ハレとケの間にて2024/07/15
休みという「ハレ」があれば勤務という「ケ」がある。
いつまでも「ハレ」であればいいのにと願うがその「ケ」が存在しないと、思う存分「ハレ」を楽しめなくなってしまう。少なくとも私の場合は。
とはいっても私は毎週行われる「ケ」の終わりのあとの行動は読書、音楽鑑賞、飲酒、推しの配信アーカイブ視聴、布団でゴロゴロする等の行為をハレの日は引き伸ばし引き伸ばししてやっているのに過ぎない。そして当然「ハレ」になった気分はうすーらぼんやりしか無いが、明日仕事だなあ〜って考えながら読む本より、時間余ってるから読むかとする本のほうがとてつもなく楽しいので、やっぱり「ハレ」と「ケ」を感じているのだろう。
一番「ハレ」を感じるのに手っ取り早い手段はどっかに外出して、そもそも「ケ」では行かない空間、人、様々な違う世界を見るところが最適解なのだろうとは思う。
しかし私はスーパーおうち大好きマンなので滅多に外出しないし、しても近くのマーケットを往復くらいしかしない。ということはずっと布団に寝そべる事ができるというのが私の「ハレ」なのかもしれないなとこの三連休で思った。
ちょいとTwitter見て思ったことだが、三連休出し何処かに行こう!っていうのはその人の「ハレ」であってあなたの「ハレ」ではないことである。三連休なのに何にもしてない〜というのが散見されるが、身体を休める、人に会わない、究極に言えば何もしないというのはどう考えても「ハレ」である。
「ケ」の場合は全ての行動を決められているので、自分やら自身への決定がない。その抑圧した決定権を「ハレ」の日は体と心が導くままに行使しているんだと思う。
無理に何かしなきゃと言い聞かせなくっていい。
周りが幸せそうだから自分も幸せにならなきゃならない。という考えはまがい物だ。
SNSは周りの幸せそうは幸せそうだたと思える部分を切り取って出しているものに過ぎないし、それにいちいち比べて「自分はハレを上手く過ごせていない」と考える必要もない。
どうしても比べてしまうのならば、しばらくSNSから離れて自分の趣味したりベッドでゴロゴロすることが一番いい。
あなたはあなた、誰かは誰かの「ハレ」を尊重できているのならそれで良いのだ。
さ、明日から私もゆるゆるっとした「ハレ」に向かって乗り切っていきますか。
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