年を重ねて薄れ行く「お笑い」への憧憬
内的世界ばかりが膨らむ10代。「女」という業に振り回される20代。
そして現在、30代の私。
どれも確かに私である。
しかし、やっぱり10代の私と30代の私では、考え方やものの見方が違う。20代で結婚出産を挟んでいるので、余計にそうなのかもしれない。
年齢を重ねるにつれ、色んなものに対して「憧れ」が薄れていくのを感じる。
例えば、お笑い。これは中学時代、私の興味の大部分を占めていたはずだが、現在は最大の賞レースである『M-1グランプリ』すら観ないという有様。
というか『R-1』『KOC』『THE SECOND』『THE W』、どれも観ていない。
テレビに出ている芸人も、特に令和改元以降にブレイクした人たちなどは、顔と名前がほとんど一致しない。
先日、自分で自分にショックを受けたのが、『アメトーク』を観ていた時。
プレゼン大会の回で、プレゼンター側にさらば青春の光の森田、MC側にウエストランド井口が座っているのを見て、「えっ、森田が2人居る・・・・!?」と頭が混乱した。私は今まで、2人を同一人物だと思っていたらしい。
一時期はあんなに夢中だったお笑いに、なぜここまで興味を失ってしまったのだろう。
一番大きいのは、「お笑い芸人が自分より年下になってしまった」ことのような気がする。
私がお笑いに夢中だった10代半ばは、ちょうど「お笑い第5世代」のブーム期に当たる。
『オンバト』『エンタ』『はねトび』『笑いの金メダル』などのお笑い番組が乱立していた頃だ。
それらに出演していた芸人は、年代で言うと1970年代生まれの世代。私から見ると、四捨五入で20歳も上のお兄さん方であった。
中学生から見た20代半ば~30代の人というのは、ただでさえものすごく大人に感じるものだ。
さらにあんな面白いことを考えて、観客を夢中にさせて、台本も書いて覚えて、見事なオチまで付けているんだから、芸人さんというのは、それはそれは立派な人たちに違いない――!
当時の私は、そりゃもう偉大な芸術家を見るような眼差しで、お笑い芸人たちを見ていた。
しかし、2010年前後に始まった「お笑い第6世代」のブームになると、「憧れ」の要素は、私の中からパッタリと消えるのである。
番組で言うと、『レッドカーペット』とか『ピカルの定理』のあたりかと思う。
そういった番組の出演者と自分の年齢差は、10歳前後に縮まっている。
中には、小学校に通っていた時期が自分と被っている年代の人とか、下手をすると、年齢差が2、3歳以内の人も出てくる(渡辺直美とかがそうだ)。
そうなるともう、彼らと私が見てきた景色は、ほとんど同じなわけである。
幼少期に『ドラゴンボール』とか『セーラームーン』に親しみ、『ごっつええ感じ』や『笑う犬』シリーズを見て笑い、SMAPや宇多田ヒカルやモーニング娘。を聞いて育ってきた人たちなのだ。
我ながらよくわからない理屈だが、つまりテレビに出ている芸人が、「神様みたいな芸術家」なんかではなく、「自分と同じ景色を見て育ってきた、ただの人間」であることに、この辺りでようやっと気づき始めるのである。
結婚出産以降、特に価値観が変わり、ガチガチの安定志向に囚われていたこともあり、「冷静に考えたら、芸能界ってマトモな商売じゃないよなー」などと冷めた気持ちが芽生えはじめる。
同時にこの頃、自分が中学時代に夢中になってきた芸人たちの不祥事が相次いで発覚。
「お笑い」そのものは好きだが、「お笑い芸人」への憧憬は、ここで完全に消失するのであった。
そして現在。自発的にお笑い番組を観るとか、ライブに行くとかの行動は、まずしなくなった。
小学生のわが子が、自発的にサンドウィッチマンや陣内智則、バイきんぐなどのネタ動画を見るようになり、一緒になって楽しむことはあるが、関わりとしてはその程度である。
かつて、私の妄信的な憧れの対象であった「お笑い」は、時間の経過や、自分自身のライフステージの変化により、「一コンテンツとして楽しむ」という健全な形に、ようやく回帰したのかもしれない。