会長桜井博志 softbank講演(2019)

旭酒造の高木です。

2019年に弊社会長の桜井が講演したyoutube動画です。

以下文字起こしをしたものです。長編ですのでお時間ある方ご覧ください!

会長 桜井博志 2019年Softbank講演

皆さん、こんにちは。実は先程、羽田に帰って参りました。昨日までアメリカのアーカンソーにおりまして、本当は一昨日出発し、昨日日本に着いているはずだったのですが、熱帯低気圧がちょうど今アメリカを襲っている最中らしく、飛行機が欠航してしまいまして、私もこんなに甘いスケジュールを作ったんじゃまずかったなと思って後で反省しましたし、こちらの事務局の皆様方にご心配かけて申し訳なかったなと思っております。
本当は失敗談がいっぱいあるんですよ。アメリカの実情が分かってないし。それはちょっと置いといてお酒の話をしたいと思います。

私どもの酒蔵がこの30数年間で、100倍を超える成長を遂げ、日本酒業界の中では特殊だという事で、今日呼んで頂いたと思っております。なぜ私どもここまで伸びる事が出来たのかを考えてみると、一番大きなところは、私はもう、40年か、50年近く酒造業界を見てる訳ですが、社会が全然変わってくるんですね。その中で、酒蔵も当然それに合わせて変わっていかなきゃいけない。それを私どもは変わっていく事が出来た、対応するという事が出来た、という事が1つ。それなら他の酒蔵でも皆出来るはずですけども、それは恐らくですね、私どもの中にこういう酒蔵になりたいという、目標というか理想があって、そっちを向いて、しかも変わっていく社会の中で対応して行ったのが大きいんじゃないかなと思います。こういう風に言うとすごく立派な計画を立ててやった、理想を持ってやったと思われるでしょうけど、私がせいぜい考えたのが、いやーなんか良い酒をお客さんに出したい、格好いい酒蔵になりたい、黙っていても売れる様な酒蔵になりたいなあと、その程度のミーハーな目的で始めた訳であります。その中で、やっぱり美味しい酒という事に一番、私どもは注力したわけですけども。ちょっとそれを物語る映像がありますので、ちょっと動画を少し最初にご案内したいと思います。2分ちょっとですから、気楽に見て頂ければと思います。じゃ、動画をお願い出来ますでしょうか。

これは、ニューヨークでもうちの酒が売れているという自慢をする為に流しているんじゃなくて、是非、参加しているお客さんを見て欲しいんですね。これは会の背景を言いますと、私どもはこの会は自社、一社で開催しているんですよ。例えば、最近の政府の日本産品の輸出の援助を受けてとか、経産省とか農水省とかですね、そういった補助事業でもないし、ジェトロと組んでる訳でもないし、それから、もちろん酒造組合と組んでる訳でもない、ただ一社でやってる訳ですね。
そうすると、どういう事が起きるかというと、義理で来るお客さんってほとんどいないんですね。
要は結局、会費を取りますから、会費を払って獺祭を飲んでやってもいいよというお客さんだけが来る、そういう会なんですね。そうすると、見て頂いてお分かりになるじゃないかなと思いますけど、女性と、それから若い人と、それから当たり前ですけども、アメリカですから外国人が多い。この3者の特徴的なものって、あんまり日本酒を知らない、詳しくないんですよね。
日本酒に詳しくないということは、日本酒に対する思い入れもそのものも少ないだろうと思うんですね。
その日本酒に思い入れの少ないお客さんを獺祭はなぜそれを引っ張れるかというと、やっぱり、美味しという、お酒の一番大事なもの。美味しい酒を社会にお届けするという、お客様にお届けするということが、一番私どもができる社会貢献ですから、そこに私どもが向いているという事がこういったお客様が来て頂けるという、そういう理由だろうと。
そういった象徴的な会として今ご案内させて頂きました。

私どもの酒蔵はですね、山口県の日本酒業界でも非常にマイナーな県ですね。しかもこういう山の中なんですよ。だいたい、私どもの酒蔵のある集落が、人口30名を切っています。そんな過疎の地域にあるが故にですね、非常に企業にしては過酷な状況にあったわけです。過酷な状況にあったということが、私どもには反対にプラスになってきた訳ですね。ということを、おいおい説明したいと思います。

日本酒というのは、皆様お分かりの通り、非常に日本の文化と密接に繋がっていて、
これは、結婚式の写真ですけども、神前結婚式、お神酒、三々九度は日本酒で。それくらい日本の文化と一緒にくっついておりますし、それからもう一つ経済とも長年つながりが深い。米を原材料とする訳ですから、日本の主要産業であった農業から、米を頂いて酒を造る。しかも、農業から私ども頂いたものがもう一つ、労働力を地域から供給してもらっていた訳ですね。だから、夏場は農業をやる、冬場は酒蔵に行ってこういった形で酒を作る。杜氏さんとか蔵人さんとかよく言われる方達ですよね。実はこの杜氏さんとか蔵人さんというのは、非常に私らにとって都合の良い雇用形態でしてね。冬場だけ酒蔵に来てくれる訳ですよ。冬場だけ来てくれて、冬場の寒冷な気候を利用して、酒を作ってくれる。夏になったら帰る訳ですから、夏の人件費が発生しない。杜氏さん達にしてみても、冬場の農業の出来ない時期に、酒蔵での仕事が現金収入になる訳ですから、両方がWin-Winの関係の雇用形態なんですね。

ところが、太平洋戦争が終わって、日本の経済がどんどん発展していくでしょう。沿岸地帯、それから全国津々浦々、工場が進出していきますよね。そうすると、農村の労働力そのものが、いなくなっていくんですよね。結局農村の労働力がいなくなるっていう事は酒蔵に供給してもらえる杜氏さん達の労働力も減ってくるという形になってくるわけです。そんな中で酒蔵はどうやって、それを何とか乗り越えてきたかと言うと。まず、例えば、灘とか伏見とか、一部の新潟とか、そういった所の大手メーカーの酒蔵さんは機械化していく訳ですよね。機械化によって、労働力の不足を補っていく訳です。それから、もう一つ、地方の酒蔵の中で優秀な杜氏さんを抱えることが出来た酒蔵は、お酒は沢山作れないけども、立地の良い所は地方の銘酒としてとして残していく。
まあ、そういった形になっていく訳ですけれども、この2つの方向ってね、どっちも弱点があるんですよ。
何故かというと、機械化は酒の場合、非常に苦しいんですよ。日本酒というのは米を麹の力で糖化して、出来たブドウ糖に酵母が取り付いて発酵する。糖化と発酵が同時に起こる訳です。非常にコントロールが難しい発酵形態にとる訳ですね。これを機械化しようとすると、常に品質の低下の圧力にさらされるんですよ。これをどう対処するかというのが、非常に大きな問題。一方で、地方の優秀な杜氏さん達をつかまえることの出来た地方銘酒はどうか、といいますと、これはこれで生産量が増えないから、日本酒業界全体を引っ張り上げていくというパワーに欠ける訳ですね。やっぱり、供給が少ないものは商品としての、ブランドの価値というか、商品力が上がっていきませんから、いくら幻の酒で素晴らしい酒があっても、飲んだ事ない、それどんなの?っていう事になるでしょ。そういう事で、どちらにしても一難ある。

じゃあ、そんな中で獺祭どうしたか。獺祭が考えたのが、こうだったんですね。これは、うちの検査室の写真ですけども、杜氏さんよく、経験と勘って言いますね。経験ってなんですか?経験ってデータの蓄積でしょ。勘って何かというと、そのデータの蓄積と、現状の現場の現象との間で、思考が飛躍していく事が勘ですよね。この二つなんですよ。じゃ、この杜氏さんの頭の中を外に出してやればいいじゃないか、ということで始めたのがこう言った形です。だから私どもは酒造りを徹底的にデータ化して、それを見ながら社員達が酒を作っていく形になっていった訳です。

13:00-
これは私供の特徴的な話で、こうすることによって酒造りも安定していった。検査室でデータ化した上でですね、実際造る酒造りのスタイルってこうなんですよ。機械が造っているわけじゃないからですね。人間が造っているわけです。これはなぜかというと、微妙なところまでコントロールしていこうとすると、なかなか日本酒というのは、機械化が難しい。
特に、この写真は麹を造っているところなんですが、アジア全体で麹って結構使いますし、それから中国とか韓国を経由して麹の文化は日本に伝来したと思われますが、実は違うんです。麹菌のDNA解析をすると、世界の中で日本だけDNAが違うんですよ。
しかも作り方も、これはバラ麹といって一粒一粒をバラバラにして作っていく麹なんですけどもね。中国なんかやベトナムなんかは、壺のような容器の中で、塊で発酵させる。全然違うものなんです。であるがゆえにバラ麹は非常にコントロールが難しく、こういう形でやらざるを得ないため、私どももこういう麹の作り方をやっております。

それからもう一つ。これは私どもの発酵室の現場ですけども、一年間ここでずっと社員と一緒に造っているわけです。社員は「夏場来なくていいよ。給料もやらないけど」と言ったら誰も定着してくれませんので、社員が来るんだから夏場もとにかく酒を造った方がいいということで、一年中、部屋の中に冬場の気候を造って、酒を造っているわけですね。
で、これをやってみて非常に良かったのは一年間ずっと造るということは、緊張が途切れないんですよね。
夏場に酒を作るのをやめて、秋から酒造りに入ると、どうしても秋は緊張が途切れたゼロの状態から始まるわけですけど、私共は一年間ずっと造っているから緊張が途切れない。もう一つ良い点は、お客様に一番保存状態の良いお酒を常に届けることができる、という事です。

偉そうに話してますが、これができた背景って私どもは、ある一時期に、あまりに私の経営が稚拙だったもので、杜氏に逃げられてしまったんです。杜氏に逃げられてしまって、その結果どうしようもなくなって社員と一緒に作り始めたんです。要はそういうピンチが私供を反対に救ってくれたんですね。

原材料に関しても、私らはおいしい酒を目指すと言う事は、原材料が一番大事なことですから、山田錦というお米しか使いません。日本で一番高いお米と今でしたら言われていますが、その山田錦を年間で17万6000俵、つまり1万トン超を使います。この購入ルートを造るには相当な苦労をしました。
山田錦の場合、出産地が兵庫県なので、兵庫県産を使う確率が高いんですけども、それを増やしていくために色んなことをやりまして、例えばこんなこともやりましてね、田んぼのそばに、富士通と書いた箱とポールが立っておりますけど、要は酒造りと同じなんですよ。
考え方として私が考えたのは、要は農業もデータ化して、それを見ながら人間がやれば、良い米ができるんじゃないかということで、こういった形でやったり。

ただ、じゃあこれでデータ化してやったら米が簡単にできるかっていうとなかなか酒ほどうまくいきませんで、特に農業の場合は、農家のやる気という問題があるので、そこらへんが大きな問題でまだ横たわっているんですけども。
ただとにかくなんとかして米を増やしていくかですね。
私らは、ある一時期、「山田錦が足らない」と行動したところ、全国の酒蔵から、「あいつら山田錦買いすぎる」と随分怒られたんですけども、とにかく私らは山田錦の供給を増やそうとしたんです。
結果として、こういった形で先ほど言いましたように1万トン超の購入ルートができた。ただ、私供のこの酒蔵のある山口県は、酒米の産地じゃないんですよ。
県内の山田錦は、最近でこそ20,000俵ぐらい分けていただいてるんですけども、当時はなかなか良い米を供給してもらえなかった。
つまり、地元に良い米がなかったが故に、逆に兵庫県などの主産地から自由に良い米を購入できた。
これが、もし地元が米所だったら、なかなか私らの決断ってできなかったと思うんですね。
私らにとったら山口県内でなかなか米を供給してもらえなかったが故に、こういった形の購入方法が取れるようになった。

ただ、これはこれで、色々問題があるんですよ。
こういうことをやると、例えば県の農政部とか役所からすると、地元の米を使うと言わない酒蔵って、あんまり嬉しく無いでしょ。いろんな形で足を引っ張られてですね、先日も産経新聞を見ていましたら、美智子妃殿下、天皇陛下ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)が山口国体で山口に来られた時の思い出話が載っておりまして、山口県の酒の展示場に行ったら獺祭の酒がなかった。で、美智子妃殿(現在の上皇后)から「ここには獺祭が無いんですね」と聞かれたそうです。
まあ、それぐらい影に日向に、色々やられたわけですが、、

ただここで大事なのは、じゃあ県で邪魔されたから酒の売上げが阻害されるか、って言ったらそんなことないんですよ。決して、そういう担当の方がいくらこっちを引っ張ろうとしても、一般の普通のお客さんから買ってもらえるって圧倒的に大きいでしょう。お客さんを向いてる方が強いんです。私らからしてみたらそういった形でここまで伸びてきたわけですね。

それからもう一つです。これは私どもの考え方で、「大量販売の論理からお客様の志向商品」、何言ってんだこれ、という話なんですが、例えば上撰とか佳撰とか、パックに入った安いお酒を大量販売する方向から、純米大吟醸という高いお酒をちょっと売れるのでいいよ、という形に変わっていったということ。

これは何故かというと、私らが若い時、昭和30年代(1960年前後)を思い出してみると、大体大工さんの日当が1日500円。一番安いお酒の一升瓶(1.8L)が同じ値段なんですよ。
たくさん飲めないでしょ?しかし、私が酒蔵の社長になった昭和59年(1984年)、になると高度経済成長もあって、大工さんの1日の日当で、酒は10本から20本くらい買える時代になった。そうすると、いくらでも飲めるわけですね。よくその頃に話していたのが、昔は女房子どもを質に入れなければアル中になれなかったが、今はもうお小遣いの範囲内でアル中になれる。そうするとお酒に対して要求される機能性って変わってくると思うんですよ。それを私共は見ながら、やっぱり、たくさん飲んでもらうという方向じゃなく、いいお酒をちょっと楽しんでもらう、そういう方向に変わっていくべきなんじゃないかなということを考えてきました。それができた大きな理由はただ一つ、負け組だったからです。その時に私共は、変わってく過程で考えてみたら、今の大体事業規模の100分の1ぐらいのところですから、負け組ですよね、地元で、本当に負け組。

で、負け組だから、当時の状況ではどうにもならないわけです。今のビジネスのやり方では絶対に勝てないわけですから、だからそんな中で変わってきたわけです。それと同時に考え方として私共の中にあるのは、とにかくできる限りの売上げを取って、できる限りの利益を取るという考え方をしません。それはどうも酒の場合は違うんじゃないかなと思っておりまして。誤解を招く言い方かもしれませんが、出来るだけ原価を掛けようと考えた。今、獺祭で純米大吟醸の45という商品が一番価格の安い商品ですが、これは山田錦を45%まで磨いたお酒なんです。これで、(日本の小売価格で)一升瓶で3000円の商品です。これは、一般的な地酒の値段と比べると相当低いんですね。だけど、私共からしてみたら、とにかく、価格に対して原価をなるだけ掛ける、ということでやってきた。結果としてそれによって売り上げも上がってきましたし、おそらく日本の酒造業界の利益率よりも、私共は1ランク高いと思います。結果としてそれがプラスになっている、私達からしてみたらこのやり方が一番成功パターン。それから、兎に角売れればいいとか、マーケティング主導型で、たくさん売れればいい、とにかく取れるだけ利益を取ろうという形というのは、どうも私は違うんじゃないかなと思っており、少なくとも獺祭に関してはそういう考え方でやっております。

それからもう一つ、日本酒というのは日本の歴史と文化により出来上がってきた酒であるが故に、伝統の手法ということがあるわけですが、それに私共は固執しない、変わることこそ日本酒の伝統であると考えております。先ほども言いました様に、杜氏とか蔵人が造っているのではなく、社員が造っている。

それから、どこかで私共の酒蔵の外観写真を見た人がいるかなと思うんですけど、高さ60メートルの12階建のビルです。まあ、異様な、というか酒蔵のスタイルにならないわけであります。ただ、私達からすると色々と言い訳はありますが、社員が酒造りをしていくとなるとスペースが必要です。よくレストラン関係の方にお話するんですけど、厨房のスペースが無いレストランでいい料理ができますか?やっぱり、客席より厨房がデカいくらいのレストランじゃないと本当にいい料理ってできないですよね。同じ様に酒蔵も、やっぱりスペースが要るんですよね。

27:01-28:00
で、作業スペースを全部確保しようとしたら、ビルになってしまったんですよね、12階建の。結果として、皮肉なことに外観だけ見たお客さんから、『獺祭はビルの中で機械で酒を造ってるんっだろう』という話になるわけですが、全然違う話なんですよ。それと同時に何で伝統に固執しないかというと、日本酒の作り方ってどんどん変わってきてるんですよね。それは室町時代の酒の造り方、そして江戸時代の造り方、それから今の造り方、根本的に米を麹で溶かして、そこに酵母が取り付いて発酵させるというスタイルは一緒ですけど、室町時代の頃の酒を再現してみると、お醤油みたいな外観の全く違うお酒になる。今は水と米から作るにも拘わらず、果物の香りがするお酒になる。だからこれ違うんですよね。これは何故かというと、


28:01-29:00
考え方としてあるのは、杜氏や蔵人さんが現場で工夫したからだと思います。現場で工夫することを日本では許すんですよね、何故ならヨーロッパの様にギルドが無いから。だから職人さん達が勝手に工夫して改善してやった。結果、それで500年経ったことによって今のお酒が出来上がってるわけですから、私達からすると、変わるのが当たり前。日本酒の伝統というのは変わることなんだなと思っております。少なくとも獺祭にとっては手法は結果の為にしかないと考えているわけです。で、ちょっと最近のトピックを少しお話ししたいと思います。残念ながら、お亡くなりになってしまいましたが、ジョエル・ロブションさん。

29:01-30:00
フランス料理の神様とか帝王と呼ばれた方ですけど。あの方と組んで、パリのフォーブルサントノーレ通りに獺祭ジュエルロブションという名前でレストランを出しております。で、これは『獺祭はレストラン業界にも進出して、レストランでも儲けようとしてるんだな』と思われるんですけど、かなり踏み出したところが違っておりまして。というのも、私達にとっては酒を造って売るというのが一番効率がいいわけでして、レストラン業ではあまり儲からないわけです。だから、その意味でいうと、邪魔なものに近いんです。では何故始めたのか、これはフランスにおいての日本酒を見ていると、本当に酷い酒しか出ていないですよね。でも本当はいいお酒なんですよ。


30:01-31:00
本当はいい酒なんですけど、フランス人はワインと同じ貯蔵方法でいいと思っているから、保存の温度が高すぎる。それから保存期間も長すぎる。で、そういう保存状態の酒が出てくる。しかもフランス人にとって、フランスのワインは輝く天上の星。でも日本酒は『東洋の蛮族が造ったわけのわからない酒』で、最近ちょっと色々声が掛かるから店に置いて見るかという様なお酒なので、放っておくと、フランスの有名な高級ホテルのレストランでも、2年前の獺祭が出てきたり、何だこれはという様な酷い状態の獺祭が出てきたりしていました。これではマズい、フランスで本当にいいお酒を紹介しなければならないということで、始まったのが獺祭ジュエル・ロブションであります。


31:01-32:00
ロブションさんは本当に獺祭が好きで、基本的にはフレンチと獺祭を合わせる。彼がある時に言っていた話が、『ある有名な日本料理の料理長が作った料理と、俺の作ったフレンチでは、やっぱり俺の作ったフレンチの方が獺祭に良く合った』と本人は言っておりました。まあそんなことがあって始めた店なんですね。是非フランスに行った際は、寄って頂けると本当に嬉しいなと思います。で、もう一つ海外ネタで、この写真の事が理由で実は(昨日まで)アーカンソーに行っていました。


32:01-33:00
ニューヨーク市から北に100キロくらい上がったところに、ハイドパークという町があるんですが、そこに酒蔵を建設します。これは、近くにCIAという、スパイのCIAではなくて、Culnary Institute of Americaという全米最大の料理学校がありまして、そこから日本食の講座を強化したいから、日本酒を近くで造らないかという話が来まして、それでハイドパークに酒蔵を作ることになりました。アメリカの日本酒市場を見ていると、まだまだなんですね。アメリカに住んでいる日本人、日本酒が好きなアメリカ人、日本贔屓なアメリカ人、そういった人達が日本酒を飲んでいるとはいえ、まだ殆どのアメリカ人にとって日本酒は、『何それ』というくらいの状態なんですね。なので、この為にはアメリカで造らざるを得ないだろう。ということで、こちらで純米大吟醸だけを造ります。今、アメリカにも酒蔵が何社かあります。でも残念ながら、スーパーに行ったら一番下の棚に5ドル99セントで並んでいる様なお酒しか造っていない。そうではなくて、本当にいい酒を供給していこうということでアメリカに酒蔵を作ることにしました。米も、最初は日本から持っていく。


33:01-34:00
当初アメリカのカルローズという米を使おうと思ったんですが、どうやら山田錦が作れそうだということで、日本からもパナマ運河を越えて山田錦を持ち込み、アーカンソーでも作ろうと。で、向こうの農家の方と話しました。こういう話はお互いに、人と人が信頼できないとどうしようもないので、信用できるかどうかの勝負。私達の酒蔵は本当に本気なんだと、アメリカで酒を造る、本気でやってるんだ、遊びてやってるんじゃなくて、企業としてやるんだということを向こうにもわかってもらいたいし、その農家さんが私達を信頼できるかというのが一番大事なところなので、直接会いに行ったわけです。

34:01-35:00
結果として、アーカンソーの純朴な農家で、最後に彼から、今回のこのビジネスが上手くいくかどうかわからないけど、是非友達になろうねという話を頂きまして、私もなんとか一つハードルを越えたなと思っております。この写真を見て頂くとわかる様に、店舗部分があります。ここで試飲して頂いて、ここである程度販売もしようと思っております。ニューヨークに行くことがあれば、グランドセントラル駅からメトロノース鉄道のハドソンラインに乗って頂くと、1時間半くらいで私達の酒蔵の近くに来ますので、是非見に来て、一緒に試飲して、でお酒も買って帰って頂けると有難いと思います。


35:01-36:00
それから、まさにこれ一年前こうだったわけですけど。一年前の7月7日の深夜に西日本を襲った集中豪雨で、私共の全く考えていなかった反対側の山が崩れて、その土砂が川に流れ込んで、それがダムの様になって酒蔵に流れ込む、それから停電を起こし、どうにもならなくなりまして。実は四合瓶で58万本分、獺祭にはならないな、という酒ができたわけです。それで、本当に大変だったんですけどその時は、もし全部いかれていたら30億円ぐらいの損失ですから。これどうしようかなと思っていたんですけど、


36:01-37:00
岩国ですから、漫画「島耕作」の作者の弘兼先生が岩国のご出身で、『俺のところで千本か2千本買ってやるよ』と言われた。でも『千本、2千本じゃないんです、58万本分あるんです』ということをお話ししたら、『じゃあ島耕作のキャラクターで売ろうよ』ということになりまして。しかも200円ほど厚かましくも、お客様から義援金を頂いて、1200円で売り出しをさせて頂きました。まさに8月10日に発売したんですけど、半日で58万本完売しまして、本当に嬉しかったですね、お客様が皆さんケースで買って帰って頂ける姿を見て。


37:01-38:00
お陰様で200円の義援金を頂いておりましたから、58万本分、1億1600万円を岡山県、広島県、愛媛県、それから山口県が一番被害が少なかったんですけど、まあ地元ですから、この4県に2900万円ずつ、県庁に持っていかせて頂きました。皆様方から助けて頂いたと思っております。それからもう一つ、ここですごく勉強になった話があるんです。というのは、記者会見の時に、弘兼先生が隣で、『このお酒にはどれが入っているかわからないんですよ。もしかしたら二割三分が入っているかもしれないし、1本3万円もするその先へが入っているかもしれないですよ』なんていう話をされるわけですよ。私は、『変なこと言うオッサンだなぁ』と思っていたんですけど。だけど、これが凄い評判になりまして。もしかするとそうなんじゃないかと、皆さん思われるわけですよね。


38:01-39:00
実際は7割は一番安いお酒だったんですけど、大体皆さん、『オレが飲んだのが二割三分に違いない』とか『その先へに違いない』と言われる。だから、お酒って真面目一辺倒じゃなく、楽しさがないといけないんだなと、実際にそこで勉強させて頂きました。それと同時に、こういう困った時、獺祭が被災したと聞いた途端に、酒屋さんの店頭に『獺祭を買ってやらなきゃいけないから』と、お客様が随分来られたという話を後から伺って、本当に日本に生まれ、そういう方々と同じ国民として、酒を造れるというのは本当に幸せなことだなと考えております。

39:01-40:00
皆様方に助けられながら、何とかかんとか、変わっていく社会の中でやってきたわけです。ということで、ちょっと時間を時間をオーバーしてしまいました。今日は皆さん大変ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?