだけのこと。


「天気の子」では陽菜が祈ることによって降り続く雨がやんで、雲が切れて晴れ間が見えるシーンが何度も出てくる。

映画の中で帆高君が「天気って不思議だ、ただの空模様に、こんなにも気持ちを動かされてしまう」と語るところがある。本当に不思議な話だが、空が晴れ渡るシーンだけで涙が出そうになる。

たかが天気の話だけれど青い空や、満天の星空に人は憧れる。

暗い話が多くうつむきがちで空を見上げることを忘れがちな時代だからこそ晴れ渡る空を見て、満天の星空を見て笑顔の総量を増やしたい。
そんな風にも思った。


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