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ギュスターヴ・シャルパンティエ(1860/6/20 - 1956/2/18)の音楽小説 (roman musical) 「ルイーズ」 (1900)

 初演したのはドビュッシー「ペレアスとメリザンド」同様にアンドレ・メサジェ指揮オペラ・コミックでした。パリ、モンマルトル庶民の日常を描いた作者自身原作の台本の内容からモーパッサンやゾラの自然主義に影響された実験的な野心作、みたいな扱いが目に付きますがそんな括りには無理があり過ぎ、モーパッサンはともかくゾラというなら所謂ヴェリズモ・オペラ、フランスならばシャルパンティエの師匠マスネの「ナヴァラの娘」の方が親和性がありそうですし、映画批評における蓮實重彦さんに倣えば作者自身「音楽小説」と銘打ってるなら尚更、説話論的な評価よりも音楽そのものに目を向けるべきで、その点1983年にラ・モネでライブ録音したシルヴァン・カンブルランのライナーノーツへの寄稿が秀逸でした。ドイツの舞曲「アルマンド」に起源があって、中産階級の台頭がヨーロッパ全土に広まった背景であるとワルツの歴史を振り返った上で、中産階級の物語である「ルイーズ」の劇構造の根本が三拍子、ワルツである事を指摘しています。
 第一幕は逡巡、ためらいがちのワルツだと。二人の恋愛がまだ成就しない事と並行し、三拍子がメロディを支配するに至らない。ジュリアンとルイーズのデュエットの最後にルイーズの母が現れて流れをぶち壊す。父の音楽は重々しいワルツや12/8拍子の瞑想的、受動的なもの。
 第二幕はめくるめく回転=パリの快楽へと発展してゆく過程で、幕開けは夢遊病の男(=第三幕の愚者の法王)、パリの夜明けが描かれる第一場はゆっくりなワルツで締められ、第二場ルイーズの職場の場面では六拍子(3/4の二倍)のワルツでパリの魅惑を唄う。
 第三幕第一場はウェーバーの「舞踏会への勧誘」のように始まり、ルイーズのアリア「その日から」を経て、パリ讃歌の二重唱はワルツで陶然。第二場、群衆の行進曲から愚者の法王の場、ますます加速し狂乱が頂点に達した後、母親がまるでモンテヴェルディ「オルフェ」の死のメッセンジャーのように現れる。第一幕もそうだが、実の母親にこれだけ悪魔的な音楽を充てる例は聴いた事がない。いやありましたね、R・シュトラウスの「エレクトラ」が。
 第四幕は記憶の、回想のワルツ、全てが静かに進む父母のペースだが、ルイーズはそれに背を向けパリの音楽、自由と若さの音楽へと飛び出して行く。
 お針子と自称詩人との恋ならばプッチーニ「ラ・ボエーム」ですが、両親との確執、ジェネレーション・ギャップを扱うなどより現代、現実的。あるいは第三幕の狂乱の群衆シーン、登場するのは芸術家たち、アラブ人の行商人、物売りたち、浮浪者たち、物乞いたち、住人たちってこれはもはや現実とは思えない妄想、限りなくL・F・セリーヌの描く幻視の中のパリに近い。

 アルマ・マーラーが評して最初のシュールレアリズムだと言ったとか(ただ彼女は後出しじゃんけんの作り話多いからなあ)、特異な傑作だと思います。お願いだからカリスト・ビエイトをこの曲には近づけないで欲しい。

 ディスクは作曲者監修の短縮版、ビゴー指揮ニノン・ヴァランとジョルジュ・ティル(1935年)は歴史的名録音でしょうが、オーケストラの魅力は新しい録音が欲しい所で、ジョルジュ・プレートル指揮ニュー・フィルハーモニア(1976年)は絶妙のドライブに歌唱陣も粒揃いです。シルヴァン・カンブルラン指揮ラ・モネ(1983年)も健闘していますがゆったりめのテンポを選択するため少々刺激や毒気が薄まっているかも。
 1992年のアルミン・ジョルダン、何処での上演か不明ですが…流石! 音楽はいちばんしっくりくるす。

 2007年パリ・オペラ座、カンブルランで演出はアンドレ・エンゲルもありました。

第三幕の馬鹿騒ぎを(田舎での)アメリカ大統領選挙集会風に演出したのは秀逸、それならば現実感高目。
 パリのワルツのアルバムをリリースしたフランシワ=グザヴィエ・ロトとレ・シエクルが、何というか目の醒めるような演奏してくんないかなあ? 

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