似非哲学に気をつけて!

「哲学」というとどんなイメージがするだろうか?
僕はなんかフランスパンみたいなイメージをする。豆腐に何もかけないで食べるような無機質な感じ。ギリシャのあの白い家と同じような感じがする。

哲学っていうとあのなんか小難しい話でしょ?
て思うかもしれないが、哲学は案外嫌なものじゃない。なぜなら小難しい話は哲学から逸脱しているからだ。

言葉というものは不思議なものである。なぜならなんでも言おうと思えば言える。たとえば、ポテチを食べたら喉が渇く。のどが乾いたら水を飲むから潤う。すなわちポテチを食べたら喉が潤う。という謎三段論法がある。これは一目で間違っていると誰でもわかる。だけれどもこれが気付かれない形で使われていることがある。だから小難しい話は論理的に正しそうに見えて全然間違っていることがよくある。だから心理学とかの小難しい法則を鵜呑みにするのはやめたほうがいい。

哲学の真理だなーと思う言葉は極端にコンパクトである。というのも、哲学とは「言おうと思えばこう言うこともできる」ではなくて「こうとしか言えない」というものらしい。

例えば、確か自我について「他人と自分の関係の連続」という説明がある。この説明は味わい深くて好きだ。たしかにそうだなと思う。僕は他人から教えられたことに影響されているし、それを吟味して考えた自分にも影響されている。それの積み重ねが自分である。

真理というのは誰にでもあてはまらないといけない。だからわからないことがあったらそれは真理ではない。だから難しい言葉を使ったよくわからない議論は哲学から逸脱した言語ゲームなのだ。そして、大体の文系の学問がこれに当たるのではないかと思う。

哲学は本当に面白い。なんか、へーそうなのかー。ていうトリビアの泉の「へー」を連打したくなるような面白い言葉がたくさんある。哲学と聞いて、よくわからない人の名前とか○○的××みたいな用語を出してくる人は笑って蹴とばそう。

本物の学者さんにそれは違うぞと怒られそうだけどとりあえず哲学?に思うことに書いてみた。

間違ってたらごめんなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?