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チリも積もればなんとやら

先日、親友と話をした。

彼は動物病院で働く動物看護師だ。職場では社員が発表する練習の一環として、毎朝誰かが発表することが決まっているという。

電話をした日は彼が発表をした日だった。どんな内容を話したのか尋ねると、"チリも積もれば山となる"という話をしたという。

話の中で、彼に「チリも積もれば山となるって言葉があるけど、どういう"チリ"を積もらせるか?が大事だと思うんだよね」と言われてハッとさせられた。彼に言わせれば、何でもかんでも積もらせればいいというものではないという。

僕が最初に感じたのは、目的や目指す方向を決めてそこに向かって知識や経験、人としての器を広げていく(積み上げていく)ことを言っているのだと思った。しかし、彼の反応は意外なものだった。


「どこをゴールにするかを決める時点で限界が決まってしまうよね。どういう山を積もらせるかを考えていないと山にすらならないだろうけど」


驚愕である。もう6年ほどの付き合いであるにも関わらず、正直なところ、そんな言葉が出てくるなど思いもしなかった。

”ゴールを決めると限界が決まる”

そんな視点は僕にはなかった。思い返せば、尊敬する人に10年後のキャリアのビジョンについて伺ったことがある。

「5年後、10年後どうなるかなんてわからないから今できることをやるだけだよ」

当時は分かったつもりになっていたが、友人の言葉から新たな学びを得た。

彼は僕よりも2年先に働き始めているが、これほど働いている人、というよりも、友人との差を感じたことはない。驚きと焦燥感、今後の自分の成長への期待、こうした親友がいることの誇りが入り混じったなんとも言えない感情だった。



話は変わるが、ここ数日は自分の未熟さを痛感させられる。

こうして何か言葉にして吐き出さないと、何かヘドロのようなものが自分の中に溜まって気持ち悪くなる。環境や周りの変化からくる寂しさ故だろうか。あるいは自分の見えている世界の狭さ故だろうか。

見える世界を広げたいと切実に思う。本を読んだり、見識のある人と話をすることや、自分にない視点を持つ人と話すことは心地が良い。知識や経験を追体験したり、自分に重ねたりすること、そして自分自身もそうした知識や経験を積み上げて、自分の世界を広げることで、知的好奇心を満たすことができる。成長実感を持てる。

ただ、そのスピード感や方向性に不安を感じるときも多い。

人付き合いにしても。

意外と小心者で自分に自信がないのかもしれないとさえ思えてくる。


僕は何を積もらせているだろうか。積もらせることができるだろうか。


みなさんは何を積もらせていますか?

Nao

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