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カルマ物語

 これは、私の日常から生まれた物語である。

私は愚痴りたいのではない。罵倒したいのでもない。ただ、私が人生の46年目にして、気づかされたカルマ(業)をここに記したいのである。

 私は結婚して13年になる。
主人の実家の家業を継いでいるので、義理の両親と仕事場が一緒である。住まいこそ別なのだが、月曜~土曜は毎日二人と顔を合わせる。
 
 私はもともと必要以上に他人に気を遣う・・・というより、人の顔色を伺っては疲れてしまうタイプで、これが義理の親であり、仕事では上司になる二人には本当に気疲れする毎日を送っていた。

 仕事中は工場で機械が動き作業に追われるため、会話などなく過ごすが、日々の昼食は義理親と主人と私の四人で食べる。

ま~、気を遣う。。。
元々義父が大将的な性格で、自分に物を申すものを嫌う。 そんなつもりで話しかけていなくても、会話上『物を申した』と解釈されるとすごく厄介なことになる。

すぐにムッとする性格なので顔に出る。それから言葉に出る。
『俺に〇〇と言いやがった』という具合いに…。
面倒でしかない。。。

なので、極力、私は話しかけない。向こうから話しかけられた事に対してだけ答える。それもかなり言葉を選びながら。

ふと気づくと、主人も義母もそうしている。
いや、二人だけではない。従業員もそうだ。
皆、自然とそう学んだようだ。

そういうことで、昼食時は義父以外はほぼ会話しない。
義父が一人で話して、それを義母がただ復唱している。
なぞの復唱。ひたすら復唱している。

「それいる?」と私は気になる。むしろ義父の話を真剣に聞こうと思っている時などは、その復唱が邪魔で仕方ない。
これは昔からのようで、主人は全く気にならない様子。
むしろ、私が「あれ何?」と尋ねると、
「そういえば、やってるね」と気づいた程、日常化している。
 
そもそも、何故に復唱しているのかと考えた時、義母なりの相づちのようだ。
義父の話に上手く返しが出来ないため…とういか、間違った返しでもするならば、義父から厄介なお叱りを受けるため、
「私はちゃんと聞いて、あなたに共感していますよ」という姿勢を見せているのだ。

試しに私が義母に何度となく話しかけてみた。
しかし彼女は私の言葉は復唱しない。それどころか、必要以上に否定してくる。やはり、義父は特別のようだ。

そんな義両親と過ごす13年の間には何も無いわけもなく、何度か私達夫婦といざこざがあった。

というのも、義父の性格上、いろんな人、場所でいざこざが起こってきていて、やはり私達も例外ではなかった。

ただ、私達には義父には逆らわないほうが無難だという認識があるので、引っかかることがあっても、極力ガマンして、多少のいざこざも私達が気持ちを抑えることによって穏便に済ましてきた。

ところが、この13年目にして、私の中でどうしても流せない問題が出た。


今まで色々と思うことがあったが、今回ばかりはどうも引っかかる。どうにか義父に解ってほしい。改善まではいかなくとも、どうにかしたい…。

夜な夜な考え、だんだん眠れなくなる日も出てきた。


主人に話したら、主人も今までの義父の行動を顧みた時に、確かにそうだと私に同調していた。

私達は考えたすえ、仕事上のことなので、
義父に『物を申す』とういう選択をした。

結果、、、
私の想像以上のお怒りモード。
そもそも、人に『物を申される』のが嫌いなのに、

たかが部下ごときが…嫁ごときが…俺様に…



その日以来、かなりの険悪モード。

それから話はもつれにもつれ、私達夫婦は仕事を辞めるか、義父に謝るかの選択を強いられた。

私達は悩んだ。
このまま自分達の意思を通して辞める?
でも、46歳目前で主人と再就職…
何かやりたい事があって辞めるわけでもない私達が、これからもっとお金が必要となる子供たちもいる中、無職になって大丈夫なのか…。

そもそも、私たちが辞める選択をするなら、義父も辞めてこの会社の土地を売ってをお金に変えるという。会社はこのまま終わる。

そうなった時、今働いてくれている従業員の生活はどうなる?
私は私達の生活の心配だけでこの選択をしていいのか…。

しかし…
周りの誰に話しても
『私もそう思うな。あなた達の言うとおりだよ。』
『私なら…どうするか分からないけど、とにかく(義父は)嫌な人ね。』
『あなたのが正論だよ。』

とのお言葉。

なのに、謝らないといけない…?
(正しいことを曲げないといけない?)

そうするうちに、こんな言葉も入ってきた。

『他人を変えるのは大変な労力だけど、自分を変えることの方が楽っていうよ。』

何故だかすごく心に引っかかった言葉だった。
今まで何度も耳にしてきたけど、こんなにも響いたことは無かった。

そしてまた、他からこんな言葉も投げかけられた。

『理不尽だけど、そんなこと。って考えたらいい。
謝れば済む話。そういう人には適当に付き合っていけばいい。』

私にとっては大事なのに、見方を変えれば『そんなこと』。
他人事だから言えるのだ…とも思うけれど、共感してもらえると思いながら話したつもりだっただけに、『そんなこと』とも見える方向があるのだ…。

もやもやする中、仕事と考え事との間で私達は体力、気力ともに行き詰まり、投げ出したくなった。

私は、もやもやする中、ふと思い立ち、軽い気持ちで主人を誘ってみた。

『独身の頃、すごく当たる占い師さんに行ったことあるんだけど、そこにいってみない?』

主人も気晴しがしたかったのか、少しでも私の気持ちが楽になるならと思ったのか、二つ返事で『行ってみよう』と賛成してくれた。

 占い師の先生に、特に何か答えを求めていたわけではないが、本当になんとなく義父母と私達の関係について見てもらった。

詳しい情報を言わずとも、生年月日だけでまぁ当たる。義父母の性格を見事に言い当てられた。主人は感心するばかり。

私は聞いた『私は義父母が苦手で、今までもずっと我慢してきたのですが、どうしても嫌だという感情が出てしまいます。どうしたらいいのでしょうか?』

占い師いわく『あなたは上司が嫌な人に当たるという宿命をもっています。
義父母のところへお嫁に来たのも宿命です。そう思って受け入れたほうがいい。』

『上司が嫌な人に当たる宿命』


すごく思い当たる節があった。。。

独身時代にいくつか職場を変えて働いた経験がある。

【一つ目の職場】
ここでは、10歳上の女性の先輩がいた。痩せ型でシャープな目をしていたこの先輩は、多少わがままな面を持ってあったようで、周りからは嫌われていた。
私は直属の上司ということもあり、仕事上のわがままは、ある程度は仕方ないと思い流せていた。

だが嫌だったのは、先輩が食べた後の弁当箱を洗わされることであった。
お湯が出ない台所で、置いてある自然派洗剤を使って洗うのだが、プラスチックの弁当箱のぬるぬるがなかなか取れない。その度に『やり直し~』と言われ洗い直しさせられることもあった。

また、先輩が弁当を持参してない日があり、そういう時は、私の外回りのタイミングでパンを買いに行くように指示された。
そのパン屋も指定され、外回り先とは逆方向だったりするので、私は自分が遊んでるように見られないかと、社長の目をドキドキしながら買いにいっていた。

この先輩からすれば、いじめや意地悪でやってる感じではなく、親しい関係だから頼んでるつもりだったのだろうが、どうもその感覚が私には理解できず嫌で仕方なかった。

【二つ目の職場】
そこには私と同い年だけれど、私にとって上司となる女性がいた。
これまた痩せ型で、かなりシャープな目つきをしていた。
その女性に会った瞬間に、この人とは合わなさそうという印象があった。

 その印象通りで、何の会話も出来ないの⁉というほど、何を質問しても、話題を振っても否定された。笑顔もない。とにかく私のことを受け入れる気はないというのをすごく感じた。

大人数の職場だったけれど、女性は私とその彼女のみだったので、そのうちに仲良くなれるかもと思い、毎日話し掛け続けたのだが、何も変わらずだった。

結局気持ちが滅入り、そこは五か月で辞めた。

後から知ったが、私の前に働いた人は二か月で辞めたらしく、なかなか人が続かないと人事担当者が嘆いていた。

【三つ目の職場】
こちらは半年間の契約で入社した。
たくさんの課に分かれており、私は事務課の中でも印刷部という部署に配属になった。

そこでは、50歳を目前にした独身の男性が部長として私の上司となった。
部長は、すごく恰幅が良く、見た目はきつい感じがあった。
だが、私にはすごく優しくてフレンドリーだったので、過ごしやすい職場だと感じ日々が過ぎていった。

ところが、二か月を過ぎた辺りから部長の態度が急変した。
突然の無視。それから皆の前で罵声を浴びせられる日々。
どうして?いきなりどうした?と疑問が湧いた。
頑張るしかないと、気持ちを強く持たせていたが、毎日続くと今日はどんな目にあうのだろうと怖くて仕方なかった。

半年の我慢だと自分に言い聞かせ契約終了まで耐えたのだが、あと数日で契約終了という時に、他の部署の人からこう言われた。
『私は以前、あの部長の下で働いていて、急に嫌がらせが始まったけど大丈夫? あまりのひどさに気絶したくらいだったから。』と。


これらが独身時代の職場の話である。


そして今の職場の上司…義親になるのだが、
義母も私にとっては変わっている。

軽く一つを挙げれば、部屋に私が一人になると義母はテレビを消すのである。しかもコンセントまで抜いていくのである。
これは主人の実家を訪れた時もそうで、一度出た部屋にわざわざ戻ってきては消していくのである。
『そなたには私が見えませぬか?』と言えたらいいのだろうけれど、言える性格でもなく、ただただ主人に愚痴ってきた。
だからと言って、主人が義母を注意して変な空気になるのも嫌なので、ずっと我慢してきた。
主人は私が部屋に一人にならないよう心掛けていた。

義母なりのいじめなのか、不思議ちゃんなのか、
13年共に過ごしても未だによく分からない。

義父はというと、機嫌のいい日悪い日の波が激しく、毎日の挨拶にそれが表れる。

機嫌が悪いと、挨拶しても無視されるのである。
また、他人の幸せが喜べないという性格で、人が楽しかったり得したりする話が好きではない。あからさまに皮肉を言う。
自慢したいのか!?と取られないように、会話の内容は選ばなければならない。
良かれと思って話したつもりが、言わねば良かったと何度後悔したことか…

私の実家に対しても何かライバル心のようなものがあり、私が実家に行くのを喜ばない姿が結婚当初からあった。
なので、私は実家の話題は自分から出さないようにしている。
実家に行きたい日は、義親に知られないことを願いながら行く。そうやって実家に行っても、なかなか心から楽しめない自分が残念だった。

とにかく、機嫌を損ねないようにと必死でここまできた。
周りの友達を見ていても、うちほどじゃない義親との関係に、いつも羨ましさを感じていた。


これが

      私に与えられた宿命 

                      ということなのか…。

(宿命=前世から定まっている運命。避けることも変えることもできない運命的なもの。)       


    …なんでこんな宿命を私が…?

今までそんなに人に不親切にしてきたわけでもないし、それなりに真面目に生きてきたつもりだった。

どうして私があえてここに?

こんな目にあわなければいけないのか…

そう強く思った瞬間に、次の言葉が浮かんだ

『カルマ』


(カルマ(業)=過去の行為が自分に返ってくる因果応報のこと)


本を読むのが好きな私は、今までこの『カルマ』に関する話を何度も目にしたことがあった。自分なりに理解もしていたつもりでいた。

しかし、我が事になると不思議なくらいそこに結びつかなかった。

が、今回ばかりはこんなにもしっくりとくる。

  これはカルマだ…

きっと、いつかの前世で、私は誰かしらに同じ事ようなことをして、追い詰めてきたのかもしれない…
悪意は無くても、他人を嫌な気持ちや窮屈な感じににさせてきたのかもしれない…

カルマだと決めつけるには簡単すぎると思われがちかもしれないが、私は以前からこういうことを口にしていた。

『独身の頃の嫌な女性上司と義母が似ている』

『嫌だった男性部長と義父が似ている』


それは、嫌がらせだけが似ているのではなく、顔つき、体格、雰囲気までもが似ていたからである。
これが単なる偶然だとは、私は思えなかった。

それから数日、『カルマ』について色々と本を読み漁った。
カルマは受け入れると消えることもあるようだ。

…カルマを消したい。…でなければ、少しでも軽くしたい。

とりあえず、受け入れるという気持ちを持ってみよう…。

そうして出した答えは、
義父に『謝る』ということだった。

『謝る』ことが『受け入れる』ことになるのかは分からなかったが、環境を否定しないということにおいて、辞めないという選択をしたほうがいいように思えたからだ。
たとえ仕事を辞めたとしても義親と親戚関係であることは変わらないのだから、どうせ完全に離れる事は出来ないし…。

また、ここで意地を張って仕事を辞める選択をしてしまうと、このカルマが繰り返されるだけではなく、今度は『従業員を裏切るカルマ』を新たに創ってしまうかもしれない…そう思う気持ちが、余計に背中を押した。


主人も従業員の事がすごく気になっていたようで、同じタイミングで言い出した。


後日、2人で義父に謝りに行った。


時折、『私達は悪くないのに…』と思う気持ちが生まれそうになったが、『そんなことくらい』と自分に言い聞かせ消した。

 主人と二人、義父を前にして頭を下げた。

その場の義父は、また説教のようなことを言っていたが、なんとかやり過ごし、丸く収まったようにみえた。

それでも、これから数日、数ヶ月は義父の機嫌は収まらないだろう。
一筋縄では行かない人だから…。
覚悟しておかなければ…。

*****


私は今まで何か嫌なことがあると、かなりの愚痴、不満を人に吐いてきていた。

人の顔色を伺う性格なだけに、相手に『嫌です』と言えなくて、言えない分がモヤモヤとなり、見えないところで人に愚痴や不満をばらまいていた。


今は身に覚えがなくとも、いつかの前世で私がやってきたことだとしたら、愚痴など言うのはお門違いだったということになる。

カルマを消すに当たって、何をどうするのが正解なのかは今はまだ分からないが、
きっと、私の行動が『違っていた』から、いつも『上司が嫌な人に当たる』というサイクルが繰り返されていたのではと思う。

私は変わろうと思った。
まずは愚痴、不満を言うのを止めてみようと。


『他人を変えるのは大変な労力だけど、自分を変えることの方が楽』

つまりは、

『他人は変えられないが、自分は変えられる』


…そうか、そういうことか。

私は私なら変えることができるのだ。

愚痴や不満を言わない私に変わろう…!

だが…、46年間これで生きてきた私が、日々出会うカルマに対し何も引っかからず過ごすというのは、急にはハードルが高い気がする…。

そこで私が私に提案するのは、

愚痴や不満話として終わらせるのではなく、
その物事の見方を変え、最終的には笑い話に変換した形で、周りの人達を楽しませていけたら御の字ではないかと思う。

そうなれば、
私にとっても良し周りにとっても良しカルマにとっても良しで、
  

『三方よし』


となり、今までよりは少しはマシな私になるかなと。


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