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しりとり

ヘイワース  ウェーベルンの音楽についてはいかがですか。
クレンペラー  わたしには理解できません。もちろん知ってはいますが..…。わたしは彼の交響曲をウィーンでもベルリンでも指揮しました。しかし作品のなかに入りこんで行けなかった。おそろしく退屈だと思ったのです。そこでウェーベルンにわたしのところに来て、その曲をピアノで弾いてきかせてくれとたのみました(...中略)そうすればたぶんもっとよく理解できるだろう。彼はやって来て、一音一音ものすごい激しさと熱狂をもって演奏したのです。

 最後の一文、ある予感が働いて是非原文を見てみたいと感じたが、検索してみると原本はもう簡単には手に入らない雰囲気だった。ところが、全く失念していたがピアノのための変奏曲書き込みあり版の序文に引用されていたのを見つけた。
He played every note with enormous intensity and fanaticism…
やっぱりintenseだ。

この音楽は実にきびしい。全くきびしい。このような、きびしい音楽が、あんな、ひどく小柄な男から生まれるとは。

 ご存知の方も多いと思うが、来日したストラヴィンスキーが日本人作曲家の作品の録音を聴き、なかでも武満徹の「弦楽のためのレクイエム」を評して言ったとされる言葉です。日本の批評家に他作品を「音楽以前」などと酷評されていた武満徹がこれをきっかけに評価を高めていった伝説的エピソードだ。翻訳したのは三浦淳史さんの筈で私が初めて読んだ文章では、きびしいの横にカタカナのルビで「インテンス」と書いてあった筈。
 激しい、と訳されたり、きびしい、と訳されたり。フランス語なら「強度」? ドゥルーズのフランシス・ベーコン論? 個人的には、強烈な、がしっくりくるかな。

 翌日、4月6日(火曜日)、バーンスタインが第3幕の男爵の退場に先だっての喜劇的な場面に入ってまもなく、イゴール・ストラヴィンスキーの死の知らせが伝えられた。バーンスタインも、オーケストラも、独唱者もコーラスも(その日はたまたま一緒だったのだ)、1分かそこいら、言葉もなく、呆然と立っていた。
 (レコーディング・ノート〜苦しみと歓びに関するプロデューサーの報告 ジョン・カルショウ より)

 ウィーンフィルとのばらの騎士セッション録音中のエピソードであるが、ウィーンフィル、ストラヴィンスキー、バーンスタインとは何ともミスマッチなと思ってしまう。ウィーンの人が老年のストラヴィンスキー死去で呆然とするか? それにそもそもバーンスタインがストラヴィ…

 わたしがマーラーの第九を指揮することになっていたコンサートの直前に、ロバート・ケネディ上院議員が暗殺されたので、わたしはモーツァルトの『フリーメーソンのための葬送音楽』でそのコンサートをはじめようと言いました。すると、オーケストラ運営委員会がロッテに話に来ました。なにか都合の悪いことがあると、連中は必ずロッテのところへ言ってきて、けっしてわたしのところへは来ません。「『フリーメーソンのための葬送音楽』を演奏するというこの決定は誰がしたのですか」と連中がたずねました。
 「父ですわ。」
 「しかしですね、いいですか、これは政治的なことなのです。」

 「政治的ですって?」
 それでわたしは、この曲は暗殺された上院議員の追悼のために、指揮者の特別の希望により演奏される、という告知をプログラムに入れさせました。すると音楽協会の理事ガムスイェーガーが、「ちょっと、プログラムのなかのこの《暗殺された》という言葉はまったく見苦しいね。《追悼》とだけ書くことはできないだろうか」と言い、わたしは同意しました。
 ウィーンとはそういうところです。しかしですね、その周辺は
 ー ゼンメリング峠もグリンツィングも ーすばらしいし、街通りの舗石にも音楽が、偉大な音楽がしみこんでいる。わたしはウィーンを愛しています。
(クレンペラーとの対話 より 205ページ〜)

 なんとまあセンチメンタルな…

 これで一周、円環は閉じたことにして下さい。

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