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棚の上にあるもの

うちに働きにきていただいているパートの森さんがかなり不機嫌そうにこう言った。


『三か月前に入ってきたパートの人、挨拶もしない。自分の前を素通りしていく。全然なってない。』

森さん(67歳)は入社して一年になる。


四月から入ってきたパートとは穂波さん(69歳)のこと。

毎朝、先に会社に来ている森さんの前を、後から来た穂波さんは素通りしていくらしい。


森さんいわく、穂波さんが挨拶するのは私と私の主人のみ。


つまりは、その会社の経営者に近い人物にだけ挨拶してるようだという。

人としてどうかと、結構な権幕で私に言い寄ってきた。

私はその瞬間、時が止まった。


『なんも言えねぇ…』


なぜなら、

私にとっての森さんもまた、穂波さん同様だったからである。


毎朝、森さんよりも早く工場に入る私。

森さんを見かけると同時に私は『おはようございます!』と挨拶をする。

それに対して森さんは『おはようございます。』と返されるというような日々。

時には、朝、私が工場で何か作業をしていると、森さんが工場に入ってくるのにすぐに気づけない時がある。


そうした時、私はふと工場にいる森さんに気づく。
もちろん、そんな広い工場でもないのだから、私が工場にいることは森さんは気づいているはず。


《挨拶なしかぁ…》


そう思ったことが何度もあった。


最近入った穂波さんに至っては、すごく人見知りが強い方のように見える。

そんな穂波さんは、森さんがいうように自分から挨拶する方ではない。

今まで、挨拶を必要とする職場で生きてこられた方ではないんだろうなとさえ思える。


確かに、穂波さんは工場に入ると、毎朝すぐに私に近寄って話しかけて来られる。
だが、それは挨拶ではなく、 

『今日の私の作業は何でしょうか?』という確認なのだ。


主人にも確認したところ、私と同じで挨拶ではなく、仕事の確認で近寄って来るということだった。穂波さんが私に先に確認した日は、自分には近寄って来ないとも言っていた。

私も主人も、穂波さんには私達から挨拶している。


そんな状態なのに、森さんは穂波さんが自分から私達にだけ挨拶しているように思い込んで見てしまっていたようだ。

『そうなんですね…。』

頭が回らない私が出せた言葉はこれだけだった。

人って自分のこと、こんなにも気づけないんだ。


こんなに堂々と自分の事を棚に上げて他人を非難できるんだ…。


至って真面目で仕事の出来る森さんを見ながらそう思った。

森さんに『森さんも自分から挨拶しないじゃないですか~、挨拶はどちらからしてもいいと思いますよ。』などとでも言うならば、明日には《退職願》が届くかもしれない。

そのくらい、森さんには自覚がないだろうと思う。

棚の上…恐るべし。そこにはまだまだ色々なものが上がっているのだろう。人はそこにあるものを知ることこそ、本当の自分を知る近道になるのかもしれない。


私も自らの棚の上、一度見直す必要ありだなと感じた今日だった。


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