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わりと日刊だらくNo.3[わりと毎日更新してます]〜スマホと紙とみんなのコトバ〜

いいだろ、書いてもらったぜ。完成品。ちょーかわいい

今日の変化


今日は、起きてからひたすら文字を書きまくっていた。

「朝の書き出し(仮)」と呼んでいるんだけど、起きてからまず水を飲みラジオ体操をしてから、ノート1ページ分なんでもいいからとにかく書きまくる。そういう儀式である。

今日は、途中でスマホをいじったりしながら書いていたのだが、それでデジタルとアナログの両方で文字を書くことの良さを知った。

スマホのフリック入力をやり、ボールペンで紙に文字を書く。スマホをいじっている時はスラムを見ていた。

こんな感じでやっていたら、書きたい内容がどんどん増えてきてしまい、Twitterやらメモ帳やらnoteの下書きやらにまで手を出してしまいすごいことになっていた。脳の使い方が変わるというか、刺激が多くなったのでとても楽しかった。

しばらくそんな感じで続けていたら、まさに今書いているこの「わりと日刊だらく」シリーズなどの記事についてのアイデアがぽつぽつと統合し、それなりの大きさのアイデアになった。

このデジタルとアナログでの交互に文章を書くことが、伊予柑思考法や読書にも応用できる気がしている。ちょっと作業や構造が複雑になるが、時間がある時に模索してみることにしよう。

<まとめ>

アナログとデジタル。紙とスマホ。

色んなことを考えている他人の文章を見ながら、それに対応する内容をスマホに書き出したあとに、今日やることや今後やっていくことについて紙に文章を書き出したら、後者に良い影響が出たりした。色んなアイデアが湧いてきた。

「朝の書き出し」だけではなく「伊予柑思考法」「読書」「対談」などにも応用可能かもしれないので模索していこう。

(まとめてたら何でそうなったのかわかった。そうか、そういうことか)

今日の標語

○もう聞こえなくなった音を手元にとどめておく

人間の能力には、記憶すること、予測すること、選択肢を常に残したまま何かをすること、などさまざまあるのだが、それらが時間を操る。

未来を予知し、それに向けて今の動きを変えたりする。

今、見えていないもの、聞こえていないもの、触れていないもの、それらを手元にとどめておくことで、未来を別の方向に変えることができる。

世界とシンクロしていこう。


今日の図鑑


モミジイチゴ

花が下向きに咲くんだって。変なの(出典 wikipedia)
いくらに似てるね(出典 wikipedia)


なんかキモいな…(出典 https://sansai-kinoko.com/kiichigo/)


味はうまいんだかまずいんだがよくわからなくてネット上で見た評価はマチマチなんだけど、未熟だと酸っぱかったり、熟すと甘かったりするらしい。


今日のお話


今日はこんな話が落ちていた。

「愛されたい」「理解されたい」、そんな風に思うのだが、どうしたら良いかわからない。

このコーナーでは、中卒で元精神病マンのこの僕が、こういう疑問に何も考えずにテキトーに答えてみようと思う。


○まず、自分を愛せない人は、仮に対象にどんなに強い感情を持っていたとしても、他人を愛することはできないと思う。

何故なら、それがただの埋め合わせだから。穴が埋まればいいのだから、対象は入れ替え可能であり、対象が条件を満たしていれば何でも良い

とにかく腹が減っている時は、何でも口に入れたいと思うし、肉体的には栄養があるものなら何でもいいのだ。

自分を愛していない人が、他人に愛情を求めて満たされたとしても、それは愛ではなく、ただの埋め合わせなのだ。

足りている人だけが、余剰を他人に与えることができる


○「では、余剰を得るためにはどうしたらいいのか?」

絶対に効くという保証はしないが、僕は「自分の中の子供との対話」をオススメしたい。


○自己愛が足りずに「私はどうしたら満たされるの?」などとのたまっている人は、おそらく日常的に自分を抑圧している

たぶんそれは、あなたが我慢していることに気づかなくなるほどに長い間続けてきた習慣だ。

「なんか嫌な感じがするけどそれが何なのかわからない」

そんな風に、抑圧した感情は「無意識」に閉じ込められ、言葉にならないまま存在し続け、永遠に自分の外に出ようとし続ける

そうやって抑圧すればするほどに余剰はなくなり、外部で自分を埋め合わせようとする。

それは、承認欲求であったり、食欲であったり、性欲であったりとさまざまなカタチで症状として表面化する。


○抑圧した感情というのは子供である。

みんな、本当は駄々をこねたいのだが、必死に我慢しているのだ。

駄々をこねている大人というのを見る機会はあまりないと思うが、そういうことだ。

○「理解されたい」「愛されたい」「褒めて欲しい」「抱きしめて欲しい」「いい感じに話を聞いて欲しい」抑圧しがちな人たちは、みんなこんな風に色々な不満があるのだが、大人になり、子供のように駄々をこねてもいられないので、その感情を押し殺し、納得できないままに日々をやり過ごしている。

こういうことは、納得するまで駄々をこねて大人に話を聞いてもらうのが良い。

それはあなたが「子供の自分を解放できるかどうか」にかかっている。

自分の中の、
感じている不満を素直に言葉にする子供
話をじっくり聞いて諭す大人に分かれて
納得するまで駄々をこねて諭し続ける。

そうやって無意識に押し込められた抑圧された感情を、言葉にして意識に戻してやり、感情的な納得が訪れるまでとことん話し合うのだ。


○一時期、僕はこの方法で自分の感情にケリをつけてきた。だから、一応実績のある方法である。

そういえばこないだある人にその方法を教えたら見事に実践できたようで、良い方向に向かっているらしい。

自分の嫌いなところがある人などもこれをやってみるといい。

○ポイントは、子供パートで「これが本当に嫌ナノっっっっ!!!!!!!!!」とガチで感情的になることだ。

大人パートでは、インナーぷろおごに話を聞いてもらってもいい。

僕はあまり厳密に考えずに毎回少しずつ変わるような感じで色々試しながらやっていたので、厳密な理論はないので、そんな感じでテキトーに試してみて欲しいなと思う。

もちろん、結果は保証しない。

でも、もし結果が出たら教えてね。

僕はこれをやって、自分のことが愛せるようになってきたよ。

今日の話はここら辺で。


今日はくらがりチャレンジこそできなかったが、色んな変化があった。久しぶりに対談も出来た。とても楽しかった。

今日も良き日であった。

明日はもっといい日になるよね、有象無象。

ほんじゃ、また。

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