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日傘の彼女

東京旅行も5日目、暑さに辟易していた午後一時頃、私は東京文化会館の前でコンビニで買った昼食をとった後少しばかり心が暗くなっていた。
というのも些細なことなのだが、入ろうと思っていたカフェがあらかた満員だったこと、昼に買ったアイスのカロリーが思ったよりも高かったこと(拒食脳持ちにはそれだけでもかなりのダメージである)、暑さと疲れでヘトヘトだったこと、あげくのはてにアイスのチョコ部分を気に入っているバッグに落としてシミをつけてしまったことなど、いろいろと小さな嫌なことが重なっていたのだ。
そんなわけでぼおっと道行く人を眺めていた時だった。
「すみません!ちょっとお話しいいですか?」
見上げると、日傘をさした笑顔の女性が立っていた。まさか宗教の勧誘か?なんて身構えていると、
「日本人ですか?」
「…そうです。」
「よかった~」
日傘を畳んで隣に座る。聞くと、彼女はシンガポールからボランティアで日本に来ていて、日本語の練習をしたくて話しかけてきたらしい。おおきな目を輝かせながら日暮里に住んでいること、教会で聖書を教えていることを教えてくれた。
私が九州に住んでいて今は旅行で東京に来ていると言うと、九州!分かる!シンガポールは小さい。東京の三分の二くらいしかない。それと日本の夏は暑すぎる。シンガポールは30℃くらいにしかならない。
と教えてくれた。
10分ほど話した時、
「あなたを祝福していいですか?」
どうやらお祈りの言葉を唱えてくれるらしい。Google翻訳で英語から日本語に翻訳してから、祝福の言葉を読み上げてくれた。
キリスト教のことは全く分からない私の頭には最後の「アーメン」しか残らなかったものの、なんだか嬉しくなった。ありがとう、と伝えるとニコッと笑ってくれた。
「暑いから、気を付けて」
そう言いまた日傘をさして颯爽と歩いて行ってしまった。すぐに雑踏に紛れて見えなくなってしまった彼女の背中を忘れられなかった。

もし自分が全く言葉が通じない国に一人でいて、言葉がまだ十分に話せないとしたら、こんなふうに誰かに話しかけるなんてことができるだろうか。
嫌なことなんてなんだかもうどうでも良くなっていた。
旅先でのいい出会い、だったんだろうか。
今頃彼女がどうしてるかなんて知りようもないけれど、どうか幸せでいてくれたら、そしてこれからも日本でも母国でも幸せでいてくれたら、と思う。


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