見出し画像

ユリシーズの瞳(1995) テオ・アンゲロプロス(1936/4/27 - 2012/1/24)

 バルカン全体を舞台にした映画。いつものように曇りだけどアンゲロプロスには珍しく綺麗な青い帆青い船の北ギリシャのテサロニキ、内陸フロリナ、アルバニアのコルツェ(コリツァ)を経由し雪山を越えてマケドニアのビトラからスコピエへ。ブルガリアを横断してルーマニアのブカレストから生家のあるコンスタンツァ(コスタンザ)。旧友の待つ新ユーゴスラヴィア(現セルビア)のベオグラード(ベルグラード)。ブルガリアのプロブディフ。そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナ、戦禍のサラエボへ。
 数々の印象的な場面に遭遇する。にもかかわらず最も記憶に残るのは、痛切極まりない“映さない”場面。思いだすのは二人、先ずはオムニバス「リュミエールと仲間たち」の吉田喜重のー編、「何でも描けるなんて映画は思い上がってはいけない、映画は決して広島の原子爆弾そのものを撮影することが出来なかった、映画には描き得ない出来事があるんだ」という言葉。そう言えばアンゲロプロスもこのオムニバスに参加してる(ユリシーズ!が海から上陸するシーンをリュミエール兄弟のシネマトグラフで、結果映像では半魚人映画とあんまり区別つかないのが可笑しかった)。
 もう一つ、「ショア」の監督クロード・ランズマンの「シンドラーのリスト」への痛烈な批判、“ホロコースト”を劇映画にする事は不可能だという主張で、自らは膨大な証人の記憶を丹念に集め保存するという方法で、直接目の当たりに出来ない出来事の“不在”の重みを示し得た。
 アンゲロプロスも同じ倫理観を共有している。それにしてもこの映画に限りませんが、映画館で観た体験に勝るものはない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?