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2022.10.14 国立新美術館で!

国立新美術館というと立派な人の企画展を見に行く人が多いと思うけれど、貸し会場になっている展示室の作品展もかなり面白いものが多いので、機会がある時はどんどん見に行くようにしている。

企画展目当てで出かけた人も、他の展示室の案内をちょっと覗いてみて面白そうだったら是非入ってみてほしい。無料のものから数百円で見られるものばかりだし、展示室のチケットがあると企画展の入場料を割引してもらえる。

有名な人の作品を見るのも勿論いいけど、無差別に素人っぽいのも含めてたくさん浴びるように見るのもいいものだ。身体の内側から満たされる感じがする。

今回は知人が一陽展に参加しているとのことで、それを見に行ってからまだ余裕があったので企画展のLee Ufanの作品展も見てきた。

まずは一陽会のことから。

一陽会という団体のことも初めて知ったのだけれど、この会の絵画の作品はどれもとても大きくて楽しかった。ほとんどの作品が2メートル以上あるように思えた。

芸術団体は日本中にたくさんあり、その会ごとの特色もさまざまだけれど、こんなに大きな作品ばかり並んでいる展示はなかなかなくて、かなり見ごたえがある。

知人は陶芸の専門家で「絵が多いから楽しいかわからないけど」と最初は心配そうに横を歩いていてくれたけど、私があまりにもゆっくり絵を見るので笑いながら向こうへ行ってしまった。

彼女の作品は月の満ち欠けをモチーフにしていて、焼成の時に偶然できたひび割れに金継を施してあった。作品を設置するときに照明の調整がうまくできなかったと少し残念そうだったけれど(たしかに光のあたり具合次第ではもっと素敵に見えるだろうと思った)素朴で強くてきれいだった。

美術館へ行くのは昔から好きだけど、美術史にもくわしくないし正しい鑑賞方法はよくわからない。でもいろんな作品を見て「この色は好きだな」とか「全体で見るのと近寄って見るのとでは魅力が違うな」と思ったりするのはすごく好きだ。

もっと単純な気持ちだと「わー大きいな!すごい!」とか「全くどれだけ絵の具を使ったんだ?」とかもある。

肩入れしている作家さんのことは詳しく調べたりもするけど、基本的にはあまり知らないまま見ている。ただのうんちくっぽい人にはなりたくないし、ただ作られたものを感心して見ていたい気持ちがある。

一陽展の絵画はカラフルな作品も多くて、全体的に書き込みが緻密なものが多くてすごく楽しかった。こういう作品は平面の図録で見ると魅力が半減してしまうだろうし、やっぱり芸術は実物を見てこそだなと思った。

たとえば遠目で見たらすごく美しく調和した絵なんだけど、近づいてみると微妙な色を何層にも重ねてグラデーションになっていたり、線に見えていても実は点の集合体だったり。

だからなんだ?と言われたらそうなんだけど、そういうものを実際に感じながら「自分が実体と思っているものも実はそうじゃないのかもな」と考えたりするのが好きだ。

さて、Lee Ufanの作品展の話。

今年の夏に展示室で現代書作家協会展をやっていて、恩師や母の作品を見に行った。そのときには李さんの作品展は始まったばかりで混雑していたけど、今日は平日で天気もあまりよくないので空いていた。会期中には見に行きたいと思っていたのでうれしい。

李さんが多摩美で教鞭をとられていた頃の生徒さんから「彼のことがものすごく好きな人とそうでない人の差が極端だった」と聞いたことがある。

人物のことか作品のことかはよくわからないけど、万人に好かれる作家などいないだろうし、どのジャンルの芸術家もある種の激しさを持っているのは間違いない。

芸術家にちょっとも変わったところがなく、礼儀正しく品行方正ならば銀行員か公務員になっているだろう。激しい銀行員もいるかもしれないけど、そこからはみ出るくらいの何か(静かな狂気だったとしても)があることは確かだろう。

だいたい、何十年間も有名になれるかどうかもわからない(名声が続くかもわからない)のに絵の具や粘土ばっかりこねくり回しているなんて正気なわけないんだよ!本当にすごいと思う。

だから、そんな風に人生をかけて生み出してくれたものを見られるのはすごく幸せなことだ。(誰の目にも触れられずに葬られた作品もたくさんあるだろうから)

李さんの作品は大まかに年代順に展示されていて、成熟期を迎えた芸術家のうねりをそのまま感じられてとてもよかった。

普段はオーディオガイドはほとんど使わないのだけど、この方の作品は解説を聞きながら味わったほうがより楽しめると思う。

1度目はガイドを聞きながら最後まで行って、出口でまた逆戻りして今度は最初の展示からガイドなしでじっくりと見た。混雑していなかったからそれができたし、だいたいの作品展では2周している。

自然物と人工物を対峙させることで生まれる物語があるし、それを鑑賞する人という存在という3点が揃って作品が完成すると考えると、私たちはただの傍観者ではなく作品の一部ともいえる。

どうぞ見てください、圧倒されるでしょう?というタイプの作品を作る人もいるが、彼の場合はそうではなくて、静と動のはざまで何を感じるか?それを委ねられている気がした。

作風や扱うテーマは年代によって異なるけれど、年を追うごとに凛とした強さと余白を美しく扱う技術が増している。現在の代表作ともいえる色のある作品群は、特に岩絵具の画材としての奥深さも存分に生かされているように感じられてすごく好きだった。

展示を出てすぐの物販コーナーで、よしお君の両親にあげたくてポストカードを買った。李さんの作品は書に通ずるものがあるから、ばあばも好きだと思う。最近は人が多いところへ出かけるのも大変だから残念だと言っていたけど、美術が好きなふたりにちょっとでも楽しんでもらいたい。


あー、もっともっと色々な展覧会へ行きたいな!大きなのも小さなのも、いいようなのもそうじゃないものも。

(でもあまりにも好みじゃない展示を見ると機嫌が悪くなる。有名だろうがなんだろうが、すっごく不機嫌になってイライラしてくる)

あと、最近気がついたんだけど、昔はブロンズ彫刻はあまり興味がなかったんだけど、わりと好きになってきた。夏に岡本太郎美術館へ行って「あ、いい!」と思った。作品のまわりをぐるぐる歩いて全方向から鑑賞する楽しみがあるよね。

歳を重ねて好みが変化するのも生きているからこそ味わえることなのだなぁ。とても贅沢なことだ!


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