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わりと日刊だらく[No.89]〜人を読む〜

今日の散文


人を読む


今の僕は労働期の真っ只中にいる。

1日9時間くらい働いて、夕方に1.5時間くらいの仮眠をとり、日を跨いでから深夜に6.5時間寝る。

1時間はこの日刊記事を更新するために、考えたり書いたりしている。

あとは食事をしたり、お風呂に入ったりしているとほとんど時間が残らない。

祈りも最近は疎かになってきていて、ちょっと良くないな〜と思っているくらい時間がない。


でも、対談だけは毎日続けようと思い初めて、夜帰ってきてからやっている。

だいたい2〜3時間は話すので、完全に残りの時間がこれだけで消化される。


本当は、残りの時間で本が読みたいなと思っていた。色んな情報が得られるし、もっと違うことを知りたいと思っていたから。

でも、どうやら今の僕は、もっと別のことをやるべきらしい。そう感じている。

それが対談だ。


本を読んでもなんだか記憶にちゃんと残ってくれないし、実生活に役立っている感じがまだ得られない。何が足りないのかはよくわからないけど、そんな理由で、読書が今の僕にはまだ少しレベルが高いのではないかと思えてきた。

「僕に必要なものは『本を読む』ではなくて『人を読む』なのだ」という言葉が浮かんできた。

本というのは、何度も読まないとどこがどう繋がっているのかわからなかったりする、何が書いてあるのかよくわからなかったりする。

それと同じように、人間も何度も似たような問いを投げて少しずつ違う答えが出てくるのを聞かないと、その人のことはわからないと思う。

この5ヶ月間、60人近くと対談をしてきてそう思う。


その人を知るためには、その人の歴史を知らなければならない。その人が何にどう感じるのかを知り、その理由を聞き出さなければならない。何が好きで何が嫌いか、どんな矛盾があるか、どんな価値観を持っているか、とにかくなんでもいいから大量の情報を聞き出していき、その中に何かを発見していく。

その結果、相手が自分で気づいていなかったことがわかったりすることが多い。


そうやって人間を雑に理解していく作業が、僕は大好きだ。丁寧にやっていても完全に理解することはできないだろうから「雑に」と書くことにした。

細かい部分は置いといて、その人をその人たらしめている核の部分を、その人の歴史や感じ方などを中心に考えて理解していく。それによって、僕は僕のことを知ることになる。

その人のある部分に自己を投影する。過去の自分を思い出し、それが鏡として機能する。

だが、話を聞いていくとその中に色んな差異が見えてくる。その差異が新たな知識となったりする。


どんどんその人のことを聞いて掘り下げていくことで、その人の構造がどうなっているのかを知る。

昨日の記事は、対談した時に感じたことを書いた記事だったのだけど、そんな感じで色んな構造が見える。


今はまだ、僕の知っている世界、その人が話してくれる世界の構造しか見えない。でも、これを積み重ねていくことで、見えない部分がどんどん見えるようになっていくと思う。対談を続けてきてそう感じる。

これが僕の対談における「人を読む」ということだ。


本を読んでも得られない経験値がそこにはある。

本当は本をたくさん読んで色んなことを知りたい。確かに本を読もうと思えば読めるのだけど、対談するのが楽しくてそっちを優先してしまう。色んな知識も手に入るし、本を読むのと大差ない行為にも思える。

だから、もっと身近な、人間そのものについての情報をたくさん仕入れなくてはならない時期なのかもしれないなと思い始めた。

だから僕は、この労働期には本を読むのを基本的には断念し、対談して人間について知るのをやっていこうと思う。

対談をしたあとは、疲れていないしむしろ回復しているまであるので、労働にも負担がかからない。

今の僕はこれをやるしかないのだなと観念し、他のことを諦めてやっていこうと思う。


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超越の祈り

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