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わりと日刊だらくNo.7〜「ぼくらの」と「小休憩」〜

ちわ。今日もテキトーにやっていきます。

今日は7日目。

1週間続いたな、すごい。



今日のお話

無表情でみんなが並んでいるところに狂気を感じる。


今日は24話のアニメを1日かそこらで通して見たのでその感想を書こう。



「ぼくらの」


あらすじ

夏休みに自然学校に参加した少年少女15人は、海岸沿いの洞窟でココペリと名乗る謎の男に出会う。子供たちは「自分の作ったゲームをしないか」とココペリに誘われる。ゲームの内容は、「子供たちが無敵の巨大ロボットを操縦し、地球を襲う巨大な敵を倒して地球を守る」というもの。兄のウシロに止められたカナを除く14人は、ただのコンピュータゲームだと思い、ココペリと契約を結ぶ。その後、黒い巨大なロボットと敵が出現し、コエムシと名乗る口の悪いマスコットも現れる。ロボットの中のコックピットに転送された子供たち15人の前には、ココペリとコエムシが待っていた。これが黒いロボット・ジアースの最初の戦いであった。戦闘を重ねるにつれ、子供たちはゲームの真の意味を目の当たりにすることになる。
Wikipedia


・設定と映像

「ぼくらの」というアニメ作品を見た。

全24話。2007年に放送された作品。

絵のタッチ(?)や描かれる風景的には少し昭和の香りがするが、あれはたぶん平成なんだろう(時代感覚の分類の言語化がうまくできていないのでよくわからない)。

映像に古臭い感じが残っているが、それでもキレイな感じではあった。今のギラギラ光ってるような絵の感じではないのが好きだ。比較的少しくすんでいる感じ。

設定的には、今僕たちが生きている2022年よりも10年くらいあとのことらしいが、どこをとってもあまり近未来的な感じはなかった。

あと、車のデザインが酷すぎてウケた。序盤で出てきたあるメインキャラクターの父親の車が、異様に装甲の厚いパチモンのミニ四駆のような雰囲気を醸し出していた。


・全体的な感想


仮に一言でこの作品を表すとすれば「地味」である。

ザックリと説明すると、

すごく感動するというシーンはあまりなく、ひたすら嫌な痛みがジワジワと広がっていくような感じの作品。非現実的な設定なのに、描かれている人間的な葛藤が、社会に生きる子ども達の日常に根ざした感情を描いているので、観客が自身の経験などを投影しやすい。

「泣きたいから作品を見る」人には絶対にオススメできないタイプの作品で、大きな泣き場はなく、前述したようにひたすらジワジワとした痛みが広がっていく。小さなカタルシスはある。

始まりから終わりまで、色んな抑揚はあるものの淡々と話が進んでいき、最終話のラストシーンですら非常に淡々していて特に盛り上がりもなく話が終わる。

という感じ。


中学生くらいの子が抱えていそうな親とか他の大人とかの間にある問題に対する苦悩とか憧れとか、そういう悩ましいものが詰め込まれていて、それが1話1話で少しずつ明らかになっていくのが良かった。

あと、死に大しての姿勢もすごく良い。

僕たちの生きる世界には劇的な死などはほとんどなく、ただ淡々と消えていくだけだ。そんなメッセージが込められていたように感じた。

人間は、不条理に、淡々と、一人で死ぬ。

見ていてまず思い出したのは、ミステリの古典「そして誰もいなくなった」。まどマギも思い出した。

「地味」などと微妙な言葉を使ったが、僕は1日かけてこの作品を延々と見ていた。そういうことだ。

この作品は元々は漫画であり、アニメ版と漫画版では展開も違うし、どうやらエグい描写などはアニメ版では少なくしたらしいので、いずれ漫画版を読んでみたいなと思った。



変化


○料理

今日は豚汁にこんにゃくを大量投入してみた。

煮てる時にニンジンの色が移ってキモい色になっていた。

なんかキモい色。味は普通


○小休憩

「小休憩」

最近もっとも大事にしている習慣である。

僕はぶっ続けで何かを遂行しようとする癖がある。その結果、我慢することになって余計に体力を消費することになることが多い。

そこで、我慢しそうになったら数分の小休憩を入れることにしてみた。

その間はひたすらに体のリセットを行う。

無意識にやっていたことを今思い出して書くと、目を瞑って体の疲労部分を探し、その部分をほぐしたりしつつ全身を脱力させ、深くてスローな腹式呼吸をしつつ呼吸を整え、体に溜まっている怨念のような疲労がシューっと湯気のように蒸発していくイメージをする。そんな感じ。

家にいる時は、思いっきり筋トレをしたりもする。体がなまっている時は、筋トレで1セットを追い込むことそのものが小休憩となることがある。

この「小休憩」という概念は、日常のあらゆるところに見出すことができると思う。

前のめりになっているのに気付いたら、即断し小休憩をしよう。

すると、身体の中にエネルギーが満ちていき、自分が何者かを思い出せる。


くらがりチャレンジ

食べ物


○ホープ軒のカップラーメンを食べた。普通のフライ麺と特に特徴のないちょっとコッテリしたスープという感じで、特筆すべき感想はない。

○じゃがりこの明太チーズもんじゃ味を食べた。すごい避けてたけど食べてみたら普通にうまかった。こういう避けてたものをどんどんやっていきたいな。


言葉

「自分とは、主体ではなく媒体である」

何となく「これはすごく正しいな」と思っている。

何に繋がるのかよくわからないけど。


図鑑


カラスノエンドウ

出典 https://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp7808.html


サッと調べた感じでまとめ


○雑草なのに食える

○サヤも葉も花も食える

○そこら中に生えてる(見た覚えがない)

○加熱すれば毒は消える

○素揚げしたり油で炒めたりするとうまい(茹でるのは微妙っぽい)

茎と葉を食ってうまいと言ってる人。

ここにかなり詳しく書いてあるので、興味ある人はこれ読んでみると良いかも。


サバイバル生活になった時の良い知識が手に入ったね。ちなみに、食べるために収穫する時は、花とか根っこは残しといたほうがみんなに優しいらしいよ。


終わりに


小休憩の大切さについて語ったが、我慢しがちな人は実践してみることをオススメする。

僕はこれをやり始めてから肉体的にも精神的にも少し楽になった。

まぁ、人間だからどれだけ小休憩を入れたところで、動き続ければ疲れるんだけどね。

それでも、効率とか数字とか見栄えとか、変なこと気にして疲労を加速させないようにすることにはなる。

良き時間を少しでも増やしていくために、僕はやっていく。


今日も良き日であった。

明日はもっといい日になるよね、有象無象。

ほんじゃ、また。

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