子どもの遊び場 昔あった”おおらかさ”とは

 現代は子どもの遊び場が減っているという人が多いです。実は公園は増えています。それに対して少子化なのですから子ども一人あたりが使える遊び場は増えているはずです。それでもなぜ子どもの遊び場が減っていると感じる人が多いのでしょうか?

 私が小さい頃は公園などの子どもの遊び場とされている場所以外の探検をしたりもしました。しかし現代、特に都会では住宅がぎっしりとひしめき合っており子どもが興味惹かれるような場所は減っているのかもしれません。

 ドラえもんでは皆で空き地で遊んでいます。ドカンが置いてあることから正式な公園ではないのでしょう。昔はそういう空き地が遊び場としてある程度許されていたのかもしれません。しかし、現代ではそういう空き地はフェンスで囲ってあったりして侵入することすらできません。全国の空き地が子どもの遊び場として利用できなくなったことを含めれば確かに”子どもの遊び場が減った”と感じることがあるのかもしれないです。

 ところで何故現在ではそういった空き地が遊び場として許容されなくなったのでしょうか。それを不寛容になった、おおらかさが失われたからだと考える人がいることでしょう。私も確かに一理あると思います。

 ところで、”おおらかさが失われた”というのは誰のことを指すのでしょうか?多くの人が「土地の所有者(あるいは管理者)である」と即答すると思います。しかし私の答えは違います。「何かあったときに他人に責任を押し付けない心をもたなくなった保護者」です。

 公園内に設置されている設備で子どもが怪我をしたことで公園の管理者である自治体を訴えるという事件は現代ではよく聞く話です。訴えられるだけはなくなぜそんな危険なものを?と世間から責められることも増えています。そして遊具などが撤去されるということが現実に起こっていることは誰でも知っている事実です。

 自治体ですらそのような扱いを受けるのですから一般私人の管理する空き地であればなおのことです。最初から子どもが入って遊ばないようにフェンスで封をするしかないのです。さて、管理者に不寛容である、子どもの遊び場を提供しろということができるでしょうか?

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