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丸山ゴンザレス『世界の危険思想〜悪いやつらの頭の中〜』感想

※2022年9月執筆。

本著は「はじめに」にある通り、何か具体的な政治思想や宗教思想の過激さといったものを取り上げるのでは無い。世界各国の「悪いやつら」──殺人犯、殺し屋、強盗、武器商人、マフィア、ギャング、麻薬の売人、薬物依存者、集団暴行する人、悪徳警察官…といった人々が何故そのような行為をするに至ったか、というのを、これまで命懸けで取材してきた著者が実体験を追想しつつ解明していこうと試みる内容である。
とはいえ、取り扱う対象は刺激的だが、文章自体はあっさりしており、あくまで事実を伝えるという姿勢に徹しているように感じた。

本著の初版は2019年と比較的最近書かれた本のためだろうか、これまでの著作と比較してエクスキューズが多く、有名になるとその辺り気を遣わないといけないのかなと勝手に同情した。
後書きに「説教臭いことも書いてしまった」とあり、確かに最後のほう、丸山さんには珍しく、われわれ読者を啓発するような文章があった。少し驚いたが、過酷な取材経験に基づく言葉には血が通っている。だから説得力を感じこそすれ、説教臭いなどとは感じなかった。
有名になったからこそ、彼の抱いている理想や自論を語ったりするのは良い事だと思う。私たち一般読者では恐らく一生お目にかかることの無いような(そうであって欲しいものだ)光景や人間を何度も見て来た著者が、それでも自分や他人に期待しているというのはむしろ救われる。

「NPOフィルター」という言葉を初めて知った。GoogleでもTwitterでも検索に引っ掛からなかった。「取材者の間で使われることがあった」とあったので、一部のマスコミ用語らしい。東日本大地震発生当時に用いられていたとのことで、要するに「被災者は可哀想で、貧しく、困窮していてなければならない」というボランティア側の(勝手極まりない)お気持ちを指す。
これは、われわれがスラム街の住人たちに抱くイメージにも共通していると言う。確かに日本の水準からしたら貧しいに違いないのだが、以前見た小神野氏の写真集でも、ガリガリに痩せている人の写真はほとんど無く、綺麗な服を着ている人も多かったし(南アフリカのスラムでは、皺一つ無いワイシャツ姿の男性も写っていた)、笑顔で遊ぶ子供たちの姿もあった。
苦しんでいる人や苦しんでいる時間は勿論存在する。金があるのに越したことは無い。しかしNPOフィルターを通さず見れば、思いの外彼らは"普通に"暮らしているのかも知れない。先入観に囚われて多面的な見方が出来ないのは良くないよ、と丸山さんは伝えてくれているのだ。

インドのカースト制度で、売春を生業とするカーストが存在することも初めて知った。「インド カースト 売春婦」で検索したらすぐに「デーヴァダーシー」というカーストであると判明した。
ウィキペディアの要約。かつて彼女らは、神と結婚した寺院お抱えの踊り子として宮廷行事等に参加し、土地の権力者や高カースト男性の愛人的な立場として生きていた(神と結婚しているから人間と結婚出来ない)。聖と俗ってやつだ。1988年にインド政府がデーヴァダーシー制度を廃止したが(植民地支配したイギリスの影響)、他に対策を取らなかったため(恐らく、売春に代わ仕事を与えなかったという意味であろう)、寺院の外で売春せざるを得なくなった。
「寺院の外で〜」の部分には「要出典」とあるので執筆者の主観かも知れないが、本著の内容とぴったり重なっている。関連して見つけたこの本は後で読んでみようと思う。
カースト制度自体は広く知られているものの、現代の日本人には想像が難しい文化である。それにしても売春婦のカーストが存在するとは驚きである(ちなみに、そのカーストの男性はほとんど働かず、雇われで農業に従事する場合が多いそうだ)。

薬物中毒者の話。真っ先にオピオイドを取り上げてくれるのは流石である。体の痛みを和らげる薬は精神の痛みも和らげる。勿論それは対症療法に過ぎない。効果が切れればまた絶望的な「痛み」──意識や自我とかいう不愉快極まりないもの──が襲ってくる。
ヘロインを始めとする、死と近い位置にあるハードドラッグのジャンキーに感情移入してしまう。ジャンキーになって彼岸の世界を漂うのと、生身──つまりシラフで生きて現実に切り刻まれるのと、或いは耐えきれず本物の彼岸の世界に逝ってしまうのと、何が善で悪で、何が正常で異常なのだろうか。

メキシコの麻薬カルテルの話と、ブルガリアの武器商人の話は緊迫感が伝わってきてとても面白かった。
特に武器商人の話は、ギリギリの状況下で咄嗟に機転を利かせ"日本から銃を買いに来た客"の振りを装い、実際に取引されている銃の写真まで見事収めており感動した。ただ話を合わせるだけで無く、ジャーナリストとして写真を残す事を諦めなかった姿勢は凄い。

ニューヨークの地下住民の話。これも大変興味深い内容だった。日本では、地下といえば下水道の通る場所で、とても人間が暮らせる場所では無い。ニューヨークにも勿論地上で生活するホームレスは居る。しかし地上では無く、あえて地下生活を選んだ人々。著者は彼らとの取材を通し、こう考える。

人は人との関わりのなかで心に傷を負う。その結果、人から離れることもある。独りになってみると、独りでは生きていけないことに気がつく。今度は人間関係を限定的にして人付き合いをする。また人付き合いで傷ついて、独りになろうとする。これを繰り返しているとわかっていながら、決していい方向にいかないスパイラルのなかにいると自覚していながら、苦しみながら生きていくしかないのだ。

「悪いやつら」とされる人々にも、私たちと同じようにそれぞれのバックグラウンドがあり、感情があり、考えがある。著者は彼らを単純に「悪いやつら」として断罪する視点では無く、遥か遠い世界の話として片付けるのでも無く、あくまで同じ一人の人間として接している。
今のところ、クレイジージャーニー的要素が一番近いのは本作かなと思う。「思想」と呼ぶほどの領域にまでは至っていないのが残念だが(これは著者も自認している)、先述したインドの売春婦カースト然り、自分の知らない文化を知るきっかけを作るには丁度いい本だと思う。

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