空中の密室(2)|密室トリックの七概念

 ――――――――
 
 本稿では密室殺人のトリックを整理する。密室ミステリに用いられる標準的なトリックを理解したうえで真相当てに挑みたい人は一読をすすめるが、今後読むかもしれないあらゆる密室ミステリのネタバレが不安な人は本稿を読み飛ばしても構わない。
 くりかえすが、ネタバレを含むうえに長いので、密室殺人のオチを予期したくない人や忙しい人はしばらく本稿を読み飛ばすこと。
 密室トリックの分類にはいくつもの先例があるが、本稿がおもに参考にしたのは以下の文献である。
 
 ・ジョン・ディクスン・カー「密室講義」(『三つの棺』)
 ・江戸川乱歩「類別トリック集成」(『続・幻影城』)
 ・Robert Adey「Analisys of Solutions」(『Looked Room Murders』)
 ・天城一『天城一の密室犯罪学教程』

 密室殺人とは、密室とみなされる空間で殺人が行われたとみなされるとき、その殺人犯がその密室とみなされる空間に出入りして被害者を殺害することが不可能とみなされる現象のことである。本来であれば、密室殺人とは現実世界とは隔絶した空想の産物であり、どちらかといえば罪のない娯楽であるといった内輪向けの御託を並べて字数を稼ぐつもりであったが、私の近辺では目下、壁抜け男による連続密室殺人事件が進行中である。密室殺人は現実にも起こるのだ。推理小説を書いて金を儲けようなどという、いささか合理性の欠如した迂遠な試みに貴重な人生をわざわざ費す連中の異常な氾濫に比べれば、密室ミステリにしばしば指摘される犯人の合理性の欠如など些末な問題だと常々考える私にとって、こうした殺人犯の登場は道理に適ったことである。魔術の影にむやみに怯えず、密室トリックが基本技術の組合せにすぎないと明らかにすることは、現実の捜査のみならず、一般読者やミステリ作家、作家志望の諸氏にも有益だろう。壁抜け男は、部屋内部から南京錠で施錠された密室にご執心らしい。数多の密室トリックの蒐集整理で精神を鍛えてきたミステリ作家であれば、この簡単なシチュエーションから、いくつもの作例を構想できるだろう。私もひとつ考案した。ごく短いものなので、解答はひとつに限定できないかもしれないが、ぜひ真相を予想してほしい。
 
 ――――
 作例:「第三の被害者(問題篇)」
 
 ある日、洋館の鳥かごから小鳥が盗まれる。その翌日、洋館の倉庫で館の主人の死体が発見された。倉庫の出入口は小窓付きの内開きのドアだけ。第一発見者の探偵は小窓を割ったあと、ドア内側で掛け金のリングに鉄製の南京錠が通されて施錠されていることを確認した。ちなみに、この探偵は犯人ではない。倉庫ドアのドア枠に隙間はなく、ドア小窓やドア自体にも異変は見当たらない。部屋の中から調べたとき、ドアの左側にある蝶番にも異変はなかった。周囲の壁も同様である。密室環境に異変はなかった。倉庫内に犯人が隠れていたわけでもなく、部屋には不自然な凶器の存在も確認できなかった。「妙だな」探偵には不思議なことがあった。「ドアを開けたとき、誰かが倉庫の内部からノックして、合図を送った気がした。だが、この倉庫には死体しかいないじゃないか」
 倉庫中央にあった主人の死体は、頭部と胴体とが首から切断されていたが、発見当初はそうだとわからなかった。ガムテープで、二分された体同士が繋げられていたからだ。探偵は、まず倉庫内を調査した。内開きのドアを開いたときに、右手側に位置する金属棚の底の暗がりで、首部分にガムテープを巻かれた小鳥の死体が発見された。探偵はその場で、小鳥の飼い主である館の執事を呼んだ。その間に主人の死体を調べ、首切り死体がガムテープで繋げられていることを発見したわけである。
 やがてやってきた執事に、倉庫内で発見された小鳥が、盗まれた鳥と同一かを調べさせた。執事は自分の手のなかで小鳥を確認したあと、肌の模様などから自分の小鳥であると明言した。探偵に小鳥が返され、首に巻かれたテープを外したところ、その小鳥もまた、主人の死体のように、首を切断されていることが判明した。
 犯人はどのように密室を制作したのか? なぜ死んだ人間の首、鳥の首をそれぞれテープで繋げておいたのか? なぜ主人のついでに小鳥まで殺す必要があったのか?
 ――――
 
 こうした密室ミステリは、どのように不可能を実現させているのだろうか。
 密室殺人にはその構成要素となる典型的な物質がある。まずは、さまざまな理由で出入り不能な空間とみなされるための素材である「密室環境」が物理的実体として必要である。登場人物の配役は、実際のミステリではより複雑になり、従犯や、事態をよく理解していない偶然の共犯者などを想定する余地が生まれて話がややこしくなるのだが、典型的な場合、殺人事件の「犯人」、密室内で死体となる「被害者」が必要である(ここでは、後の分類の網羅性のために最低限の充分な要素を抽出しているのであり、もちろん犯人や被害者のいない密室殺人は存在する)。さらに、密室殺人には小道具が介在する。殺人の道具である「凶器」、施錠の道具である「施錠道具」を想定する必要がある。この施錠道具は必ずしも鍵である必要はなく、折り曲げたハンガーでも人間の手でも氷を使った装置でも、あらゆる機構やあらゆる機構に対応する偽装が想定されているのだが、やはり典型例として「鍵」を挙げておくと便利だろう。また、犯行現場が密室殺人とみなされるためには、被害者の状態や施錠の状態などに対して、なんらかの「痕跡」を根拠とする推認が行われる。この物理的痕跡に偽装や誤認が含まれることが密室殺人の現象を成立させる場合があるため、これまた重要な要素である。
 密室殺人は基本的には不可能だと考えられるため、通常であれば構成要素のどこかにごまかしがある場合が多い。特に物理的トリックが用いられる際、密室殺人を構成する七つの典型的な物質、「密室環境」「犯人」「被害者」「凶器」「施錠道具」「鍵」「痕跡」のどこかにごまかしがある場合が多い。だが、それに留まらない方法も多数存在している。
 密室トリックの整理方法は様々だが、本稿では以下の基本七概念で整理する。

 〈作用範囲〉
 ①貫通系
 ②非貫通系
 
 〈施工内容〉
 ③誤認系
 ④加工系
 ⑤操作系
 ⑥消滅系
 ⑦生成系 

 〈作用範囲〉の二分類は、密室トリックの作用範囲における空間的分類である。
 密室トリックが用いられる空間は、密室空間(密室とみなされる空間)か非密室空間(密室ではない空間)かのどちらかである。密室空間は、空間になにかしらの穴が貫通している「①貫通系」か、空間が真に密閉されている「②非貫通系」のどちらかである。非密室空間は、密室ではないために、無数の経路から物質の出入りが自由であり、やはり貫通系に属する。
 「①貫通系」トリックの場合:密室殺人の構成要素となる諸物質が、密室空間に挿入あるいは排出される。あるいは、そもそも非密室空間であるために、物質の出入りが自由である。
 「②非貫通系」トリックの場合:密室殺人の現象が密室空間の内部で成立している「内部作用系」か、内外の空間越しに影響を与える「外部作用系」である。
 密室空間に穴が貫通している状態であっても、非貫通系のトリックを用いることができる。だから、ここでの分類は、密室トリックが実際に作用する範囲が貫通系であるか非貫通系であるかを区別しているのであって、密室空間にたんに穴が貫通しているか否かのみを問題にしているのではない。分子レベルまで微視化すればどんな密室もすかすかだろうが、その事実からあらゆる密室が貫通系になるわけではない。いくら穴があろうが、密室殺人の現象を起こせるトリックを実際にそこで作用できるか、という問題が立ちはだかるからだ。
 〈施工内容〉の五分類は、施工される密室トリックの内容の具体的分類である。
 密室トリックは、心理的トリックと物理的トリックに大別できる。
 観測者の誤認に基づく心理的トリックは「③誤認系」である。
 密室殺人の心理的トリックにはどのようなものを挙げれば充分だろうか。この問いは換言すれば、先程の密室殺人の大雑把な定義である〈密室とみなされる空間で殺人が行われたとみなされるとき、その殺人犯がその密室とみなされる空間に出入りして被害者を殺害することが不可能とみなされる現象〉が成立するとき、それがどのような心理的推定に頼っており、どの点に誤認が含まれる余地があるだろうか、ということである。まず、密室殺人は基本的に、ある時空において行われる。よって、心理的に推定された時間や空間にずれがある、時間差と空間差の誤認――「時間差系」「空間差・対象差系」を想定しなければならない。空間差系と対象差系で区別するのは、ある座標の中での空間的なずれを空間差、ある対象と別の対象の誤認によるずれを対象差と呼び分けているからである。たとえば、部屋Aとよく似ているが別の場所にある部屋Bを部屋Aと誤認させるのは空間差系だが、ドアAとよく似ているが、そのドアと交換された別物のドアBを誤認させるのは対象差系としている。密室殺人において、エイディ分類にもある部屋のドアを交換するような古典トリックが使われた場合、交換前のドア自体は、交換後には空間座標的には別の場所にあるが、誤認が起こるドアの設置される空間自体は空間座標的には同じところにある。だから、原理的にはまったく同じことだが、空間差系のトリックのうち、類似した対象Aと対象Bの交換が行われる種類のものは、対象差系と呼んだほうがニュアンスが伝わりやすくなる。原理的には対象差系と同じだが、対象となる素材が類似物どころか、まったくの別物を誤認させることも考えられる。対象差系のうちでも、こうした物質と人間の誤認や、物質同士や人間同士の誤認によるトリックを物人誤認と呼ぶことにする。さらに、密室殺人における物質や人間には、別の対象に誤認されるだけでなく、意外な隠し場所に隠蔽するトリックもある。これらの物質や人間の誤認にまつわるトリックを、まとめて「物人誤認・隠蔽」と呼んでおく。だが、具体的な対象を別の対象に見間違えたり隠したりするだけでは、分類できない種類の誤認がある。観測者が現場の痕跡や現象から因果関係を推論するが、その推論がさまざまな理由で間違っているものは、ここまでの分類ではうまく表現できない。誤認の原因が対象そのものより、対象の上位にある観測者の思考にある、こうしたトリックを「痕跡・現象誤認」と呼ぶことにする。犯人そっくりの人形を見たから、実際に犯人がいたと対象から直接的に思うのが物人誤認とすれば、犯人がいたと思しき足跡やドア動作や犯行予告のカードなどにより、実際に犯人がいたと対象から間接的に推認するのが痕跡・現象誤認である。犯人の隠蔽に関するトリックは、物人誤認・隠蔽トリックや痕跡・現象誤認トリックに含まれるが、密室殺人において犯人は特殊な存在者なので、今回の分類では「犯人隠蔽」として特筆する。どちらかといえば痕跡・現象誤認に近いが、密室殺人においては、具体的なある対象を別の対象に誤認するのではなく、ある対象がもつ状態を別の状態に誤認することがある。こうした状態誤認のうちで、密室殺人において重要なものは、人間の生死状態、施錠の状態、密室と非密室状態の誤認である。これらは順に「生死誤認」「施錠誤認」「密室誤認」の項目にまとめる。また、密室殺人のような不可能にみえる現象が起こる場合、一見して事実とみなされる諸前提をすべて認めれば矛盾が見出される。矛盾は通常認められないので、どこかの前提に虚偽が含まれることが考えられる。この場合、ある前提は世界の側の事実ではなく、観測者の心理にしか存在しない――たとえば、作り話を事実と信じていたり、認知的な錯覚に基づいていたり、脳が直に生成した幻覚が事実と思われている場合などが考えられるだろう。ここでいう観測者は、虚構作品の登場人物のみならず、虚構作品を外部から見る読者をも含む。作品から読者が心理的に採用している前提に、作品における虚偽が含まれるものは叙述トリックと呼ばれる。こうした「虚偽」一般にまつわるトリックも心理的トリックに含められる。概念的にも重複があり、決してよい整理ではないが、あまり細分化しても実用に適さない。これで充分とする根拠はさしあたりまったくないが、ひとまずこのぐらいにしておこう。
 密室殺人の構成要素となる物質に用いられる物理的トリックのうち、物質を加工・変化させるトリックが「④加工系」、物質を操作・運動させるトリックが「⑤操作系」、物質を消滅させるトリックが「⑥消滅系」、物質を生成させるトリックが「⑦生成系」である。
 心理的トリックと物理的トリックの境界を厳密に定めることは困難である。心理的トリックの誤認が物理的実体なしに起こることは滅多になく、物理的トリックもまた心理的誤認を誘導するために行われることが多いからだ。よって、密室トリックの諸施工内容「誤認系」「変化系」「操作系」「消滅系」「生成系」は、容易に複合する。また、諸施工内容は、密室トリックの作用範囲である「貫通系」「非貫通系」のどちらで行われる場合もある。よって、密室トリックは、上記の基本七概念のうち、それぞれの要素の組合せとして表現される。
 以上を踏まえて、私は密室トリックを以下のように整理する。
 
 ―――――
 密室トリック分類:
 
 〈作用範囲〉貫通系/非貫通系
 
 ①:貫通系(密室殺人の構成要素となる物質(密室環境・犯人・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡など)を、何らかの穴から密室環境の内外に挿入/排出するトリック)
  ①A:貫通・挿入
   ①A1:密室内に密室環境を挿入
   ①A2:密室内に犯人を挿入
   ①A3:密室内に被害者を挿入
   ①A4:密室内に凶器を挿入
   ①A5:密室内に施錠道具を挿入
   ①A6:密室内に鍵を挿入
   ①A7:密室内に痕跡を挿入
   ①A8:密室内にその他の物質を挿入
  ①B:貫通・排出
   ①B1:密室外に密室環境を排出
   ①B2:密室外に犯人を排出
   ①B3:密室外に被害者を排出
   ①B4:密室外に凶器を排出
   ①B5:密室外に施錠道具を排出
   ①B6:密室外に鍵を排出
   ①B7:密室外に痕跡を排出
   ①B8:密室外にその他の物質を排出
  ①C:非密室空間(内外の区別がない)
 
 ②:非貫通系(密室空間の内外に物質の出し入れがないトリック)
  ②A:内部作用系(密室の内部で作用が成立する)
   ②A1:自殺・自傷
   ②A2:事故死
   ②A3:遠隔操作・誘導死
   ②A4:時間差死
   ②A5:病死・自然死
   ②A6:内部装置の殺人や施錠
   ②A7:内部動物の殺人や施錠
   ②A8:内部犯人の殺人や施錠
   ②A9:その他の内部作用
  ②B:外部作用系(密室空間の内外に遠隔作用しうる諸力を利用する)
   ②B1:自殺・自傷
   ②B2:事故死
   ②B3:遠隔操作・誘導死
   ②B4:時間差死
   ②B5:病死・自然死
   ②B6:外部装置の殺人や施錠
   ②B7:外部動物の殺人や施錠
   ②B8:外部犯人の殺人や施錠
   ②B9:その他の外部作用

 〈施工内容〉
 心理トリック(誤認系)
 物理トリック(加工系/操作系/消滅系/生成系)

 ③:誤認系(観測者の誤認に基づく心理的トリック)
  ③A:時間差系(密室時間帯の〈封印-解除〉の外部で犯行、密室時間中と誤認)
   ③A1:時間差殺人(+)|封印前に被害者を殺害
   ③A2:時間差挿入(+)|封印前に密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の物質の挿入
   ③A3:時間差排出(+)|封印前に密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の物質の排出
   ③A4:時間差施錠(+)|想定解除前の解除
   ③A5:時間差侵入(+)|封印前に犯人侵入
   ③A6:時間差脱出(+)|封印前に犯人脱出
   ③A7:時間差殺人(-)|解除後に被害者を殺害
   ③A8:時間差挿入(-)|解除後に密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の物質の挿入
   ③A9:時間差排出(-)|解除後に密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の物質の排出
   ③A10:時間差施錠(-)|想定封印後の封印
   ③A11:時間差侵入(-)|解除後に犯人侵入
   ③A12:時間差脱出(-)|解除後に犯人脱出
  ③B:空間差・対象差系(空間・対象の誤認)
   ③B1:空間・対象の交換・すり替え・複製・錯覚
   ③B2:空間・対象を識別する標識の交換・すり替え・複製・錯覚
  ③C:物人誤認・隠蔽
   ③C1:人から人|人間を別の人間に誤認
   ③C2:物から物|物質を別の物質に誤認
   ③C3:物から人|物質を別の人間に誤認
   ③C4:人から物|人間を別の物質に誤認
   ③C5:物質隠蔽|意外な隠し場所
   ③C6:人間隠蔽|意外な隠し場所
  ③D:痕跡・現象誤認
   ③D1:誤った存在者を推認する
   ③D2:誤った出来事を推認する
   ③D3:正しい存在者が読解困難になる
   ③D4:正しい出来事が読解困難になる  
  ③E:犯人隠蔽
   ③E1:意外な犯人(動物トリック含む)
   ③E2:意外な隠遁
   ③E3:意外な脱出方法(曲芸トリック含む)
   ③E4:意外な誤認
  ③F:生死誤認
   ③F1:疑似死亡
   ③F2:疑似生存
  ③G:施錠誤認
   ③G1:疑似施錠
   ③G2:疑似解錠
  ③H:密室誤認
   ③H1:非密室を密室に誤認
   ③H2:密室を非密室に誤認
  ③I:虚偽
   ③I1:意図的な作話
   ③I2:非意図的な誤解・錯覚・幻覚
   ③I3:叙述トリックによる情報誤認
   ③I4:世界レベルの錯誤
 
 ④:加工系(物質を加工・変化させる物理的トリック)
  ④A:密室環境の加工
  ④B:犯人の加工
  ④C:被害者の加工
  ④D:凶器の加工
  ④E:施錠道具の加工
  ④F:鍵の加工
  ④G:痕跡の加工
  ④H:その他の物質の加工

 ⑤:操作系(物質を操作・運動させる物理的トリック)
  ⑤A:密室環境の操作
  ⑤B:犯人の操作
  ⑤C:被害者の操作
  ⑤D:凶器の操作
  ⑤E:施錠道具の操作
  ⑤F:鍵の操作
  ⑤G:痕跡の操作
  ⑤H:その他の物質の操作

 ⑥:消滅系(物質を消滅させる物理的トリック)
  ⑥A:密室環境の消滅
  ⑥B:犯人の消滅
  ⑥C:被害者の消滅
  ⑥D:凶器の消滅
  ⑥E:施錠道具の消滅
  ⑥F:鍵の消滅
  ⑥G:痕跡の消滅
  ⑥H:その他の物質の消滅

 ⑦:生成系(物質を生成させる物理的トリック)
  ⑦A:密室環境の生成
  ⑦B:犯人の生成
  ⑦C:被害者の生成
  ⑦D:凶器の生成
  ⑦E:施錠道具の生成
  ⑦F:鍵の生成
  ⑦G:痕跡の生成
  ⑦H:その他の物質の生成
 ――――

 この世界にある密室ミステリは、その大半が、この密室トリック分類で提示した35(作用範囲)+38(施工内容:心理的トリック)+32(施工内容:物理的トリック)=105トリックの多様な組合せで説明できるだろう。だが、この程度ですべてが記述されたと信じる理由はない。たとえば物理的トリックにおける「密室環境」の物質を、ドアや窓や障子など、それぞれの機構ごとに各個詳述すれば、下位項目はさらに細分化され、トリックの組合せ総数はさらに増大する。機構ごとの分類は、乱歩「類別トリック集成」のような、概念的整理ではない項目列挙的な整理に近づき、そこまでいくと、あえて分類と呼ぶべき理由もない辞書的な代物になるだろう。また、ここで提示されていない、基本の七概念とは別の新しい概念系も考えられる。私にはそれを論じる時間がないので、ここでは簡易的なスケッチに留めておこう。
 実際に密室トリックが使用されたとき、そのトリックはある作用範囲のなかで、ある施工内容を採用して行われる。すなわち、密室トリックは〈作用範囲〉と〈施工内容〉の組合せである。そして、一連の密室トリックは、通常であれば心理的トリックと物理的トリックの両面を兼ねる。観測者になんらかの誤認を与える面からいえば心理的トリックであり、それがなんらかの物理的な状態によって成立する面からいえば物理的トリックである。大雑把に計算すれば、この分類では、35(作用範囲)×38(施工内容:心理的トリック)×32(施工内容:物理的トリック)=42560通りの密室トリックが表現されている。もちろん、組合せはそれに留まらず、複数の心理的トリック、複数の物理的トリックが併用される場合もある。充分に普段遣いには支障のない網羅性と表現力を満たしているといえそうだ。
 三種類のリストを用意すれば、その組合せで、4.2万の密室トリックを一瞬でランダム生成できる。実際にやってみた。
 
 ――――
 《作用範囲》非貫通系/外部作用系/事故死
 《心理的トリック》誤認系/時間差系/時間差排出(+)封印前に密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の物質の排出
 《物理的トリック》生成系/密室環境の生成
 解釈……部屋が封印される前に、重要な諸物質を排出するのはまだ理解できる。密室環境を生成しながら、外部作用で事故死させるということは、物理的に膨張させた壁で室内の被害者を殴り、やがて壁が固まるのを待つとか、そういったことだろうか。
 
 《作用範囲》非貫通系/外部作用系/外部装置の殺人や施錠
 《心理的トリック》誤認系/物人誤認・隠蔽/人から人(人間を別の人間に誤認)
 《物理的トリック》操作系/凶器の操作
 解釈……凶器を操作して、室外から殺人や施錠を行う。いろいろやりようはありそうだが、こいつも壁越しに殴っている気がする。別に壁越しに火あぶりでも電気ショックでも構わないが。人間の誤認がどう活きてくるのかは謎だ。犯人が変装しただけかもしれない。
 
 《作用範囲》貫通系/貫通・排出/密室外にその他の物質を排出
 《心理的トリック》誤認系/痕跡・現象誤認/正しい出来事が読解困難になる
 《物理的トリック》生成系/犯人の生成
 解釈……犯人を物理的に生成すれば、たしかに現象の誤認が生まれる。たとえば、部屋の中で子供が生まれたり、クローン人間が培養されるなどして、想定外の犯人が出現したあと、貫通系で排出されれば不可能な状況が生まれるだろう。子供なら通れる穴だってあるかもしれないし。ただ「その他の物質」は、分類上は犯人や痕跡を含むわけではないので、密室からなにを出せばいいのかはわからない。
 
 《作用範囲》非貫通系/内部作用系/病死・自然死
 《心理的トリック》誤認系/時間差系/時間差殺人(-)解除後に被害者を殺害
 《物理的トリック》生成系/その他の物質の生成
 解釈……病死・自然死するのに、密室解除後に殺人をするのは不自然だ。分類上こういうことも起こってしまう。病死・自然死系トリックでは、その後に犯人が死体を損壊するなどして、実際には起こっていない殺人が起こったかのように偽装するトリックが典型である。だが、分類上これは殺人ではなく、被害者・痕跡の加工による痕跡・現象誤認のトリックに属する。あえて解釈するなら、犯人は被害者が病死・自然死したことには気づかず「死体を殺した」のかもしれない。あるいは、内部作用で病死や老衰をしたのは別人で、密室が解除されたあとで本命の被害者が殺害され、互いの死体がすり替えられ、観測者がそのふたりを同一人物だと誤認することで、密室内で殺人行為があったかのように偽装されたのかもしれない。その偽装に、なにかの物質の生成が関わっていた。このように、作用範囲・施工内容の諸要素の組合せから、あるひとつのトリックが提示されたところで、その現実的な解釈はひとつに定まらないことがある。4.2万の密室トリックより、現実世界の多様性のほうが遥かに強い。
 
 《作用範囲》非貫通系/外部作用系/事故死
 《心理的トリック》誤認系/時間差系/時間差挿入(-)解除後に密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の物質の挿入
 《物理的トリック》操作系/鍵の操作
 解釈……また外部作用で事故死している。外部作用系は生成系のようにレアなトリックなのだが、分類上は対等に扱われるため、不自然に多数登場してしまう。実際の作例で統計をとって、登場頻度を現実的な割合にすれば、より使いやすくなるかもしれない。
 鍵の操作で、外部から事故死することがありうるだろうか。被害者が、8メートルぐらいあるドアに張り付いていたら、可能性はあるかもしれない。巨人が鍵をいじくった振動で振り落とされてしまうのだ。巨人は部屋に入ったあと、たとえば小人の殺人に使えそうな別の凶器を滑り込ませて、鍵をあけた自分のせいだと思われないよう偽装したのかもしれない。
 ――――
 
 AI生成のフォトリアル系絵画に無茶なリクエストをしたときみたいに、超キモいバグったトリックが無数に考えられる。トリックだけを抽出したところで、その具体的な解釈にはいろいろと幅があることもわかるだろう。これだけではミステリは書けないし、きちんと現実に対応する内容を自分で考えねばならない。分類の時点で無茶はあり、たとえば「②B:外部作用系/②B1:自殺・自傷」は、室内にいる人間が、わざわざ室外からの物理作用で自殺するトリックである。分類上は一応必要だが、そんな自殺をする人間がいるだろうか。長編ひとつを使えば、あえてそうする必要がある、込み入った状況を考えられるかもしれない。
 小鳥のことを忘れていないだろうか。私の想定解を発表しよう。
 
 ――――
 作例:「第三の被害者(解答篇)」

「推理するまでもありませんでした」探偵がいった。「南京錠の鍵穴を分析させました。毒入りの餌の破片が見つかりましたよ」
 犯人は執事で、小鳥を殺した理由は、密室を制作するためだった。執事は、首を切断して頭部と胴体をガムテープで繋いだ主人の死体を倉庫に安置し、首にガムテープを巻いた小鳥を倉庫内に放った。南京錠の鍵穴に毒入りの餌を詰め、強力磁石でドア越しに南京錠を操作し、掛け金のリングにかける。小鳥は毒餌をついばむ。その動作で南京錠が押し込まれ、施錠される。小鳥は毒で死亡し、ドアの真下に落ちる。ドアの小窓からは角度的に見ることができない。探偵が内開きのドアをあけたとき、その勢いでドアに押された小鳥は右手側の棚の底まで滑る。小鳥の死体がドアに当たった感触を、探偵は内部からのノックだと勘違いしたわけだ。小鳥の身元を改めるよういわれたとき、執事は小鳥の死体を、事前に用意していた別の小鳥に手中ですり替えた。「手品師は生きた鳥を出し入れします。死んだ鳥をすり替えたぐらいで驚かれては困りますな」すり替えられた小鳥の首にもガムテープが巻かれ、その内部で首が切断されていた。執事は小鳥の死因を毒殺から首切りに偽装することで、密室トリックの発覚を防ごうとしたのである。実際には切断されていなかった小鳥の首に、すでに切断されていた可能性を与えるために、ガムテープを巻いておく必要があった。小鳥の首のガムテープの存在を自然にするために、主人の首も切断してガムテープを巻いておいたのだ。
「で、動機は?」探偵が蛇足の質問。「なぜこんな密室を作ったんです?」
「密室ミステリの蔵書をやたら自慢されるものですから、密室トリックなど誰でも思いつくと証明したかったんです。それに、私の愛する小鳥を殺せば容疑から外れるかと思いまして」
 作品の題意は、読者に隠されていた、もう一羽の被害者のことだった。
 ――――
 
 この作例の密室トリックは、先述の密室トリック分類では、以下のように整理される。
 
 ――――
 ・犯人が未施錠のドアから出入りして犯行準備、主人の首にガムテープを巻き、小鳥の首のガムテープを目立たなくする|①A2、①B2/③D4/④C
   貫通系-貫通・挿入-密室内に犯人を挿入
   貫通系-貫通・排出-密室内に犯人を排出
   誤認系-痕跡・現象誤認-正しい出来事が読解困難になる
   加工系-被害者の加工
  
 ・犯人が南京錠を磁石で掛け金のリングにかけ、内部からかけたように思わせる|②B6、②B8/③D2/⑤E
   非貫通系-外部作用系-外部装置の殺人や施錠(磁力)
   非貫通系-外部作用系-外部犯人の殺人や施錠
   誤認系-痕跡・現象誤認-誤った出来事を推認する
   操作系-施錠道具の操作
  
 ・小鳥が南京錠を施錠し、その犯人が想定外になる|②A7/③E1/⑤E:
   非貫通系-内部作用系-内部動物の殺人や施錠
   誤認系-犯人隠蔽-意外な犯人(動物トリック)
   操作系-施錠道具の操作
 
 ・小鳥が毒餌で死亡し、ドア真下に墜落、ドア小窓から見えなくなる|②A3、②B9/③C5/⑤C
   非貫通系-内部作用系-遠隔操作・誘導死
   非貫通系-外部作用系-その他の外部作用(重力)
   誤認系-物人誤認・隠蔽-物質隠蔽・意外な隠し場所
   操作系-被害者の操作
 
 ・密室解除時、小鳥の死体がドアに当たり、探偵が室内の生者からのノックと勘違いする|①A1/③D2/⑤A
   貫通系-貫通・挿入-密室内に密室環境を挿入(ドア)
   誤認系-痕跡・現象誤認-誤った出来事を推認する
   操作系-密室環境の操作
   
 ・密室の解除行為により、小鳥の死体が移動し、元から棚の底にあったと誤認される|①A1/③D2/⑤C(⑤E)
   貫通系-貫通・挿入-密室内に密室環境を挿入(ドア)
   誤認系-痕跡・現象誤認-誤った出来事を推認する
   操作系-被害者(施錠道具)の操作
 
 ・探偵が密室解除後、小鳥の死体を施錠道具と気づかず持ち出す|①A8、①B8/③A9/⑤E(⑤C)
   貫通系-貫通・挿入-密室内にその他の物質を挿入(探偵)
   貫通系-貫通・排出-密室内にその他の物質を排出(探偵)
   誤認系-時間差排出(-)-解除後に施錠道具の排出
   操作系-施錠道具(被害者)の操作
 
 ・犯人、小鳥を手のなかで別の小鳥にすり替える|①C/③B1/⑤C
   貫通系-非密室空間
   誤認系-空間差・対象差系-空間・対象の交換・すり替え・複製・錯覚
   操作系-被害者の操作
 
 ・探偵、小鳥の死因を誤認する|①C/③D2/⑤C
   貫通系-非密室空間
   誤認系-痕跡・現象誤認-誤った出来事を推認する
   操作系-被害者の操作
 ――――
 
 おおむね〈作用範囲〉〈心理的トリック〉〈物理的トリック〉の組合せから整理した。より粒度を細分化することも、一連の動作をまとめて記述することも可能だろう。分割しだいで変動するが、今回は9個のトリックが見出される。部屋にドアを押し込む行為で現場の状態が変わるような、列挙的な整理では分類から洩れやすい些末なトリックも、「①A8:密室内にその他の物質を挿入」と誤認系・操作系の組合せで理解できることに注目してほしい。従来のトリック分類より対応力が増し、よりトリヴィアルな事例も捕捉できる。小鳥は「被害者」「犯人」「施錠道具」の役割を兼ねる。たんに動物トリックと呼ぶだけでは整理が難しい状況でも、その機能から柔軟に対応できる。毒殺された小鳥は、密室環境から持ち出されたあと、首を切られた別の小鳥にすり替えられる。密室殺人は、トリックの対象が非密室空間に運ばれたあとで、犯行や偽装が行われがちである。多くの密室殺人が非密室空間で行われるのだ。そのため、トリックの作用範囲には、「①C:非密室空間」を想定する必要があることがわかる。
 今回の密室トリック分類では、〈作用範囲〉〈心理的トリック〉〈物理的トリック〉の組合せで42560通りのトリックが表現されているといったが、あくまでそれは、三要素の組合せを1トリック単位でみなした場合の話である。通常、密室ミステリにおいては複数のトリックが併用される。先程の、原稿用紙2枚程度の作例でも9個のトリックが使われることから、その点は肯けるだろう。今回の密室トリック分類において、9個のトリックが使用される場合(同一トリックの再使用も含む)、その組合せはどの程度の数になるだろうか。
 
 42560^9=458157260800742762125560639389696000000000
 
 およそ45正以上、42桁の数字になる。億・兆・京・垓・𥝱・穣・溝・澗・正なので、それなりの大きさである。ところで私たちは、「第三の被害者(解答篇)」を考えるさいに、ひとまず45正8157澗2608溝0074穣2762𥝱1255垓6063京9389兆6960億通りの密室トリックを思い浮かべ、それぞれの現実性を比較したうえで、うーん、どちらかといえばこれだな、という感じで、答えに辿りついたのだろうか?
 45正の中にはトリヴィアルな別解がいくつも存在する。たとえば「③I:虚偽/③I1:意図的な作話」による、この話自体が嘘なので矛盾はないというつまらない解決がある。「③I2:非意図的な誤解・錯覚・幻覚」も同様。そうしたアドホックな解決は消去することが難しい。また「④A:密室環境の加工」「⑤A:密室環境の操作」「⑦A:密室環境の生成」などで、犯人が倉庫の壁をくり抜いて脱出し、まるで異変を残さず速乾性コンクリートで塗り固めることもできたかもしれない。館の主人が小鳥の首を切断してガムテープを巻いたあと、怪力で自分の首を出血しないよう正確にねじ切ったあとでガムテープを巻いて死んだ場合も似たようなことが起こる。おそらく現実的にはありえないが、論理的には矛盾があるわけではない。こういう細かいことまで言い出せば、どんなミステリも別解が6960億個ぐらいは簡単に見出せるはずだ。そういう馬鹿げた解決と比べれば、先ほどの解答編はおそらくましな答えだろう。 
 作例「第三の被害者」から、執事の小鳥すり替え計画に難なく気づいた者はいるだろう。密室ミステリの中では、さほど難しいトリックではない。だが、その人たちも45正の可能性の比較をしたわけではあるまい。いくらなんでも計算が間に合わない。1秒に1個のトリックを精査できたとしても、百年の人生でも、たった31億5360万秒しかないのだから。そもそも、トリックが9個におさまる理由も別にないので、組合せは理論上は無限である。
 では、私たちは何をしていたのか。
 おそらく、おおむね、こんなことを考えたのだろう。
 
 ――――
 解答篇に到るまでの推理:
 
 とりあえず倉庫は、ちゃんとした密室にみえる。ウーム。きちんと施錠され、密室環境に異変がない。まともに受けとるなら、物理的トリックは用いられていないとみるべきだ。貫通系ではないのかな? 非貫通系となると、内部作用系か外部作用系を考えなければならない。でも、外部作用で首切り死体を作るのは難しそうだ。じゃあ内部作用系? 事件が室内で完結したにせよ、人間も小鳥も、凶器を残さずに首切りするわけにもいかない。それに、部屋内部から誰かがノックをしたらしい。なのに、倉庫内に生者は誰も見つかっていない。
 フーーム……
 小鳥が一緒に死んでいるのも謎だ。一応、動物トリックの可能性を検討しなければ。密室殺人だから、まあ殺人か施錠に使ったかだろうが、小鳥に首切り殺人はできない。なら施錠か。でも小鳥も室内で殺されている。死体に施錠はできない。どういうことだ?
 なにかを見落としているな。分類の中だと、時間差系トリックはありそうだ。密室封印前か解除後に、なにかズルが行われた。封印前は描写されてないから手がかりがない。それに、封印前になにかするトリックは、その後の物理的な施錠は直接には解決できない。でも、解除後は――探偵が主人の死体を見つけたところまでは事実か。だが、小鳥はいったん室外に持ち出され、執事が調べたあとで、探偵が調べている。この小鳥はズルできるな。探偵が犯人でないことは明言されている。なら、最有力の容疑者は執事だ。他に登場人物もいないし。
 時間差系トリックだとしたら、やはり貫通系のトリックになるか。時間差の抜け穴だ。小鳥は貫通系の非密室空間に持ち出されたあとで、執事に操作された。死体をすり替えられた可能性がある。あれ? 探偵が密室を改めた時点では、小鳥はすでに死んでいるのか。執事ができたのは、小鳥の死体を別の死体にすり替えることだけ。なんの意味があるんだ。
 小鳥は施錠に使えるとはいってみたが、具体的にはどうやるんだ。南京錠は鍵を使わずとも、押し込むことで施錠できる。複雑な動作はいらない。小鳥を使って施錠するには、餌でもやって突かせればいいか。南京錠の鍵穴に餌をはめこめばいい。餌は消化されるだろうし、鳥の検視はめったにしない。悪くないぞ。でも、室内の掛け金に南京錠をかけるのは、どうすればいいんだろう。ああ、南京錠は鉄製とわざわざ書いてある。磁石でドア越しに南京錠を貼った状態で部屋を出る。それから磁石で操作して、室外から掛け金にひっかければいいか。
 そして、施錠に使った小鳥は死体で発見された。いろいろ方法はありそうだが、餌に毒を仕込んでおくのが簡単だろう。でも、毒殺なら部屋のどこかに墜落しそうだ。飛んでいる鳥が落ちるなら、倉庫の床のどこかだろう。でも、小鳥の死体は棚の底で見つかっている。
 これは問題ない。毒の効き目が速ければいい。小鳥はつっつきで施錠したあと、すぐ死んでドア真下に落ちる。あるいは、たまたま飛んでる途中でそこに落ちた可能性もあるけど。ここはどっちでも成立する。棚は内開きのドアをあけたときに右手側にあるんだから、部屋の外からみて右側に蝶番があるドアなら、ドアをあけたときに、その動作で棚の底に押し込んでくれる。すると、探偵がノックと勘違いしたのは、ドアが小鳥に当たったときの感触だろう。
 毒殺した小鳥は、執事がすり替えることができた。探偵が確認したときには、首切り死体になっている。小鳥が毒で死んでいたら、施錠してから死んだことが判明してしまう。だから首切り死体にすり替えたんだ。小鳥の首が元から切れていたと思わせるために、首にガムテープを巻き、そこに傷口が“ない”事実を隠蔽する必要があった。とすると、洋館の主人の首に巻かれたガムテープはたぶん、おまけの偽装だな。それ自体は、密室とは関係なさそうだ。
 なんだ、簡単じゃないですか。解けましたよ、師匠。おーーい。
 ――――

 一部のミステリ評論では、密室ミステリの読者は、自前のトリック・データベースから当てはまりそうなものを検索しているだけで、まともに推理などしていない、という風説がまかり通っている。そんな考えが流通するのは私の小説の読者に迷惑だし、本稿をここまで読んだ人には、それが実態に即していない主張だとわかるだろう。密室トリック分類だけでは、まるで役立たない。組合せの数が天文学的に膨大だし、分類から1トリックを抽出したところで、その具体的な表現にも様々な解釈がある。結局、それぞれがどう当てはまるかは、作品の現実ごとに具体的に精査しなければならない。今回のように動物トリックが使われた作例でも、「動物トリック」という言葉を知っており、動物が殺人ないし施錠した可能性を知っているだけでは、真相に辿りつけない。典型的な項目の検索だけではなく、作中の諸条件に当てはまる組合せの精査が要るのである。すなわち、問題の答えに当てはまるトリックを「検索」するときに実際にしていることは、問題で提示された物理的な諸条件から、考えうる可能性を地道に消去しながら、膨大な選択肢から答えを限定していく作業であって、要は普通の推理である。犯人の条件から容疑者を限定する通常のフーダニットを部屋の要素でやるようなもので、密室ミステリとそれ以外のミステリで、特に違いがあるわけではない。ただ、密室が登場する場合、選択肢の消去に物的証拠が伴うことから、より主張が確実になる場合があるかもしれない。ただ、膨大な選択肢から答えを確実に限定できないことも多いだろう。先ほどの45正以上の例でわかるように、それは密室ミステリに求められる、推理の前提を吟味するためのチェックリストが過剰に多いからであって、密室の登場しない普通のフーダニットでも、密室ミステリに求められる精度で提示された前提をつぶさに検証したら、特に面白くもなく現実味も少ないが理屈上は矛盾のないアドホックな別解が6960億個ぐらいは簡単に見つかるだろう。
 この別解の可能性は原理的なものである。推理により除去できるように思えるなら、それは密室トリックと推理の食い合わせの悪さを理解していない。論理的な推論は、推論に用いられる前提の正しさに依拠している――論理的に正しい推理でも、前提が間違っていれば答えは間違いうる。だが、表面的には確実な前提にみえるものに、いかにごまかしの余地があるかについての様々な方法論が密室トリックである。密室トリック(に限らずトリック全般)は、推理小説における推理の基盤をこなごなに破壊するものである。
 その事実をもって推理小説は不完全だということはいつでも可能である。その程度の厳密な意味で推理小説が不完全だというのは、シャーロック・ホームズの頭髪本数が奇数か偶数か判別する証拠が作中にないから不完全であるのと同様、小説であれば自明のことだ。現実にホームズが存在すれば、ある時点での頭髪本数は有限の範囲で確定するだろう。リアルな物質が充満する本物の世界と比べれば、言葉で表現された虚構世界の事実はすかすかである。ただ、そのように不当にシビアな評価基準をあえて採用するのは趣味の問題としかいえない。事実判断の曖昧さに悩む必要がない、純粋な論理パズルがやりたければ最初から推理小説を読む必要はないわけで、現実の雑駁さやフィクション特有の曖昧さにまみれた、論理とは無関係の不純な問題をわざわざ抱え込んでいることに、推理小説が小説の形をとる意味がある。私は不完全なミステリの中にも、なぜかエレガントな答えが見つかる素朴な事実を愛している。不完全な現実を愛しているのと同様に。愛を失ったら、別のものを読みはじめればいいだろう。フィリップ・K・ディックとか。
 
 密室トリック分類のうち、説明不足の項目や、既存のトリック分類では言及の薄かった項目を簡単に説明して、本稿を終わりとしたい。密室マニア向けの技術的な説明が多いので、一般読者は読み飛ばすのが賢明である。そのほうが将来的な読書の楽しみを増すだろう。
 「①貫通系」は、俗に〈抜け穴密室〉と呼ばれてきたトリックである。大概は特殊でわかりにくい抜け穴から、犯人が出入りする。その経路が人間のアクロバティックな移動による場合は〈曲芸トリック〉と呼ばれることもある。また、被害者が室内に放り込まれたり、凶器が投入されて回収されたりする。なにかの隙間から施錠道具をねじ入れて施錠したり、室外から施錠した鍵を室内に入れたり、殺人や施錠に関する痕跡が撒かれたりする。密室内に密室環境の挿入/排出をするのは、おもに密室環境の総体に、密室環境の一部である壁やドアや屋根を取り外したり、また戻したりする場合などを想定している。その場合は、「⑤A:密室環境の操作」「④A:密室環境の加工」「⑦A:密室環境の生成」などを兼ねるかもしれない。時間差挿入(+)(-)/時間差排出(+)(-)においても、密室環境を挿入/排出する例が出てくるが、その件は後述する。ドアで普通に出入りして施錠には別の方法(外部作用系など)を用いたり、時間差系のトリックで密室封印前や密室解除後に犯行を成し遂げるものも、定義上は貫通系に属する。密室殺人の犯行は、封印前・解除後の密閉されていない密室空間で行われたり、より離れた「①C:非密室空間」で行われているかもしれない。そのとき密室には穴があいている。次元の壁や時空の穴、並行世界のワームホール、おそらく誤用の量子トンネル効果などを持ち出し、推理小説の歴史に新たなトリックを追加したと思い込む人もいるが、実際にやっていることはエドガー・アラン・ポー以来の古典的な抜け穴密室にすぎない。
 「②非貫通系」のうち「内部作用系」の機序は多様である。被害者が「自殺・自傷」した結果が殺人にみえたり、「事故死」が殺人にみえたりする。たんなる自殺や事故では殺人にみえないので、痕跡の誤認や凶器の消滅が併用されたりする。事故死なのに殺人らしい痕跡が現場に散逸していたり、氷の凶器で自分を突き刺したあと凶器が気化したり、被害者は誰かの他殺にみせかけるために込み入った自殺をしたりする。「遠隔操作・誘導死」は、密室内の被害者を自ら死ぬように誘導するものだ。表面的には自殺や事故だが、実質的には殺人になる。ガスで脅かして転倒させたり、毒物を解毒剤と偽って飲ませたり、暗示や特殊な威力でショック死を促したり、人質をとって電話で自殺を促すなど。卑怯そのものの犯行だ。「時間差死」は、死亡まで時間差があり、室外で負傷した被害者が部屋に入り、施錠してから死亡する類のもの。特殊な理由で毒の抗体をもっていて死ぬのが遅れたとか、腹部にナイフが刺さっていたが引き抜くまで大量出血しなかったとか、死因が即死にみえながらも被害者が生存にしがみつけた理由が必要になる。「病死・自然死」は、内部作用系の密室トリック分類では、なぜかリストから洩れがちなものだ。被害者は事件性のない病気や老衰などで死亡しているが、死因とは関係ない意味深な負傷や、殺人事件らしき痕跡の散逸などにより、誤認の条件が揃い、死因が殺人のせいにみえてしまう。このトリックが用いられる場合、死後にさらなる現場の痕跡ないし死体の改変が必要になる場合が多い。被害者の死後、部屋がまるごと燃やされて死因が曖昧になるとか、殺人犯ではない犯人が死体をわざわざ損壊し、殺人が存在したかのようにみせかけるとか。このトリックの眼目は、現場の痕跡ないし死体の改変者が、なぜ殺人者と思われるリスクを犯してまで、事件性のない死体を殺人行為による死体にみせかけたかというホワイダニットの転調にある。典型的な解決法は、殺人事件が存在したとみなされることが、改変者にとっての直接的な利益となる状況を用意することだ。だが、あえて不合理そのものの異様な動機を用意することも一計だろう。自然死した被害者にナイフを突き立て、自分が犯人であると虚言することによって、被害者と自分を同時に世間に記憶させたかったなど。「内部装置の殺人や施錠」は、俗に〈機械トリック〉と呼ばれ、密室の内部から、なんらかの装置類で殺人や施錠を成し遂げる。一見して装置に見えないものを特殊な利用方法で装置として用いる工夫が必要だろう。ルーブ・ゴールドバーグ・マシン風のメカニズムには面白みもあるだろうが、絵面が滑稽で、作風が甚だ幼稚になりがちである。密室内の死体を装置に使うことも、密室環境そのものを装置に使うことも、密室内の植物の生態を装置に使うこともできる。機械トリックは内部作用系に収まらない、貫通系のトリックなども含まれるため、機械トリックの呼称だけでは分類に不便だ。「内部動物の殺人や施錠」は推理小説史では古典中の古典となる動物トリックである。動物の生態によっては面白い効果が得られるし、動物を操る犯人にとってはアリバイが保証される場合もある。人間であれば出入りできない経路を通過する貫通系のトリックとの併用が基本技だが、痕跡の操作により問題となる動物には犯行が不可能だったと偽装することもある。「内部犯人の殺人や施錠」は、密室内にそのまま犯人がいたという、当たり前みたいな話であるが、密室トリック分類においては遅れて発明された。その経緯は、デレック・スミス『悪魔を呼び起こせ』(国書刊行会)巻末の森英俊の解説における「密室構造学」の章に詳しく、時間差系のトリックによる犯人の時間差侵入・脱出や、さまざまな犯人隠蔽(意外な犯人、意外な隠遁、意外な脱出方法、意外な誤認など)、今回の分類では「⑥:消滅系/⑥B:犯人の消滅」による犯人の物理的消滅をサブトリックとして併用する作例が紹介されている。森英俊は、犯人を人間以外の物質に偽装するトリックを例示しているが(エドワード・D・ホック〈サム・ホーソーンの事件簿〉の短編にその作例がある)、犯人が別の人間に偽装する場合もある(犯人が自身を密室内の死体に偽装し、密室解除後に本物の死体と交換するなど)。いずれにせよ、私の分類では、そのすべてが表現できる。その他、殺人や施錠とは直接には関係しないまでも、たとえば密室内部に誰かがいたような痕跡・現象誤認を起こしたりするなどの、現場の痕跡を都合よくごまかしたりする「その他の内部作用」がいろいろと想定できる。また、自殺でも事故死でも誘導殺人でも病死でも内部装置の殺人でも内部動物・犯人の殺人でもない、真に特殊な殺害方法――本物の呪いによる殺人など――を、ここに含めることもできるだろう。
 「②非貫通系」のうち「外部作用系」は、密室の内外に、空間越しに影響を与えるトリックの総体である。ディクスン・カーの密室講義の頃から有名な作例が挙げられているのに、なぜかそのトリックは列挙的なままで、概念的な整理が少なかった。壁越しの殴打、壁自体による殴打、ドアノブを内部装置の起点にする、圧力・磁力・電力・重力・浮力・熱波・音波・光などが考えられる。空間に満ちている、物理的に波の性質をもつ力が利用しやすいだろう。遠心力、プレートテクトニクス、地球自転によるコリオリの力など、このリストはいくらでも増やせるだろうが、推理小説として説得的なものは限られる。収れん火災の影響が殺人を生むこと、磁力で差し金を操作すること、建物の傾斜を利用して差し金を滑らせること、重機で壁越しに室内の人間に衝撃を与えること、すべてが外部作用系の原理であり、ここに新項目を加えただけでは原理的に新しいトリックを発明したことにはならない。室外の犯人が殺人ないし施錠に用いるのが最も簡明な利用法だが、被害者が自ら室外から自殺する、室外から病死・自然死する方法なども分類上ありうる。内部作用系と比べて難度が上がるうえ、行為としても不自然なため、施工には特殊な動機が要るだろう。既存の分類では言及が少なく、自然で有効な作例も見当たらない。外部作用系の「時間差死」は理解が困難だが、室外でナイフを刺されて部屋に逃げ込んだ被害者が部屋を施錠したところ、たまたま隣室で起動したMRI機器の磁力によりナイフが引きずり出されて、そのせいで大量出血死するような話になるだろうか。この場合は外部作用系の「事故死」も兼ねる。いずれにせよトリヴィアルな例である。室外での負傷後、室内での施錠による「時間差死」は、時点毎の作用範囲は非貫通系の内部作用系・外部作用系として析出できるが、それが行われている一連の時間帯は貫通系であるため、貫通系の「時間差系」トリックとして理解するべきかもしれない。時間差系は次の段落から説明する。
 「③誤認系」のうち「時間差系」は、密室殺人のメイントリックとしてはおそらく最も作例が多い。もっとも、エドワード・D・ホックの短編について簡単に調べたときにそう判断しただけで、きちんと統計をとったわけではないのだが。密室環境は、施錠や監視などが行われて封印された時間と、その封印が解除された時間の合間、密室時間帯〈封印-解除〉の間だけ密室になっている。その密室時間帯に犯行があったとみせかけ、実際には、封印前・解除後に犯行が行われるのが時間差系トリックの基本アイデアになる。今回の分類では、天城一の「密室犯罪学教程」を参考に、密室時間帯〈封印-解除〉の封印前に行われるものを時間差(+)、解除後に行われるものを時間差(-)で示した。「時間差殺人(+)」の典型例では、密室封印前に被害者が殺される。その後に犯人の扮装や機械装置などで被害者が疑似生存し、部屋が監視された密室時間帯には、犯人には殺せなかったとみなされる。時間差殺人(+)は、被害者がすでに死亡し、被害者自身が部屋を施錠することが難しいため、施錠による物理的密室よりも、監視による心理的密室である場合が多い。施錠する場合は、別途なんらかのトリックを用いる必要があるだろう。「時間差殺人(+)」に、(分類上は内部作用系に含めていた)「時間差死」を含めることもできる。被害者は密室封印前に死傷を負い、部屋を施錠したあとで、密室内で死亡するわけだから。慣例的には別のトリックとされてきたが、定義上はここに統一しても自然である。「時間差殺人(-)」は、伝統的に〈早業殺人〉と呼ばれてきた。基本的には、まず被害者が自ら密室空間を施錠する。その後、被害者は疑似死亡する。密室解除後、本当はまだ生きている被害者を、おもに第一・第二の発見者が素早く殺す。疑似死亡には、強めの睡眠薬で昏睡しているとか、被害者自身が特殊な理由で死んだふりをしているとか、現場に殺人らしき痕跡が揃っているなどの方法がある。被害者自身が犯人に協力して、死体が突如起き上がるドッキリで新入生を驚かせようとしたところ、犯人が本当に殺すようなパターンが典型的だ。天城一は、なぜか時間差トリックには殺人行為しか想定していないけれど、時間差トリックが使えるのは当然ながら殺人だけではない。たとえば、密室封印前に、部屋の中には殺人の痕跡が挿入されていて、密室時間帯の痕跡と誤認されたりする。あるいは、犯人は鍵を使って出入りしたが、密室解除後にその鍵を部屋にいれたりする。また、部屋が密室になる前から犯人がすでに侵入していたり、犯人が密室解除後に脱出したりする。これらの可能性なども考え合わせると、時間差トリックには以下の可能性が想定できる。
 
 ・時間差殺人 封印前・解除後の殺人
 ・時間差施錠 想定解除前の解除/想定封印後の封印
 ・時間差挿入 封印前・解除後の密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡などの挿入
 ・時間差排出 封印前・解除後の密室環境・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡などの排出
 ・時間差侵入 封印前・解除後の犯人侵入
 ・時間差脱出 封印前・解除後の犯人脱出
 
 今回の分類ではこれらの項目に分割して整理した。犯人の侵入・脱出も、犯人は(ダークマターなどの特殊な非物質で構成されていない限り)大抵の場合は物質なので、時間差挿入・排出にまとめてもいいけれど、犯人の出入りは密室トリックの中では重要なので特筆した。天城一は、密室の内外に物質を出し入れするトリックを逆密室トリックと呼んでいるのだが、私の分類では、空間的な抜け穴を用いる「①:貫通系」や、密室時間帯〈封印-解除〉から外れた時間的な抜け穴を用いる「③A:時間差系」の挿入・排出として整理する。天城一は逆密室トリックを、なぜか空間差トリックだと勘違いしている。不思議な話である。
 時間差挿入・時間差排出には、後述の空間差・対象差系トリックと組み合わせる方法が典型である。たとえば、部屋Aで密室殺人が起きたと想定されるとき、部屋Aの内部に被害者Aがあり、室内に鍵Aがあり、鍵Aに対応する錠前A付きのドアAが部屋にあるとする。このとき、部屋B、死体役B、鍵B、錠前B、ドアBなど、あらゆる交換可能な要素が想定できる。これを時間差で交換するトリックである。特に密室環境の時間差挿入・排出が典型的な手法になる。時間差(+)の場合は事前交換である。錠前付きドア&鍵の場合――部屋Aに錠前B付きのドアBを接続して、鍵Bで施錠する。部屋Aには鍵Aを残す。表面的には施錠されているけれど、部屋Aの密室環境としては非密室になる。合鍵を使う代わりに、鍵に対応するドアをすり替える面倒の多いトリックだ。このままではドアと鍵が食い違っているので、多くは鍵の誤認やドアの再交換などの追加工作が必要になる。時間差(-)の場合は事後交換である。錠前付きドア&鍵の場合、犯人は殺人後、部屋Aを鍵Aで施錠して出るとき、室内に鍵Bを残す。後に探偵役がドアAを破って部屋Aに入ったとき、犯人は破られたドアAをドアBに交換する。探偵は室内の鍵Bを、ドアBに差し込む。「部屋Aに対応する、鍵Aのようですね」完。密室環境の部分交換は、対象差系の対象誤認トリックと考えられるが、「④A:密室環境の加工」「⑤A:密室環境の操作」の物理的トリックとしても表現できる。ドアや窓の部分交換は、ロバート・エイディの密室分類では、"Unhinging and Rehinging door or window"(ドアや窓の蝶番を外し、はめ直す)という表現で十一番目に収録されている古風なトリックだが、その他の交換も想定できる。被害者を交換する場合は、たとえば犯人Bは部屋を施錠し、密室内で殺された被害者Aを装う。密室解除後、第一発見者が人を呼びにいったときに、犯人Bは起き上がり、別の場所で殺していた被害者Aを部屋に挿入する。もとから被害者Aが密室内で殺されていたようにみえるわけだ。犯人が部屋を施錠後に密室内で自殺し、共犯者が別の場所で殺していた被害者の死体と犯人の死体をすり替えても同じことである。これらはすべて、密室封印前・解除後の、時間差のすきをついて密室空間に物質を出し入れするトリックになる。
 「③誤認系」のうち「空間差・対象差系」は、ある空間Aと別の空間Bを誤認させたり、ある対象Aと別の対象Bを誤認させるトリックである。その誤認で類似した物体を交換するのもここに属する。作例「第三の被害者」のように、小鳥の死体をすり替えるのは対象差トリックの一種である。前段落で説明したように、時間差トリックと組み合わせるのが基本技だが、単体でも使える。空間差・対象差系トリックは、クレイトン・ロースンの時代から良質な作例があるのに、古典的な密室トリック分類からは洩れることが多かったため、やや恐れ知らずの現代の作家が多用しがちである。空間や対象を丸ごと交換・すり替え・複製・錯覚するトリック(③B1)と、個々の空間・対象を区別する標識をすり替えるトリック(③B2)がある。密室Aで事件が起こったとき、駆け寄ってみたらAと思しき標識がついた、解除条件がAより易化した弱い密室Bに辿りついているかもしれないし、あるいは非密室Cに辿りついているかもしれない。ホテルのように規格化された、個々がよく似て部屋番号の標識なしでは互いを区別できない部屋、部分交換できる部屋の要素、棺や郵便受けなどの独立したすり替えやすい空間や対象、個室の連なる通路、点対称・線対称な空間、回転したり駆動したりするわけわからん屋敷、建築家がよく似た瓜ふたつの建物を作っていた噂話などには注意が必要である。
 「③誤認系」のうち「物人誤認・隠蔽」「痕跡・現象誤認」は、たいていはサブトリックとして使われる誤認系の小技をまとめたものである。すでに説明したように、人間を物質に見間違えたり、物質を人間に見間違えたり、人間を人間に、物質を物質に見間違えたり、人間や物が意外なところに隠されたり、なんらかの錯覚で存在しない対象や出来事を見てしまったり、正しい存在や出来事が擾乱により認識に上らないなどだ(「犯人隠蔽」はこの項目にも整理できるが、犯人を隠蔽する誤認は密室トリック分類では特筆する必要があると判断した)。
 たとえば、法医学のテキストを紐解けば、拳銃の遠射による射入口は、弾丸が体内に入ったあとで皮膚が縮むために、射創の径が弾丸の径より小さくなることが書いてある。撃たれた傷跡は想像より小さくなるため、ドライバーや太めの錐などの刺傷と見間違えやすい。こうしたものが痕跡・現象誤認の一例で、この事実を利用した密室ミステリの作例が存在する。密室の中で被害者が刺殺されていたように見えるが、通路の状態からして、部屋に踏み入ることはできないと考えられた。実際には、被害者は窓越しに銃殺されたのである。もっとも、この方法を用いる場合は、弾丸の存在を隠蔽する処理などにさらなる一工夫を必要とする。  
 「③誤認系」のうち「生死誤認」は、すでに述べたように、時間差トリック(時間差殺人や、犯人の時間差侵入・脱出/被害者の時間差挿入・排出トリックなど)に使われることが多い、疑似死亡(生者が死者に誤認される)、疑似生存(死者が生者に誤認される)のトリックだ。どちらかといえば疑似生存のほうが作例が多いことが、天城一の時代から指摘されている。疑似死亡は睡眠薬で昏睡させたり、さまざまな薬品で仮死状態になったり、脇にボールを詰めて脈を止めたり、死体の演技をしたり・させたり、いろいろ手はあるけれど、なにしろ死んだふりなので、出来事に動きがなくて話に生彩が生まれない。疑似生存の場合、物体や痕跡をすでに殺された被害者に間違えさせたりすることもあるが、いちばん多いのは、犯人がすでに死んでいる被害者に変装する扮装系のトリックだ。こちらは人間の動きがあって展開が作りやすく、読者のごちゃごちゃした勘違いを整理するだけで一本書けてしまうようなところがある。
 「③誤認系」のうち「施錠誤認」は、施錠状態をごまかすトリックである。密室殺人において、問題となる基本要素は殺人と施錠だ。殺人に関しては人間の生死誤認があるのだから、施錠状態に関する施錠・解錠の状態誤認も考えておかなければならない。施錠されていないものを施錠されたと誤認させる「③G1:疑似施錠」のトリックのほうが、どちらかといえば典型的だ。ドアノブをひねって開かないふりをする、物をつっかえさせる、ドアを水分や熱変形で膨張させたりする、ドアを壁越しに圧迫するなど。施錠誤認トリックは、実際に施錠されていたかのような痕跡を作るために、再入室時の密室解除後などに、犯人が時間差施錠のトリックを併用することが多い。疑似施錠の逆に、施錠されている状態を施錠されていないと誤認させる「③G2:疑似解錠」のトリックも考えられるが、うまい作例を思いつかない。つながっていると見えた通路が、実際には透明なガラス壁で仕切られていたとか、そういったことだろうか。なにか使い道はあるかもしれない。みなさんで考えてみてください。
 「③誤認系」のうち「密室誤認」は、密室状態を誤認させるトリックである。非密室を密室に誤認させるもの(③H1)と、密室を非密室に誤認させるもの(③H2)が使われるだろう。密室トリックが非密室を密室に誤認させるのは当然だと思われるかもしれない。さまざまな物理的トリックに随伴してこの状態誤認が起こる。だから、ここでは純粋に心理的なトリック――施錠状態にごまかしがなく、密閉されており抜け穴がなく、それでいて、物理的トリックも使われておらず(密室環境などに加工系・操作系などの物理的トリックが加えられる必要もなく)、完全なる密室状態を保ちながら、それでいて実質的には密室ではなく、非密室を密室と勘違いする類のトリックを紹介する。この種のトリックの典型的なものは「自動施錠・外部施錠」である。スプリング付きラッチ錠やオートロックのような自動施錠の機構、暗証ダイアル錠のような外部施錠できる機構など、強固に施錠されているのに密室ではない機構がある。部屋を出るときに勝手に閉まるドアは強固に施錠されていても密室ではない。暗証ダイアル錠のように外部から閉められる扉は、強固に施錠されていても密室ではない。自動施錠/外部施錠の両方とも、犯人が鍵を用いずに出入りし、強固な密室状態を構築できる。「犯人は、被害者自身が金庫をあけたところで撲殺し、金庫内にメモを残して宝石を盗み、暗証ダイアルを廻して金庫扉を施錠し、オートロックのドアから出ていきました」といった解決編を読むと時間を返せと思うが、いざオートロックで施錠されたマンション内に死体が倒れていて、施錠された金庫内から宝石が消失し、その代わりに謎のメモが残されていると、はて、どんな不思議な密室トリックで密室内の殺人と施錠を成し遂げたのだろう、という気分になったりする。本来は開けないはずの扉を、被害者が開ける特殊な動機がプロットに噛み合えばメイントリックにまで昇格するが、だいたいは軽い誤認のためのサブトリック止まりなことが多い。生成系の「⑦F:鍵の生成」などの物理的トリックと併合するため、純粋に心理的とはいえないが、この手の密室誤認に合鍵のトリックも含めることができる。合鍵を用いれば、現場は完全なる密室状態を保ちながら、実質的には非密室となり、非密室が密室だと誤認される。現場に残される痕跡は、その他の密室殺人の状況といっさい変わらない。もっとも単純で、現実的で、強力なトリックである。私はこのトリックの身も蓋もなさが好きだ――個人的な思い入れもあるが。鍵に物理的な制作可能性が存在する以上、合鍵にも物理的な制作可能性が存在する。フェアプレイそのものである。文句ありますか? 最近だと鍵をスキャンして、3Dプリンターで合鍵を作る方法もある。合鍵の存在に怯えた密室ミステリには「特殊な錠前」という実態不明の表現が頻出する。その鍵にはICチップが埋め込まれていたり、3Dプリンターでは複製できない内部構造を持っていたりする。施錠の機構が特殊なものであれば、それだけ合鍵の機構にも特殊な制作をする余地が生まれるだろう。たとえば、暗証番号パネルに付着した指紋から数字の組合せを予測するとか、その種のことだ。たんに鍵そのものを作るのではなく、問題となる機構に合わせた意外で特殊な施錠道具を考えることで、合鍵ときいただけで拍子抜けにならないほどの生彩のあるトリックを考案できるかもしれない。これらは非密室を密室と誤認させるトリックだが、前述のように、密室を非密室に誤認させるトリックもある。たとえば、犯人が自分の犯行だと思われないために、あからさまに自分が使ったと発覚する経路とは別の経路を開いておき、自分の用いた経路は別の方法で封印する場合などである。素朴な物理的トリックを併用するものが多く、純粋に心理的なトリックは限られるようだ。密室ミステリだと紹介することがネタバレになる類のトリックだが、密室ミステリを求める読者も開きっぱなしの部屋に釈然としない思いを抱えるので、すれ違ったままでいいのかもしれない。純粋に密閉された密室を非密室に誤認させる方法はあるのだろうか? 疑似解錠の例で出したように、氷やガラスなどの透明な壁を使う話になるのかもしれない。さしあたりはうまい手を思いつかない。
 「③誤認系」のうち「虚偽」のトリックは、既存の密室トリック分類には含まれないことが多いようだ。密室殺人などの不可能犯罪には、基本的には、矛盾を構成する諸前提のどこかに実際には誤りが含まれることで成立する。だから、そもそも密室に関する情報自体に嘘や誤解が含まれる可能性が考えられる。密室に関する現象の総体が作話の場合もあれば、合鍵がないという細かい情報や証言などが誤解であることもあるだろう。こうした虚偽には「③I1:意図的な作話」「③I2:非意図的な誤解・錯覚・幻覚」が考えられる。これらの例は作品世界内での情報伝達に齟齬が発生している場合だが、作品世界と作品読者間の伝達で齟齬が発生するような「③I3:叙述トリックによる情報誤認」の例も考えられる。また、「③I4:世界レベルの錯誤」も想定できる。仮想世界、並行世界、作中作、SF・ホラー・ファンタジー・その他の超現実や特殊設定的な別ジャンルの介入などにより、その世界には、現実世界と異なる物理法則や規則が容認されたり、あるいは論理的な矛盾そのものの事態が容認されたりする。これは矛盾を構成してみえる諸前提に虚偽が含まれるわけではない。前提はすべて正しい。ただ、推理小説を読むさいに、読者が常識的に採用する約束事との齟齬が含まれる場合がある。
 「④加工系」「⑤操作系」「⑥消滅系」「⑦生成系」は、密室環境・犯人・被害者・凶器・施錠道具・鍵・痕跡・その他の諸物質に対して行う物理的トリックである。あらゆる対象にあらゆる施工がありうるので、詳述はしない。その物理的トリックが何のために行われるのかは、すでに述べたように、トリックの作用範囲や心理的トリックとの兼ね合いから、現実的な意味合いが決まってくる。物理的トリックでは、消滅系と生成系はやや扱いが特殊だ。「凶器の消滅」はまだわかりやすい。氷やドライアイスの刃物や岩塩の弾丸で誰かを殺して、凶器が融けて消えてしまえば、密室トリック向きの不思議な現象が生まれる。「犯人の消滅」「被害者の消滅」だと、たとえば密室内の被害者や犯人を、焼却、蒸発、液状化、切断細分化、食事消化などのさまざまな方法で、物理的に消滅させてしまう。厳密には消失したわけではなく、物質が変化したにすぎないから、加工系に入れても構わないが、たとえば密室を施錠した犯人が室内で自分を薬品で溶かして水道管に流したり、自分を丸ごと焼却した場合など、消滅系はその現象に派手な効果をもたらすから、あえて概念系の項目を特筆しておきたい。「生成系」のトリックは、江戸川乱歩『続・幻影城』の「類別トリック集成」にすでに記載がある。
 
 ――――
 今一段奇抜なのは、双葉十三郎君に聞いたのだが、たしかハーバート・ブリーンの作だったかと思う。先ず野外で人を殺しておいて、その死体の上に大急ぎで小屋を建築して、密室を作るという着想である。簡単な小屋なら一夜で建てられるのだから、これは不可能ではない。殺人のあとで家を建てるというのは、チェスタートンでも思いつきそうな手品趣味で、いかにも面白いと思った。
 ――――
 
 これは「密室環境の生成」にあたる。パロディ的な短編として作例も存在する。家屋をまるごと生成するのではなく、壁やドアなどの部分的な生成でも同じことができる。生成系は多様な諸物質に応用が効く。「凶器の生成」を利用して、凶器が存在しないようにみえるところで、その場にあるもので意外な凶器を作ることもできる。部屋のなかに遠隔で生成した結晶などで被害者を殺せるかもしれない。「施錠道具の生成」「鍵の生成」は合鍵トリックに使うのがわかりやすい。「痕跡の生成」は様々な偽装に使えるだろう。一段と大掛かりなのは「犯人の生成」「被害者の生成」だ。犯人・被害者に限らず、登場人物そのものを物理的に生成するトリックが存在する。人間は出産や培養で増えたり、クローン人間を作れたりする。たとえば、宇宙船内のクローズド・サークルで殺人事件が起こるが、容疑者には全員アリバイがあった。ここで生成系トリックが使える。犯人は目的地の星に辿りつくための長期間コールドスリープを利用して、船内装置で自分のクローンを培養し、自分の死体を生成した。容疑者から外れたので、あとは殺し放題だ。バールストン・ギャンビット(真犯人を死者に見せかけるトリック)のバリエーションのひとつになる。被害者を生成したのと同じ方法で、犯人そのものを生成することもできる。先程のように被害者役のクローンを培養する予定が、当人がクローンに殺されてしまった場合など。
 
 まだまだ書きたいことがたくさんある。本稿を私の師匠に捧げます。
 
 参考文献: 
 天城一;日下三蔵編(2020)『天城一の密室犯罪学教程』 宝島社
 江戸川乱歩(2014)『江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城』 光文社
 Adey, Robert C.S.;Skupin,Brian.(2018) Locked Room Murders Second Edition revised / Locked Room International
 Carr, John Dickson;加賀山卓朗訳(2014)『三つの棺』 早川書房
 Smith, Derek.;森英俊訳(1999)『悪魔を呼び起こせ』 国書刊行会
 
 ――――――――
 
 編集者の坂梨くじらは、真夜中にメールで送られてきた、その原稿に困惑した。熊埜御堂絵莉はどちらかといえば締切を守る方だが、こんなに早い入稿は珍しい。内容も内容である。密室ミステリに関する、雑誌用の軽いエッセイを頼んだだけなのに、ここまで仕事の秘密を詳らかにする必要があったのか。マジシャンは種明かしをするべきではないといわれる。自分が魔術を演じたときに、驚いてもらえなくなるからだ。これでは今後、いったいなにが書けるというのか! 掲載は見合わせたほうがいいかもしれない、坂梨はそう直覚した。
 深夜3時。北西太平洋域で発達しつつある台風12号のニュースを横目で見ながら、坂梨くじらは電話をかけた。本人の声を聞くべきだと思った。
 熊埜御堂絵莉は電話をとらなかった。

 次話:空中の密室(3)|カウントダウン
 長編ミステリ〈エイリアン・サマー〉目次

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?