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革命と維新

昨日「神々の黄昏」と題して、大泉サロンのことを書いた本に触れました。
事件については特に触れる気はないのですが(関わったそれぞれの方々が50年の間にどう自分に折り合いを付けて納得されているのかという話になるので)、「革命」を成し遂げたのかどうかには感じることを書きとどめておこうか、と思いました。

個人的には少女漫画を読み出したのは1977年頃のことで、大きな変化があった後だったのでしょうか?
中学の旅行に「エイリアンストリート」の単行本を持参した人があり、旅行中に夢中になってしまった・・・・・・・

それから「LaLa」を毎月購入するようになり、「日出ずる処の天子」の衝撃に、セッセッと山岸凉子先生の著作を買い集めだして・・・・・

多分、78年頃に評判だった「風と木の詩」も読んでみようか、と購入。
やがては少女コミックも買い始めたりして・・・・・・
どうやって少女漫画を読む範囲が拡がっていったかは、記憶が定かでは内部分も多いです。

そのうち氷室冴子先生と藤田和子先生の「ライジング」に夢中になって・・・・・コバルト文庫も読んでいましたね・・・・・・

大学受験の頃に「はいからさんが通る」はアニメの再放送で知って、コミックスを購入。
続いて大和和紀先生のコミックスは手に入る限り購入。
この頃に書き留めたノートには既に山岸凉子先生と大和和紀先生は「神」とされていました。

受験の塾で知人が読んでいた「エロイカより愛をこめて」にハマったり・・・・
神保町の漫画書店に行くと、塾の顔見知りが大勢いるのに驚いたり・・・・・

確かあの頃、雑誌や新聞でも少女漫画を読む層の広がりと、その表現内容の豊かさなどについて特集記事も多かったような記憶があります。

多分、「革命」を目指した人達からすれば、私なんかは革命の果実を享受する世代の者なのかも知れません。
でも、花の24年組とかで名前の挙がる人、同じ世代でもその括りに入らない人って多い気がします。

里中満智子先生や池田理代子先生、大和和紀先生等々・・・・・・

明治維新1

それで、加山雄三氏が言ったと伝わる言葉に思いが至るのです。
「明治維新を目指した者なんていないんだ。それぞれが日本を何とかしようとあっちこっちで頑張って、奮闘していたら、いつの間にか成し遂げられたのが明治維新なんだ」

明治維新とは何だったのか、自体が難しいテーマなのですが、革命とはかなり様相が違うことは確かなようです。

革命には多大な血が必要とされる(もちろん無血革命という事件もありますが、血が流れない珍しい事件だからこその例外的名称)ようです。
維新にも尊皇攘夷の志士と佐幕派の間の争いや戊辰戦争での多くの犠牲があったのは事実です。
でも、革命による莫大な数の粛正(という名の復讐?)や、革命を維持するための膨大な処刑はかなり少なく済んだのではないでしょうか?

別の事象をなぞらえて、ある文化的変化の捉え方を議論する意味はないのですが、いろんな人が多くの抵抗に向き合った中で徐々に受け入れる許容範囲が拡がっていき、そんな流れの中で驚くような表現の作品が発表されていき、いつの間にか世の中までが大きく変わってしまった、ぐらいが起こった事の表現には適切かなぁ、と。

革命とは違って、多くの人達の努力で成し遂げられた維新という方がしっくりくるのではないか、誰かに革命の業績を負わせて賛美する必要はないのではないか、と。
個々の作品、それぞれが独自の輝きを持つのですから。

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