わりと日刊だらく[No.179]〜他人に向かおう〜
今日の散文
他人に向かおう
これは今月の大きな収穫のはなし。
今月は、運が良くなったので、問いのバイトがまいこんできた。
それと同時に、また分不相応な時間働いてお金を稼ぐ必要が出てきた。
やることが変わると、人は変わる。
どうにかたくさん働こうとしたけど、あまり働けなくなってしまっていた。
以前は、朝から働いて夕方に3時間くらい休んでからまた仕事に行く、という感じでやっていた。
だが、今はお金を稼ぐと同時に、勉強したり問いをやったりしたいので、夜の仕事を休むようにしていたのだが、半日の仕事でも2日か3日すると頭が思うように動かなくなる。
だから休むのだけど、そうするとお金が稼げない。
それで知らないうちに焦っていた。
今もその焦りが少しある。
問いをやり始めてあとすこしで一ヶ月たつ。
毎日3つの問いを出して提出するのだが、毎日これをやるのにかなり必死になっていた。
これは、他人から与えられたミッションではあるが、僕が望んでやりたいと思ったことなので、手を抜くのは嫌だ。だから必死にしぼりだしてやっていた。
そして、しぼりだすように問いをやりつづけていてわかってきたことがある。
それは「僕の問いのほとんどすべてが『自分の問題を解決するための問い』である」ということだ。
当然、そのような問いは枯渇していく。
自分の認識している問題の範囲なんて、高が知れているから。
僕が僕の不快を解消するためだけに立てた問いは、僕の生活の範囲にしかない。
だから、生活を変えない限り、僕の問題を解決するための問いは出てこないのだ。
また、解決しない問題もある。
僕はその解決しない問題から逃げるために、何をすればいいのか考え続けていたのかもしれない。
そして何よりも、僕は「他人から逃げつづけている」ということに気づいた。
対談では他人に向かっていっているのに、他の領域では、他人に向かうのがこわいのだ。
たぶん、まだ他人とどう関わればよいのかわかっていない。
自分がどう振る舞えばいいのかまだよくわかっていない。
他人にすごく興味があるけど、傷つけられるのがこわいのだ。
これは直接的な関わりに限ったことではなく、Twitterなどの文章でも同じだ。
だから、無意識にTwitterの文章もあまり読まないようにしていた。
僕は、僕の内側から湧いてくるものだけに向かって問いを立てていたのだ。
話は変わるが、3日かけて「輪るピングドラム」を見た。
一言でこの作品の結論を言うと「罪も愛もすべて分かち合おう」だ。
ぷろおごの記事を読んだ。
「すべてを受け止めるふかふかな土になろう」と書いてあった。
だが、輪るピングドラムを見終わる前に、ぷろおごの記事を読む前に、25.26日と対談をつづけて「自分には仲間が必要だ」という結論に達していた。
単発ではなく、何度も何度も同じ人に潜りつづけることが必要だ。
またどんな風に向かえばいいのか言葉では説明できないけど、おおよそやるべきことはわかっている。
一言で言うことはできる。
タイトル通り「他人に向かおう」だ。
ひとりずつ、ひとつずつ、他人をよく見てよく考え結論を出していく必要がある。
僕は僕を他人の中に保存したい。
そして、誰かを僕の中に保存したい。
その応酬がしたい。
お互いがお互いにもぐりつづけることで、もっと深いところまで人間を知ることができるはずだ。
たぶん僕がやりたいのはそれで、祈りも、問いも、何もかもがオマケなのだと思う。
輪るピングドラムで作者が出した答えのように「他人と分かち合うこと」がゴールなのだと思う。
そしてそのために「ふかふかな土」になる必要があるのだ。
僕は他人に向かいたいけど、特定の方向に向かわなければならないという強迫観念があり、いつも仕事や何やらで疲れているから不快を感じやすい状態なのもあり、なかなかその方向に向かえていないのだと思う。
もっとあきらめて、うごきつづけていきたい。
そしていつか誰かとお互いの罪を分かち合いたい。
今日の音楽
超越の祈り
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