2022年がはじまる。

2022年という「2」が多い1年が始まりました。
2月2日、2月22日なんかは、「2」に溢れるということでちょっとした話題になるのかも?なんて思ったりする年明け。さて、せっかくのタイミングなので、2022年に向けての抱負的なのものを考えてみたい。


2021年で起きた一番のインパクト

2021年は自分にとって大きな1年になった。とにかく、メンバーの入れ替えがある中で、チーム状態も大きく変動した。特に、一緒に働いていたメンバーがお休みに入ることになったという現実は自分に大きなインパクトをもたらした。

色々なお話を聴いていたし、くだらないことも真面目なことも話ができるような関係性も築けていたように思っていた。チームでリフレクションとフィードバックを行うMTGを6月から週に1回行っていたものの、8月下旬からは隔週に。時を同じくして、そのメンバーと話をしている中で、このチームからの異動希望のような話も出ていた。

それは一つのサインだったのか、それは今とってはわからない。しかし、そのお話を聴いていて少し経った後、実際にお休みに入ることをマネージャーから聞かされた。聴くと、プライベートで色々なことが起きており、心身のバランスが良くない状態になっていったようだった。

この8月、僕は出社は2度しかせずリモートワークがほとんどだった。該当のメンバーと話すことはオンライン上ではあったが、ちょっとした微細な変化を捉えることはできていなかった。これは自分にとっての1つの後悔でもある。リモートワークが悪いのではなく、自分自身がリモートワークに臨む「あり方」が楽をしたいというところからきていたことが問題だったと自分なりに反省をしたのであった。

起こるべくして起きたのかもしれない。

そのメンバーとは実際に異動することになって11月にお別れすることになったが、今は別の場所ですでにらしさを発揮しながら働いている。お別れするときには涙も出てしまったけど、相互に大きな感謝で話し合えて、年末には ぶっちゃけお話会もできて、昇華はされていった。現在の職場での活躍、それは、本当に嬉しいが、一方で、うちのチームではできなかったのだろうか…という反省の声も自分の中にわいてくる。

このときを機に、出社する回数が増えた。後輩メンバーの「会社来てくださいよ」という声も自分に響いたこともあって。リモートワークでの難しさを感じた時間でもあった。11月には新メンバーが加わった。最初は週2回勤務だったけど、12月からは毎日働いてくださるように。

できるだけ、良い雰囲気で、このチームで働けて良かったと感じられるようなチーム作りという観点で、コミュニケーションの取り方、関わり方を意識しながら取り組んでいる。かつての後悔をもう二度としたくないそんな気持ちもあるけど、何より、何の因果か一緒に働くことになったメンバーがこのチームで働けて良かったと思えるようなチームでありたい。

この一連の出来事から、僕は、
どこまでいってもその人の中がどうなっているかはわからない。わかることができていると思い込んでいるのは自分のエゴ。それでも、人が何を想っているかに想いを馳せることをやめない。

こんな決意を新たにしたのであった。
その他にも色々なことがあったわけだけど、これが自分の中で一番の大きな出来事だった。誰かが悲しむような状況をつくりだしたくはない。


年末年始、生死について考えた。

2020年3月、母親が脳出血で倒れた。そこから出血を4回ほど繰り返し、入退院を繰り返して、現在は自宅にて生活をしている。左半身が動かせなくなり、車いす生活になった。一人では起き上がることができない。トイレもできない。脳から送られる信号と、実際の身体の状態にずれが生じているように見える。そのため、トイレにいきたいといっても、出ないことも多い。

そんな母親を70歳を超える父親が介護をしている。この年末年始、コロナが少しは落ち着いたこともあり、2年ぶりに帰省した。その状況を目の当たりにした。自分は、トイレの手伝い(専用トイレへの移動)、車イス、母親とのお話、食事の準備・片付けなど、できることは一緒にいて行ってみた。たったの2日間だったけど、父親の大変さもすごく感じた。

母親もそんな父親への申し訳なさも感じているし、父親は父親で誰かに助けてと言えないタイプだし、この状況はなかなかに厳しい現状があると感じた。地元で起業をした兄は奥様と一緒に忙しい中でも、車でも時々様子を見たり、父親のサポートもしてくださっていて本当にありがたい。

30日、僕ら兄弟が小さいころからお世話になっていた母親のお兄さんが亡くなった。8人兄弟の末っ子の母親にとって、唯一残された兄弟だった7人目のお兄さんが亡くなった。それを聴いた父親と兄は、母親の脳出血の状態も考え、兄夫婦と僕がいるタイミングで母親に伝えた。大きな動揺はあったけど、僕等がいたことで、そこまでの興奮状態にはならなかった。

夜、家族葬ということで誰も呼ばないという方針だったこともあって、家にお邪魔して、おじさんの顔を見に行って挨拶をしてきた。

不思議なものでとても穏やかそうで、今すぐにでも「おー、どうした」とでも言ってきそうな雰囲気だった。優しい表情のままに眠っていた。亡くなっても、ひげも伸びるようで不思議だなあとも思った。きっと亡くなる直前までは本当に苦しかったはずなのに、息をひきとったら本当に穏やかになるというのも何だか不思議な感じがした。生きること、死ぬこと、何だか色々なことを考えさせられる年末年始だった。


そして2022年。

そんなわけで、色々なことがあった2021年。頭や心の中を占めていたのは、多くは「仕事」だったと思うし、色々なエンタメ作品に触れることだったと思う。それもいずれも、「学び」のためというところが根幹にある。

僕自身は、自分の許容量をどんどん増やしていくために、いつでも新しいモノや、変わったモノ、おもしろいモノへのアンテナがたっている。自分の許容量がどんどん増していくと、誰かに優しくなっていけるし、自分自身のバージョンアップも図ることができる。

自分が学ぶことの意味はここにある。

別に高尚なことを「学ぶ」わけではない。日常に学びの種なんてそこらかしに落ちている。学び続けることは長く幸せでいられる可能性が高まる。学びは幸せをもたらす大事な要素だと思っている。

まあ、そんなわけで、2022年もどんどん色々なものに触れていく年になる。組織が変わっていく中で、いよいよ今度の4月には働く場所も変わるような感じもしているし、変化も起きそう。変化はこれからもたくさん起きる、そんな中で、自分の軸を保っていくためにも学びは大切だ。

引き続き色々なものに触れていく1年に。

そんな中で、今年、特に意識したいのは「咀嚼する」こと。
得意技でもないし、褒められたことではないけど、食に対して早食いだ。あんまりかまずによく食べてしまう。臓器に優しくないことはわかっているのに、どうしてもその習慣は変えられない。

そして、この食に対する態度は、生活に対する態度と一緒だ。
学びでも同様、ジャンクに色々なものを取り入れる一方、味わう時間が少ないのも自分だ。咀嚼することが足りない気がする。咀嚼を。よく噛んで味わうことを。それは、今年意識していきたい。


最後に

「親友っている?」って聞かれて、答えられない自分がいた。
それを寂しく思うことはなかったけど、何だか気になっていた。

この前、セッションを受けたときにその話をしてみたけど、そこで自分の中で腑に落ちたことがあった。常に新しいモノや、異質なモノを求めている僕はきっと長く同じ場所には居続けない。まさに以前、ギフトと言ってもらえた「ミツバチ」だ。色々なところをうろちょろする。

それでも、寂しさを感じることがないのは、それはただ、どこかでつながっているという感覚があるからなんだと思う。だから、親友って聞かれて困ったんだろうなあと。どこかで多くの方とつながらせてもらっているから。

僕は、自分のワクワクを追い求めたい。

そして、そのワクワクを追って生きていることそのものが誰かの役に立って、誰かが喜んでくれていたら、こんなに嬉しいことはない。それが自分がいきていく人生なんだろう。そんな人生をしっかりと味わっていきたい。

そんな2022年の決意。みなさんにとっていい一年でありますように。

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