【雑記】Note更新の今後の指針(自分用)

Noteの更新が止まり、再開した理由の1つを書いておこうと思う。
これが、今後の活動目的にもなるし、文書にして書き残しておけたら、それが灯台のような指針になりそうだ。

これまでは、自己分析の有用性を示すことで、皆さんにも自己分析をして貰い、生きやすくなって貰えればと思っていた。

しかし、周囲の人に話を聞いてみると、有用性はよく分かったが、自己分析は進まないと言う。
どんな風に自己分析を進めたら良いのか分からない、ということだった。

そうなのか…汗

私は、自分がそうだったように、自己分析のメリットを理解していないから、皆もやらなんだろうと思っていた。
だから、自分なりの体験を語り、メリットを示すことで自己分析を促そうと思っていた。

しかし、そもそも、自己分析の進め方が分からないという話を聞き、うーむ、と悩んでしまった。
更新が止まった一番の要因であるw
言われないとそこまで想像が及ばなかったあたり、やはり想像力が弱いということか…苦笑

私は、当時、自己分析を楽しく進めていた。
自分の行動やその時々の思いについて、考えを巡らせるのが楽しかった。

例えば、私は、コミュニケーションが苦手で疲れるのだが、世の中には全く疲れないという人もいる。
このように、なにかと比較して違いがあるところに着目し、なぜそうなんだろう?と考えてみる。

私が疲れる理由は、相手が言わんとしていることを汲み取れないからだ。
明示されない情報が何なのか、なかなか想像が及ばないので、頭で考えて補おうとしている。
しかし、多くの方はそこまで一生懸命考えなくても、”何となく”で情報を保管しながら、しかも大きく的を外さずに会話ができるらしい。(信じられん!)
これは人に聞いてみて知った、自分と周囲の人との違いである。

ここまで分かると、自分には会話をする上で制約がありそうだ、ということを念頭において行動できるようになる。
そして、うまく制約内で済むように立ち回るという選択が出来るようになる。
そうして”やれそう”という感覚が掴めると、希望が持てるようになる。良いことばっかりだ。

というように、私の中では自然に自己分析が進んでいたのだ。
普段から”何となく”では進まないことが多く、何でも言語化して考えながら生きてきたので、その延長線上の作業なのかもしれない。

困ったのは、その進め方をどう伝えるかだ。
自分のやり方を言語化すると、自己分析とは、日々の自己観察からはじまり、疑問をもって考え、調べたり専門家に聞いて確認する、という作業の連続である。
テーマやその粒度は毎回変わるし、何を切り出すかも自由であり、どのように疑問をもって深掘りするのかも自由だ。
なので、具体的にメソッドとしてお伝えすることはちょっと私には難しい。だから、うーむと悩んでしまうことになった。

ただ、最近思ったのだが、テーマを切り出して、ワークのようにそのテーマについて考えてみて頂く、というような趣旨の記事をたくさん書いていったら、自然と読んでくださった方の自己分析が進むのではなかろうか?

そう思って、Noteを再開している。
今後の活動で、少しでも皆さんの自己分析に貢献できれば何よりだ。
私自身、ムリのない範囲で続けていきたい。


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