とりとめもまとまりもない育児ふりかえり

過去の日記を読み返してみた。

現在、出産を終えて子育てがやっと一年目、産後1年ともいえる冬。
去年の冬は、まだ赤ちゃんは私の横ではなく、私の中にいた。

赤ちゃんは、地球の衛星が生み出す引力に引かれて、あの産院ではあの日たった1人だけ生まれてきた。
後日、看護師さんに尋ねたところ「満月でも、たくさん重なる月と重ならない月があるんです。」と言われて、不思議な気持ちになった。
でも、別に不思議な話ではなくて、もしかしたら別の産院ではてんやわんやだったのかもしれない。

妊婦の頃の日記を読むと、知ってはいたけど私の悪い癖がよくよく見えてきた。

「考え無し。下調べしない。予習しない。した方がいいと知ってるのにそれをしない。」

どう形容するか羅列してみたが、しっくりくる言葉というのは先人たちがちゃあんと世の中で浸透させてくれているものである。

がっつり、「見通しが甘い」。

日記をよく読めば、産前数日前から前駆陣痛もずいぶん多いし、あの日に生まれるということを身体はわかっていたんだと思う。
先生もそれを知っての「生まれてると思う」発言でしょうに。
きっと赤ちゃんも、なんか居心地わるーい、と1週間前くらいから思っていただろう。

それを知らずに、自分の体のサインにも気づかずに、のほほんと観光に歩き回ったり、逆に入院準備も出産5日前にやってたり、呼吸の練習とか全然しなかったり。
初産だししょうがない、と脳内会議で言ってはみるものの、圧倒的多数が「本当にそうか!?」と反論の声を上げている。

この見通しの甘さは、今後少しでも改善させていかなければ、家族に迷惑をかけることになる。
気をつけねばならない。

ええと。脱線した気がする。何を書きたかったかというと。

産後バカ、という言葉があるらしいのを先輩ママから聞いた。
なるほど確かに要領がこんなに悪かったっけ?と思うくらい物事が上手くできない。気がする。
元々こんなもんだった可能性もあるが、どうなのやら。

しかし日記を見るに、まあ以前から多少要領が悪かったのは認めるものの、
たしかに以前の方がしっかりしているように見受けられる。

というのも日記を読み返したところ微々たる根拠があって、
子育て開始1年の後半よりも子育て前半の方が、
「未来にこの日記を見た時にどう思いたいか、何を残すべきか」をよく考えて書いてるな、と思う。
たとえば、前半の頃にオムツのタイプチェンジの話を書いていて、テープタイプからパンツタイプへいつかは変えたいなーと書いてある。
つまりこれは未来の私に「ついに変えたよ!パンツタイプに!」という記念日を書いて欲しい、という、過去の私からの「フリ」だったのである。

それを受け取るはずだった後半戦の私は、
「オムツがいつ変わったかなんて書かなくてもええな...パパに話せば実務上の問題は無い」と思い、切り替えたタイミングの記載を完全にスルーしてしまっている。
では補填するために何か書くか、と思ってももはや思い出せないというのが、これまた産後バカのせいにしてしまえばそれだけなのだが...なんとも悔しいものである。

中盤に差し掛かってようやくこの長文の意図を明確にすると、
この年の瀬にこの1年の育児日記を読み返し、得た気づきを悔しさや後悔とともにこの駄文に刻みつける、反省会のようなもの、である。

スルーしてしまったイベントは他にもある。
ハイハイ始めた記念日(気がついたら這ってた)、お出かけ記念日、外食記念日、あとなんか前文を書いてる途中であっと思ったのに完全に忘れてしまってるやつ...
ほか多数。

なるほど自分がその立場になって見ればわかるのだが、子育て中色々不安になって、色んな先輩ママに「〇〇っていつ始まりました?」と聞いても
大抵のことは「えー...いつだったかな?」とふわりとして明確な答えが出てきたためしがあんまりないのは、きっとこういうことなんだろう。
みんなソラで言えるほど1個1個のイベントについて覚えられないし、ましてやクイズ形式でダーダン!というふうに突然聞いても、出てくるわけが無いのである。

まず質問の仕方(クイズ形式)が悪いので、次からはお母さん方がイメージしやすいよう、歩き始めた頃...ハイハイした頃...には〇〇でしたか?など、
赤ちゃん本人の発育と結びつけて尋ねるようにすれば、大抵のママは何ヶ月頃に歩いた、とかはぼんやり覚えてるものだから、答えが導き出されやすいことだろう。
うん。

なんかまた脱線した気がする。

と言うわけでまた失われし数多の記念日のことに戻るんだけど、戻るのそこでいいのか、まあいいや。

脳内会議の感情論派が「そんなん言うたってやることいっぱいあるんやから(1個1個の記念日なんて)覚えられるわけないしそれを克明に日記に書き記すとか忙しくて無理やろ!」と言って暴れている。

そうなのである。
発育が進めば進むほど、仕事は増える。
寝かせておけるかわいいけど時々泣くイキモノは、飛ぶし歩くしぶら下がり抵抗する荒ぶり生命体に進化していくのである。

そして離乳食づくりのこと、職場復帰や育休のこと、保育園のこと、お金のこと買い物のこと、オムツのランクアップどき、どうやってあの場所への侵入を阻むかの対策検討、次の発育に備えて買うべきアイテムの検討、などなど、
考えることは都度増えていくのである。

しょうがねえ、としか言いようがないじゃないか、とは感情論派の意見だ。

そこに意義を唱えるのが理性派現実主義タイプ、「子育てアプリにある機能を駆使し、今日は〇〇記念日と一言書き込むだけで済むのでは?」と、

何でもっと早くそれに気づかなかったんだバカモノ。
タイミングが遅すぎる火の玉ストレートに感情論派が一部抵抗をみせながらも、会議ではこの案を全会一致で採択した。
明日からやる。毎日がサラダ記念日。
俵万智って今も生きてる人らしいねってよく言われますって本人がどっかのインタビューで言ってた。私は知ってたぞ だって教科書の生没年のとこが~で終わってたもの。

さてここからまだまだ続くような気配を見せておきながら、思いついていたぶんはあらかた書けたのでそろそろ寝とこうかな、と脳内会議ではなく普通に思い始めたところである。

やっぱり年末はみんな何かしら1年を振り返ってるので、すげーなーいいなーと思ったのでそれをやりたかっただけだし、
たまにはちょっと考えて文章作らないと色んな場所でアホっぽい文章になってきてる危惧があったし、
なんやかんや言うて指一本で声も出さずチマチマと自分を表現できる文章って最高にエコで持続可能なアクティビティだし、
こうやって書いてたら、
結論っぽい感じにあーその時そのときで自分必死に頑張ってたんやな、って思えて、悔しいとか後悔とかより先に自分に「お疲れ様」って思えるようになったし。

妊婦時代、コンビニ店員の女性が「ほんとあっという間だからね、楽しんで頑張ってね」と言われたことがあって、
子育てのさなかの自分にとっては「メッチャ濃い1年」にしか思えなくてここに来るまで半信半疑だったのに、今では
「たしかに。だって人生30数年のたった1年で、未来の自分にとったら80年のうちの1年なわけで、しかもこれから2歳3歳になってもだいたいこの密度で思い出積まれていくんでしょ?体感一瞬でもおかしくないわ」
と脳内おばちゃん会議で井戸端会議のオバチャンたちよろしく くちぐちに悲鳴が上がっているところを見ると、

私ってやっぱこの1年必死に頑張ったんだなと、あ、この話さっきもした?そうか。

つまりコンビニマダムにあったあの瞬間に戻れるならこうお返事したい、「それな!!!!」と。

最後にもうひとつ、日記を読み返してて気付いた自分の心境の変化のことだけど、
もっと初期の頃みたいに、日記に弱音吐いたり弱み見せたりしていいと思うよ、と未来の私に言いたい。

悩みもつまづきも、いっそ育児のイライラも、序盤は素直に書いてたんで、今の自分はちょっとギクッとしてしまった。
まぁ色んな人が見てるし、それ読ませて心配かけるのもよくなくね?とは思うけど、
日記じゃん?自分のためのものじゃん?もっとずっと先の未来の私が読んで、「あーこんな事で悩んでたんだ」とか思ったりして、
むしろ自分の感情がありのままに書かれてたら、未来の私とは必ず繋がるはずなんだよ、感情って。
それにひきずられて思い出もきっと蘇る。

だから書きな。あなたの思ったことをそのままに。

この子を愛しく思った瞬間も、
こにくらしく思える瞬間も、
驚かされ笑わされた瞬間も。
ありのままの思いを残して、明日の私につないでいきなよ。

それとあと二三書いておきたいこと。

来年の座右の銘は「退路を絶て」でいこう。

別のことに逃げる言い訳をするな。
いちどこの道しかないと結論づけたなら、きっとそうなんだ。私が幸せになる道はここを進むしかない。

それと、自分の「見通しの甘さ」は、これからはこどもに返ってくることを忘れるな。

雷のひどい夜、幼い頃の自分を思い出して、「今の私はひとりじゃない」と気づいたけど、
この子が雷が怖いと震えた時に、私がしてやれることはなかったのか、それを考えて、‪”‬先手‪”‬で行動するのが親なのだと。
そういう考えに慣れていって欲しい。
てことは先手必勝もサブ座右。

たとえば安心感のある大きな家。地下室に入るとか防音室があるとか。それくらいの夢を持とう。
スバルの車を買うのはちょっと夢見てる感じだけど、家はちょうどいいかな。現実味あって。

私は私の仕事でこの子を守る。
それを忘れなければ、私はなまけずに出来ると思う。

とはいえ、
今年は半年以上も決めたことをブラさずに模索したし、wordpress契約して形も作り始めて、微々たる行動をできたのは今までにない進歩だと思う。

来年、それこそ兎年だもんね。飛躍しよーぜ。

頑張ろうよ、わたし。

(寝る)

D.C

(読み返して誤字脱字意味の足りないところチェックしたし今度こそ寝る)

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