國友公司『ルポ西成-七十八日間ドヤ街生活-』感想
※2022年9月執筆。
國友公司さんは、裏社会ジャーニーで知ったライターの一人。西成区あいりん地区については中学生の時に知った。当時(今もだが)新宿ゲバルトというビジュアル系ユニットが好きで、彼らの曲の一つに『ドヤ街、味噌、女子。』というタイトルがあり、この"ドヤ街"って何だ?と調べたのがきっかけである。その頃は、あいりん地区の写真を撮ったら殺されるとか、女は一人で歩いてはいけないとか都市伝説めいた噂が流れていたので、昨今の状況を見るに、だいぶん平和な地域になったようだ。
ずっと興味はあったのだが行く機会を逸し続け、その内YouTuberやサブカル好きの若者が手軽に行ける風変わりなスポットとして消費するようになってしまい、行く気が起きなくなってしまった。今やあいりん地区は福祉の街である。もし今後自分が訪れる機会があるとすれば、そこで生活する時になるだろうとぼんやり、やや鬱々とした気分で考える。
本著はタイトルが表す通り、國友氏があいりん地区、すなわち西成区に78日間潜入した模様を描いたルポ作品である。
西成と言えば日雇い労働。国内の3大ドヤ街として有名なのは、大阪の西成、東京の山谷、神奈川の寿町であるが、この3つの地域に共通するのは、日雇い労働者の街である事。特に寿町(黄金町、日ノ出町)は海が近いという地域性もあり、港湾労働者が多い。こちらに関しては、西村賢太氏の著作で当時の様子が垣間見られる。日雇い労働者たちが安価な宿を生活の拠点とし、その周辺に大衆居酒屋や風俗街も形成される。街の中で全てが完結しているのがドヤ街の特徴である。
西成を訪れた國友氏も早速、日雇い労働を始める。彼が就いた解体現場で、任された仕事をうまくこなせないでいたら、上司的な立場の人間から「兄ちゃん今大学生かなんかか?というかお前学校出てるんか?」と訊かれた件りはシンパシーを感じた。正直に「先月、筑波大学を卒業した」と答えると「筑波大学?兄ちゃんなんでこんなところにおるねん?そんな学校出てるならいくらでも働くところあるやろ。もったいないわ。俺なんてこのポジションに来るだけで十年以上かかってるんやで。でも兄ちゃんはここにいる人間たちを使うような人や。こんな仕事するような人間じゃないやろ。」(69-70頁)と言われてしまう。
私の出身大学は、筑波大学と比較したらなんということも無いが、それでもこれまで、大手企業に勤めない(※多分勤められない)でいたら「なんでうちなんかで働いているの?」「もっと良いところで働けるでしょ」と何度も言われた。著者と違って「自分にしか出来ない仕事に就いて、周りから尊敬されるだろう」とは、生まれてから一度も思った事が無いので、挫折感のようなものは無い。
しかしそれなりの知名度がある大学を出て、同窓の友人たちは誰もが知る企業に勤め安定した生活とやらを送ったり、或いはやりたい仕事に挑戦し続けたりしている中、未だ精神も生活も不安定そのもので何も出来ず、挙句「人間が怖い」などと宣っているだけの自分は、本質的に大きな欠陥があり、大きく劣っているのだなと思わされる。中小企業に知名度のある大学卒業者が居ると、「何か人格に問題があるのだろう」と周りから勘繰られる事はしばしばある。
それにしても、著者の愛され体質はなんなのだ。大阪という土地柄もあるのだろうか?今時分、健康な若者がドヤで日雇い労働者をしているのが珍しかったのかも知れない。それらも含めて察するに、裏社会ジャーニーを視聴した限りの印象だが、謙虚かつ朴訥とした話し方とか、ボソッと面白いことを言うところとかが受け入れられやすいのだろう。大阪特有のしつこいフリにもきちんと応えたり、興味の無いギャンブルに付き合いで行ったり、年上から好かれるタイプであるのは間違いない。
本著が単なる体験記では無く、そこから一歩踏み込んだ作品になりえたは、彼の性格によるところが
大きいと思う。あいりん地区の複雑で厄介そうな人間関係に立ち入ってゆき、しかし適度な距離を保てたバランス感覚に賢さを感じる。
著者も、彼と交流する周りの人も、あだ名の付け方がうまい。一番ウケたのは、髪の毛を紫色に染めている、通称"紫のババア"。なんの捻りも無いんだけど、"紫ババア"ではなく"紫のババア"なのがワンピースの二つ名みたいで良い。
紫のババアのエピソードは、短いながら強烈で面白かった。彼女に限らず、みんな強烈なエピソードがあるからあだ名をつけやすいのだろう。あと、いつも同じ格好をしている人が多いからキャラクター性が強い。
一つ気になった点。包み隠さず本音を書いているという意味では、本著を個性的な作品たらしめた長所でもあるのだが、どこかあいりん地区の人たちを軽蔑しているというか、取材対象としてしか見ていないような表現が散見されたのが引っ掛かった。まあ、当の本人たちはそんなこと露ほども気にしていないんだろうけど。後書きを読む限り、みんな喜んで購入、回し読みしていたそうだし。
とは言え個人的な感想としては(ずっと個人的な感想だが)、「自分はここに居る人間とは違う」という感覚が抜け切らず、本を書くために西成に来た事を自己顕示欲から明かしてしまうのは、人間らしいとは思うものの、その時点で潜入ルポとしての鮮度は下がってしまったと思う。
特に、生活保護受給者に対して向けられる批難の目は厳しい。「国からお金を貰っておきながら」と何度も書いていたり、「不正受給になるが、週に何回か日雇い労働している生活保護の人間のほうが良く見える。ただ寝ているだけの人は、なんで生きているのか分からない」というようなことを書いたりしているのはどうなんだ?と思った。
ずばり「生活保護は犬のよう」と述べている箇所もある。一応、「あいりん地区内の生活保護」に限定して、その生き方や態度を批判しているようだが。
こんなふうに感じるのは、私が実際に彼らと接していない故の綺麗事なのだろうか。労働先の宿で(著者は解体現場の後、「南海ホテル」というドヤの従業員として働く)、宿泊している生活保護受給者に見下され、家政婦のように扱われたら同様の感慨を抱くのだろうか。
「見下されて腹が立つ」までは分かるんだけど、そこに「おまえたちの金じゃないくせに」が入ってくる感覚がよく分からない。國友氏の言う「生き物としての正しい姿」みたいなのもあまり共感出来ない。そういう正しさや理想みたいなものを掲げるから、思い通りにいかず雁字搦めになってつらいんじゃないのか。
…これも他罰と自罰のすり替えか?國友氏ほど鮮明な指標を持っているわけでは無いけど、今の生活に虚しさを感じているのは、やはり周囲との比較や、最低限こうありたい、こうあるべき、みたいな理想の燃え殻みたいなのが残っているからだろう。プライドといえば聞こえは良いかも知れない。しかし自分が人並みのプライドを持ったところで傷付くばかりである。
話が逸れた。批判的な事を書いてしまったが、全体としては西成で暮らす人々の人間模様・人間関係がとてもよく描かれた作品だった。労働者の高齢化に伴い、かつてのような活気は失われたものの、今も尚、私たちが暮らす社会とは趣を異にする街であることが伺われる。
動画を視聴してピンと来た方はぜひご一読あれ。
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