短編「改名モラトリアム」

僕はトランスジェンダー なのだろうか
僕の身体は女性で 僕の心は　わからない
好きになる人は女性　
病院に行くと 顔が長くて 親くらいの年齢だろう女性の先生が言うには　
「同性を好きな同姓もいるし 自分の性に関しては 思春期には まだはっきりしない人もいるんですよ。すぐに決めなくてもいいんじゃないかなあ。様子を観ましょう。」
「手術とかって早い方がいいんですか？」
「いや そんなことはないよ。ホルモン注射の副作用もあるし ただでさえ思春期はいろんなホルモンがドバドバ出てるからね。難しいんだよ。それに思春期を過ぎて やっぱり女性として生きていくとなるかもしれない。そういう人も実際いるからね」

先生はそう言うけど、中央政府は余計なことばっかりする。
今年の秋には、戸籍に登録している名前の読み方を確定すると言う。
なんでだ　今じゃなくてもいいだろっ　なんでっなんっだああ　
くそー　まったく いいかげんにしてくれっ

僕の名前は薫だ。
家族や友達からは かおり と呼ばれている。
将来 男として生きていくんなら かおる にしようと思っている。
漢字は変わらないから、住民票の手続きだけでいいらしい。
けど、今年の秋には　どっちかに決めないといけない。
そうでないと　役人が勝手に決めてしまうそうだ。
人の名前を勝手に決めるなんて　許せない。
マイナンバーがあるのに　振り仮名がないと混乱するなんていうのはおかしいじゃないか　だいたいコロナの給付金の時だって 口座番号とカタカナの口座人名があったのに ミスばっかりだった役人が何を言ってるんだ　「どうせ国民を監視したいだけだろう」と親は言ってたけど、たぶんそうなんだろう
そんなことで人の人生を邪魔するな　
どこの国か忘れたけど、成人したら自分で名前を決められるところもあるらしい。羨ましい。
日本だって 江戸時代や明治時代には何回も改名する人がいたらしい。今の日本は文化的に遅れている。いや政治的か。もう100万光年くらい遅れてる。

紅葉も終わるころになって 葉書を机の上に置く。
かおり も かおるも決められなかった。
かと言って役人に決められるのはぜっったいにあってはならない。
僕は名前を書き込んで
たき　の上に覗き見防止のシールを張った。

解題
香を焚くに通じる薫くなので、たきです。
男女ともに通じそうな名です。
こういうことで悩んでる人もいると思うんですよ。
登録してもいいけど、二年に一回簡単に変えられるようにしてほしいですね。
親から付けられた名前が最悪っていう人もいるし、名前くらいは自分で付けたいものです。
ペンネームだけど、直木三十五さんは、32歳の時は直木三十二のように、年齢をペンネームにしていたので、どんどん改名していたじゃないですか。そのくらいの寛容さが欲しいですね。
伝統的な家だと、本名（ほんな）は自分と名付け親だけが知っているもので、役所には通り名を届けると聞いたことがあります。「千と千尋の神隠し」のように、本名を知られると呪われるからですね。こういう家は、届け出た名前が何だって気にしないんだろうな。
そのうち小説を書こうと思っているネタなんですけど、ＤＶから逃げている人も今までは佐藤と書いて「さいとう」と読んでもよかったわけです。履歴書で「変な読みなので漢字は書かないでおきます」と伝えて、「たしかに変ですね」と言われても、「そうなんですよー」と言えばよかった。
同僚の誰かが「新入社員のさいとうさん。香川から来たんだって」とＳＮＳに書いても、佐藤さんだとは思われなかったりするので、安全だったんです。けど、これからは「さとう」と書かないといけなくなるので、ＤＶ加害者から見つかりやすくなってしまうんです。
そういうこと全っ然考えてないと思うんですよ。悪法は変えるべきですね。ソクラテスが嘆いているだろうな。