わりと日刊だらく[No.17]〜愛は手触り〜
今日もテキトーにやっていきます。
今日の散文
開始時間と到着時間
僕は「到着時間」に合わせて何かをするというのがスゴく苦手だ。
今この瞬間に何かをやり始め、ひたすらそれをやる、ただそれだけの生活がしたい。
「12:00からご飯を食べる」などと決めてそれまでに出来た試しがない。出来たとしても続かない。
だが、「何時からやる」なら不思議と出来る。本当にやると決めていれば。「やりたくないしやらなくてもいいこと」は出来ないと思うけど。
社会人の方は割と当たり前に出来ていそうなことだが、僕にはスゴくむずかしいことなので、これを知れて良かった。
ちょっとした捉え方の違いだが、結果は大きく違ってくる。
愛は手触り?
しばらくの間、神への祈りをやってきた。
僕にとっての神とは何かというと、すごく現実的な存在である。
この世界の流れそのものであり、社会であり、他人であり、さらに僕の身体である。
僕の力なんかではどんなに頑張ってもコントロールできないもの、それが神である。
もっとも身近な神は、僕の身体だ。僕は僕の身体とお話をする。そして愛を伝える。するとそれなりに満たされる。
しかし、それは嘘っぱちだと気付いた。
それは、僕の「飼い猫に対する愛」を日常的に思い浮かべるようにする習慣からそう気付くことができた。
手触り、におい、話しかけた時の反応、触った時の反応、ご飯を食べている時の表情、こちらの反応を見ている時の顔、フレーメン反応をしている時の顔、腕をダラーッと伸ばしてリラックスしている時の弛緩した感じ。
思い浮かべれば無限に愛おしい記憶が蘇ってくる。
たぶん、これこそ愛だ。
心の底から愛おしい気持ちが湧き上がってくる。
ただの快楽物質を出す回路に電気を通す作業ではなく、そこには記憶があり、色んな感情や思考の流れ、手触りを伴っている。
もう、こいつらと暮らして8年ほどになる。
これだけ長く一緒に暮らしていると、知らぬ間に沢山の蓄積があるのだな。
神は対象として機能するが、そこに手触りはない。
ウチの猫には手触りがある、においがある、温もりがある。
「神への愛はホンモノか?」と問われても「いやぁ…わからん」となりそうだが、「飼い猫への愛はホンモノか?」と問われたら「もちろん」と即答できる。
愛には手触りが必要。
たぶん、そういうことなんだろう。
音楽
Aphex Twin
久しぶりに聴いたけど、やっぱいいね。
一人組
くらがりチャレンジ
音楽とかアニメの新しいエピソードとかを見た。あと、ウルトラ金持ちと話して3時間くらい延々とウルトラ金持ち界隈と彼の生い立ちや性格を聞いた。小金持ちではなくウルトラ金持ち金持ち界隈がどういう構造なのかを少しだけ知ることができた。彼の構造がどう作られたのかを何となく知れた。すごく良かったな。近いうちに記事で出す予定。
贈与
なし。
パブリックを思い出す
やった。家の中でやってもやった気があまりしないので、なるべく外との関わりを持つべきだろう。
小休憩
休憩しっぱなしだったのでとっていなかったが、意識的にやった。
観察と感想
今日は外に出ていないので、雲を眺めていた。雲だな〜流れてるな〜と思った。
愛を思い出す
愛を深めた。
本と話す
やった。今日から追加した。本の読み方に、対談の時の人格を移植。論理的に話を聞こうとする姿勢と、問いと好奇心が生まれる。本の読み方、けっこう忘れがちなので毎日これをやろうと思う。この時の感覚は、これもまた忘れがちなのだが「直立前のめりの作法」の儀式の感覚だ(何言ってるかわからないと思うのでごめん)。書いてる途中に思い出した。
終わりに
今日は、連勤でそれなりの労働をやった後の休日の幸福を味わっていた。
本を読み、アニメを見た(ワールドトリガー)。
雲を眺めて「雲だな〜」と思った。全身にちょっとした浮遊感があった。
そして、対談をやった。
ウルトラ金持ちと話したのだが、すごく面白い時間を過ごすことができた。知らない世界が照らされた。
今日も良き日であった。
明日はもっといい日になるよね、有象無象。
じゃあ、また、あした。
良い夜を。
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