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「終わりは始まり」の実際。~フリーレンの無限ループ~

葬送のフリーレン、4週目の視聴を終えた筆者です。
いやぁ…もちろん1回目に見た時の感動が1番大きかったんですけど、見れば見るほど、登場人物たちが話す言葉の意味や、その後の行動・表情の細かい変化に目が留まるので、やはりこだわりのある味わい深い作品だなぁと余韻に浸っています。

前回の記事を読んでくださった方々、ありがとうございました。
知らない土地に住む誰かが偶然記事をみつけて、一緒に「いいよね~」って思ってくれるって、嬉しいですね。
みつけてくださった方々のおかげで、あったかい気持ちになれました。
ありがとうございます。幸せです!

さて、「終わりは始まり」の実際
今回はアニメ「葬送のフリーレン」のストーリー展開の魅力について触れていきたいと思います。

前回の記事でも少し触れましたが、このアニメの始まりはちょっと普通ではありませんでしたね。
ラスボスとも言えるであろう魔王を、フリーレン含む勇者一行が倒し、街へ戻るところがオープニング。

つまり、終わりから始まる物語です。

通常のアニメだと、主人公キャラたちのその後は、第一期のアニメのおまけでついてくるようなイメージがありませんか?
内容もかなりポップな感じで。
でもこの物語は、「終わり」のその後の主人公たちの人生にじっくりスポットライトを当てています。
「終わりは始まり」という言葉はよく使われますが、その言葉を具体的に見せてくれているのが、葬送のフリーレンというアニメの魅力のひとつだと思うのです。

葬送のフリーレン公式HPより。

どんな人にも、冒険やイベントが終われば平凡な日常が待っていること。
いつかは寿命を迎え、亡くなってしまうこと。
その人の言葉や行動が
どのように生きている人々の中で生き続け
どれだけの影響を残し
どれだけ背中を押し、力になっているかということ。
そして人々に受け継がれたものは、
決して勇者の果たした
大きな偉業ゆえのものばかりではなく、
ひとりの人間としての勇者の
日常の積み重ねから生まれたものが、
拾い集めきれないほどたくさん残っていたこと。

勇者ヒンメルも、
優秀だと謳われる僧侶ハイターも、
人類最強の戦士と言われたアイゼンも、
本質は人々と何ら変わりのない、同じ人間であるということ。
フリーレンが彼女の寿命の長さを使って
大魔法使いフランメとの思い出や
勇者一行とのくだらなく笑える日常の記憶から、教えてくれます。

アニメ28話「また会ったときに恥ずかしいからね」では、
勇者ヒンメルと僧侶ハイターの死後に出会った魔法使いヴィアベルが
「俺をここまで連れてきたのは、勇者ヒンメルのくだらない冒険譚だ」
と、フリーレンに直接伝えるシーンもありますね。
こんな風に回想シーンでの勇者一行の言葉や行動もさることながら、
彼らの死後にも生き続ける登場人物たちの言葉や行動からも、
今を生きる人々、視聴者の背中を押されます。
終わりが来ても、私たちはきっと誰かの中で生き続けていくのだと。

日々の何気ない積み重ねが、誰かの人生に関わっているとしたら。
何気ない言葉が、誰かの人生の応援になっていたら。
死後も誰かの心の中で、言葉や思い出、行動となって生き続けるとしたら。
あぁ、もうちょっと頑張ってみようかなって、思えるんです。

「終わりは始まり」の実際を見せてくれる作品。
人生に迷った時にはヒンメルのように、
手を差し伸べてくれそうです。

みなさんはアニメ「葬送のフリーレン」のストーリー展開について
どんなご感想を持ちましたか?
いろんな方がフリーレンについての記事を書かれていることも、前回執筆して以降わかったので、読んでみたいなぁと思っているところです。

それではまた。素敵な一日になりますように。

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