「議題設定(アジェンダセット)」という権力

最近よく思うのは、「『何が問題か』を最初に決める能力ってほぼ権力だよな〜」ということ。

例えば、「少子高齢化が問題だ」となれば色んな人が「少子高齢化が進むとこんな事態になる」とか、「少子高齢化の原因はこれだ!」とか、色々議論が起きるけれども、議論というものは論理と証拠があれば、機械的ではないにしてもある程度自動で進む。

自動で進むというのはつまり、「AならばB、BならばC、CならばD…」という風に、論理展開のチェーンというものが(作業の困難さはあるかもしれないけれど)ある程度自明の論理に従って進む傾向があるということ。ある時点で何かの論理、例えば「CならばD」が自明でないとしても、データなどの証拠を集めることでどの程度確証高いかは検証できるし、時間が経てば自明の度合いも上がってくる。

しかし、議論の出発点、つまり上記で言うところの「A」を何にするか、という点においては、背景となる論理が存在しない。逆にいえば、BやCやDの確からしさは、その前のAやBやCが担保してくれる(論理的かつ証拠があれば、の話)。

世間ではロジカルシンキングやエビデンスベースド何々とかが流行っているし、コンサルやデータサイエンティストなどの給料が高い(と言われている)昨今にあって、世間のみんなの焦点が上記の例で言うところの「→(矢印)」に当てられるのは、ある程度仕方のないことかもしれない。書店でも、ロジカルシンキング入門とかデータ分析入門などの本が多く売れているように見受けられる。

しかし世の中をつぶさに眺めていると、論理を鮮やかに展開することや、データに基づいて事象を明らかにしていくことと同等かそれ以上に、「議論の出発点を設定する」能力も社会においてかなり影響力を持っているように思われる。

というのも、「議論の出発点を設定する能力を持った人」つまり「議題設定者」は、明らかに一般人ではない。世の中をどう眺めても、このような能力を持っているのは、政治家や経営者、メディア関係者、インフルエンサーなど、社会に対する影響力をすでに持っている人が大半だ。

政治家が「少子高齢化が問題です」と言えば議論が起きるし分析も始まる。メディアが「五輪不祥事が問題です」といえばこれも同じ。経営者が「売上の低下が問題だ」と言えば、役員以下全ての従業員が売上改善のために動く(動かされる)。SNS全盛の今、インフルエンサーが「日本社会のここが嫌」と言えば間違いなく議論が起きる。

議論に対する賛否はあるにせよ、議題設定力のない我々一般人は、目の前の権力者が議題設定力という権力を使っていることにあまり気づくことのないまま、議論に振り回されたり論破(笑)したり、あるいは粛々と仕事をしたりしている。もしかしたら、権力者サイドも、自分が「議題設定力」を使っているという意識はないかもしれない。

別にだからといって「権力者から議題設定力を奪おう」と言いたいわけではない。むしろ議題設定力 ≒ 権力なのだから、権力者がそれを持っているのは自然の摂理だと思う。ちなみに私は反権力思想の持ち主ではないので、「権力者に抗っていこう」というつもりもない。サラリーマンなら社長の言うことをちゃんと聞こう。

が、しかし、目の前で起きている議論について「え、今それ話し合うべきことなの?」と言う視点は持っておいた方がいいと思う。ただ、この「今話し合うべきことが何か」と言うものは、権力もさることながら個々人の価値観に大きく左右される傾向があると思う。なので、目の前で起きている議論に対して「今それ話し合うことですか?」と言う疑問を明瞭明白に公開することはおそらく喧嘩につながるので、慎重を期した方がいいと思う。

雑感なのでオチとかないです。

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