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私の魂はサイゼリヤに在る。


今日は日曜日。仕事は休みで予定も無かった。テキトーな文章でも書きに行くかー、と思い、一度も行ったことが無かった最寄り駅近くのカフェに来てみた。

ドトールやコメダに比べるとお洒落ではあるけれど一応チェーン店だし、街中からは離れた地域なので、ちゃんとした格好をした人ばかりではないだろう……。と思い、髪をヘアクリップで雑にまとめ、すっぴんでやって来た。……が、私の予想はまあまあ外れていた。街中を歩いても全く問題がないような、小綺麗な格好のお客さんしかいなかった。店員さんもなんか小綺麗だった。一人用のカウンター席は、椅子が高くて足が地面につかない。

魂が、休まらない…。

先週の月曜日は、魂が喜んでいた。友人と二人でサイゼリヤに行ったから。

お互い、食べたいものを食べたいだけ注文した。追加注文も何度もしたし、ピザとピザとパスタ、とか、アロスティチー二(ラム肉を串に刺したやつ)とチョリソー、みたいな、「そのジャンルはどっちかでよくない?」みたいな注文も平気でした。

安くて美味しい、というのはサイゼリヤの魅力を語る上で絶対に外せない要素だけれど、この店の良さはそれだけではない。

店内のほとんどのお客さんが、魂を解放しているのだ。

そんな本音すぎる本音、言っちゃっていいのかい……と思うような話が、各テーブルで繰り広げられている。実際には、両隣のテーブルくらいからしか話の内容は聞こえてこないのだけれど、本音すぎる本音の話をしている時の雰囲気というのがあって、その雰囲気が店内に充満している。私はそれがたまらなく好きだ。

私は今年で24歳になる社会人だ。人によってはちょっといいお店にも通うようになる年齢なのだろう。もういくつか歳を重ねたら、「サイゼ大好き」と大声で言うことは痛々しいと思われるのだろうか。界隈によっては既にアウトなんだろうか。一生リーズナブル界隈で生きていくであろう私には関係ないことかもしれないけれど。

でもさ、多分、同年代の人たちの6割くらいはきっと、30歳付近で結婚して、子供が出来て、子供のことでお金がかかるからいいお店には行かなくなって、サイゼに戻ってくるよね。って思ってるんだけど、そんなことないのかな。

何もわからないけど、今後もサイゼリヤが変わらず、存在し続けてくれますように……。

地面につかない足をブラブラさせながら、そう祈る私であった。

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