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ママやで!こんぶの日記「親がしないほうがよかったこと」

今日はゆっこさんの投稿について書きたいと思います。

子どもが「いじめられた」と親に話してくれた時、どんな風に声をかけていいかとても悩みますよね。親はその場にいて見てるわけじゃないし、自分の子どもの言うことだけを鵜呑みにしていいのかな?とも思うから。

小さい時の「いじめられた」とはまた違う悩みが、小学校高学年くらいになると出てくるような気がします。

幼稚園くらいのころの「◯◯ちゃんが仲間に入れてくれなかった〜!」というのは「あらあらそうなの、かわいそうに!」と抱きしめておやつでも一緒に食べれば、機嫌もすっかり良くなって翌日にはまた仲良く遊んでいたりするんですよね。お互い明日に持ち越すほどの内容もなくて、ただの気分だったりするわけです。

でも、大きくなるとちょっとややこしい。自分も相手にも自我が芽生えて、じっくり観察した上でそういう問題が起こったりします。

話を聞いてると、どっちもどっちだなぁと思ったりすることもあります。自分が当事者でなくても友人同士の不仲に心を痛めたり、複雑な感情が芽生えてくる年頃でもあります。

大人から見たら「気にしすぎ」と思うこともたくさんあります。でも純粋な心が傷つきやすく繊細であることは忘れてはいけないなぁと思うし、子どもの世界の中心は「家」と「学校」だけで、そのうち片方の「学校」が心穏やかに過ごせる場所でないとしたら、苦しみが強いのもわかる気がします。

親がずんずん学校へ乗り込んでいって、両方の子どもの話を納得するまで聞いてジャッジすることはできないでしょうから、やはり親のできることは限られています。

ゆっこさんの言うように、じっくり話を聞いて共感してあげることしかできないのでしょうね。子どもにとって、自分がいじめられていることを親に打ち明けるのは相当な勇気がいると思います。

それを言葉にできる関係があるだけで立派なものだよなぁと思います。

何をされてどんな風に思ったか、それで子どもはどういう行動をしたか、色々なことを順を追って聞いていくうちに、思考パターンがわかってきたりするのも興味深いです。

アドバイスを求められたらすればいいけど、ただ話を聞いてもらうだけで安心して外の世界へ立ち向える場合もあります。

家は、将来自分の世界を持つまでの思考が育つ場所だと考えています。育児本に書かれているような立派な子育てなんてできなくていいし、賢そうな立派な言葉をかけてあげられなくても大丈夫です。「どんな風でも大好きだよ!」という雰囲気が家にただよっていたら、たぶん大丈夫です。

でもその平和な空気を保つのが一番大変なんだろうね〜。


お母さん、毎日がんばってる!
泣いたり笑ったり、怒ったりの子どもの感情をずーっと受け続けているんだもの。いつも感情の台風の真ん中にいるんだもの!


今日もお疲れさまでした!
みんなエラいぞ〜🍬🍬🍬🍬🍬




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