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ルイ・フェルディナン・セリーヌ(1894/5/27 - 1961/7/1)

 寡聞にして知らない事だらけで恐縮ですが、失われていた、というかL. F. セリーヌ自身の主張では略奪され焼き打ちにあった事になっていた未発表原稿が突然世に出て、フランスで出版されていたそうで、その一部が「戦争」と題され邦訳が昨年末出版されました。遅ればせながら取り寄せて眼を通し始めています。
 処女作「夜の果てへの旅」(1932年)と第二作「なしくずしの死」(1936)の間に位置する時期のものでした。後年深入りしてゆく政治パンフレットの時代の頃のものなら日の目を見ることはなかったでしょうが。

 初めてちゃんと読んだのは生田耕作訳の中公文庫で「夜の果てへの旅」を通読、それほどにどぎつい印象は持てず、やっぱ翻訳で読んでもホントに読んだ事にならんのかなあと意識する一冊ともなりました。

 日本語しか、翻訳でしか読めない政治パンフレットって言われ読んでみると、まあ中身はどぎついかもしれないが、何処か実感が湧かない戯作というか、伝・明治〜大正文豪の裏本を垣間見ているといった程度の背徳感でしかなかった。それも問題す、コンプラ。

 むしろ今になって、反ユダヤ主義、ナチス占領下のフランスの問題に少しは私の認識が深まったかもしれんが、しかし世界は、例えば中東問題は何も進展せずにいる。真偽の境が曖昧な情報に溢れてる一方で、コンプライアンス遵守が叫ばれ、過去の出来事についても魔女狩りの様相を呈したりする状況も、ひどいよねアメリカってレヴァインさん。
 L. F. セリーヌについて興味はいつも変わりません、たまに読み返してみる。猫好きだしね。彼の著作とどう付き合っていくべきなのか。

 ラクー=ラバルト以降、どうハイデガーと付き合ってゆくべきなのか。そしてそのハイデガーと親交が深かったルネ・シャールとはどう付き合うのか?


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