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遅刻魔の弁明

遅刻をする人はなぜ遅刻するのか。
遅刻をしない人はなぜ遅刻しないのか。

それを考えるのがこのブログ記事の趣旨です。


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前提

世の中には、「遅刻をする人」と「遅刻しない人」がいます。

この記事で後述する通り、遅刻観は人生観と密接に結びついていて、シンプルに「遅刻する人 VS しない人」みたいに整理することには無理があると思いますが、でも、無理を承知で分類してみます:

遅刻をする人  = 遅刻人

遅刻をしない人 = オンタイム人


のっけから余談ですが、私はどちらかというと遅刻人です。特に昔はひどかった。飲み会、打ち合わせ、デート、、、とにかくありとあらゆる待ち合わせに遅刻していました。相手の方々、本当にごめんなさい。。

今は少しマシになりましたが、でも、決して堂々と「オンタイム人です」と名乗れるほどではありません。今でも、平均的な人よりも少し遅刻が多い、という感じだと思います。この記事も、その前提で読み進めていただければと思います。


遅刻はいけません

遅刻人とオンタイム人が待ち合わせをしたとしましょう。
当然、遅刻人が遅刻します。

オンタイム人からすると、「なんで??」という感じでしょう。「なんで遅刻するの?」と。自分はちゃんと時間通りに、、、いや、なんなら待ち合わせ時刻のだいぶ前に来てるのに、と。ごもっともです。「ナメてんのか?」と思ったとしても無理はありません。

遅刻はいけません。


なぜ遅刻するのか

元遅刻人として、そして今でも「どちらかというと遅刻する」人間として、僭越ながら遅刻人を代表し、そのメンタリティーを分析・解説していこうと思います。

遅刻にいいことなんてありません。
待ち合わせ相手にイヤな思いをさせ、信用を失い、フライトを逃し、彼女にフラれる。そして、急いで待ち合わせ場所に向かっている間、遅刻人の気はずっと急いている。余裕をもって家を出れば、ゆったりと本を読んだり、のんびりとあれこれ考えながら目的地に向かえたはずなのに。

遅刻はあらゆる意味で損です。だったら遅刻しなきゃいいんだけど、してしまう。それはなぜなのか。

以下、遅刻人の方からすると「あるある〜」かもしれませんし、逆にオンタイム人の方からすると、「なるほど、そういうことなのか・・」と、だからといって許容はしないにしても、一応そのメカニズム(?)を知っておいていただくことには多少意味があるかもしれないと思っています。


遅刻人は、一体なぜ遅刻をするのか。
これにはいくつかの理由があります。そして多くの場合、その理由は単独ではなく、複合的に作用していると思われます。また、世の多くの問題がそうであるように、この件も先天的な要素と後天的な要素の両方があります。


遅刻する理由として考えられるのは、例えば以下のようなものです:

理由1.楽観的すぎる

理由2.体内時計が壊れている

理由3.過去の経験から学ばない

理由4.人に対する思いやり/リスペクトが無い(弱い)

理由5.「早く着いちゃったらどうしよう・・・」という、漠とした不安

理由6.段取りが悪い。スキマ時間(?)がかかることを意識しない

理由7.体質の問題(病気の一種)

理由8.「今」に集中している。「今」に夢中になっている

理由9.予定を入れすぎ

理由10.「甘え」系の理由。甘ったれている、なんとかなると思っている、遅刻しても許されると思っている、多少迷惑を掛けてもいいと思っている


以下で見ていきます。


理由1.楽観的すぎる

遅刻人は、基本的に楽観的なのでしょう。

多分渋滞しないだろう。
大雪なんて降るわけがない。
駅に行くまでの間に、何もトラブルなど起きない。
電車はきっとすぐ来る。しかも、運のいいことに急行電車が。
諸外国と比べ、日本の電車のシステムは素晴らしい。決して遅延しない。
人身事故や信号機トラブルなど、きっと起きない。
駅から待ち合わせ場所への行き方が思った以上に分かりにくく、思いのほか時間がかかる、などということは絶対にあり得ない。
相手も/他の参加者も、少しぐらい遅れるかもしれない。
etc. etc.

とにかく楽観的なんです。遅刻関連の事柄に限らず、どう転ぶか分からないことがあれば必ず「いい方に転ぶだろう」と思ってしまう。
で、「すべてがうまく行けば待ち合わせ時間ちょうどに間に合うかもしれない」ぐらいの、そんなギリギリの時刻に家を出るから、何か一つでもトラブルというか想定外のことが起きると(本当は想定外などではなく、想定しておくべきなんですけどね)、すぐに歯車が狂い、遅刻することになるんです。


理由2.体内時計が壊れている

これ、「1.楽観的すぎる」とかなり重複するんですが、
「この時間に目的地に着くためには、これぐらいの時間に出ればいいだろう」という、その感覚が狂っている。

ちなみにこれ、基本的な考え方のところからおかしいんでしょうね。
あくまで推測ですが、オンタイム派の人たちは
「この時間に着くためには、これぐらいの時間に出ればいいだろう
ではなく、
「この時間に着くためには、これぐらいの時間に出なければいけない
と考えるのではないかと思います。
ちょっとしたニュアンスの違いなんですけどね。でもそれがその後の運命の分かれ途のような気がします。

クルマの運転においては、「○○だろう」運転ではなく、「○○かもしれない」運転を心掛けよう、ということが言われます。確か教習所でそう言っていました。
子供が飛び出してこないだろう ではなく 子供が飛び出してくるかもしれない と考えた方が、安全運転につながる。
遅刻人のメンタリティーは、安易・楽観的な「○○だろう」運転のそれと似ているのかもしれません。


理由3.過去の経験から学ばない

それまでの自分の輝かしい実績を振り返れば、高い確率で遅刻をしていることが分かります。だから、素直に(?)考えれば、今日の、この後の待ち合わせにも遅刻してしまう確率が高い。
だったら、自分が「これぐらいかな?」と思う時刻よりもちょっと早めに家を出ればいいわけですが、それが出来ない。酒呑みが酒を飲みすぎて、(もうこれからは気を付けるぞ・・・)と反省するもすぐにコロッと忘れる、というのと似ています。

一度遅刻をしてしまったら、「なぜ遅刻をしてしまったのか」という分析をし、再発を防げばいいわけです。それをやっていけば、いずれ遅刻は無くなるはずです。でも、それをしない。出来ない。

遅刻をしているまさにその渦中にあると、「なぜ今回遅刻してしまったのか」どころではありません。必死です。一番速い行き方は?この電車とこの電車の乗り継ぎは間に合うのか?タクシーの方がいいか?道は混んでいるか?
とかやってるところに、待ち合わせ相手からのメッセージが。
「大体何時ぐらいになりそう?」
これが一番困るわけです。着くのが何時ぐらいになりそうか、をちゃんと計算しようと思ったら、その作業でさらに数分遅れてしまうかもしれない。

(ちなみに、遅刻人から送られてくる「ごめん、○○分ぐらい遅れそう。先始めてて!」というメッセージの「○○分」は、フタを開けてみると当初の概ね1.5〜2倍程度に膨らむ傾向があります。)


理由4.人に対する思いやり/リスペクトが無い(弱い)

これはとても大事な点なので、この次のセクションの「遅刻する人は、待ち合わせ相手をナメているのだろうか?」で取り上げます。


理由5.「早く着いちゃったらどうしよう・・・」という、漠とした不安

これもヘンな話なんですけどね。早く着いちゃったらどうしよう・・・という不安があるんです。だから、「予定時刻よりも早めに・・・」ではなく「時刻ちょうど」に着くよう、プランニングしてしまうんです。で、楽観的すぎるし過去の経験から学んでいないので、「時刻ちょうど」に着かない、間に合わない。


理由6.段取りが悪い。スキマ時間(?)がかかることを意識しない

例えば、「AM10時に家を出ればいい」と思ったとしましょう。
オンタイム人は10時前からソワソワし始めるのかもしれませんが、遅刻人は10時ちょうど、あるいは9:59になって「よし、出よう!」となります。
で、「あ、意外と寒そうだな。コート着ていこう。どれにしようかな」とか「クルマのカギどこだっけ?」とか、「あ、あれプリントアウトしていかないとダメじゃん」みたいなことをやり出す。で、実際に家を出るのがAM10:10になり、10分遅刻する。

「家を出よう」と思った瞬間から「実際に家を出る」までの間に10分程度のスキマ時間(?)のようなものが発生する、ということを認識していないんです。


理由7.体質の問題(病気の一種)

太りやすい人 VS 全然太らない人
風邪をひきやすい人  VS 全然ひかない人

遅刻もそれと一緒です。遅刻しやすい「体質」みたいなものがあるんです、きっと。

「健康管理も仕事のうち」と言う人がえてして健康な人であるように、
「遅刻は許さん」と言っている人はえてしてオンタイム人です。

そんな、いわばアンチ遅刻派のオンタイム人に言いたいこと:
あなたは「たまたま」遅刻しない体質に生まれただけ。
あるいは後天的なのかもしれない(おじいちゃんに「遅刻はいけないことだ」と厳しく教わり、その結果オンタイム行動が身についた、とか) 
あなたの身近にいる遅刻人は、遅刻する体質に生まれたか、あるいはあなたのおじいちゃんみたいな存在が身の回りに居なかったのかもしれません。



理由8.「今」に集中している。「今」に夢中になっている

遅刻というのは結局なんなのか、を考えてみると、「今の用事を未来の用事に優先させた結果起きる事象」だとも言えます。つまり、現在 VS 将来のせめぎ合いの結果、「現在・今」が勝つために起きる事象だと言えます。

遅刻人は、小さな子供と似ているところがあるのかもしれません。今やっていることに夢中になってしまう。

本当は、、、つまり立派なオトナは、今やっていることはほどほどにして、(次の予定はなんだっけ?)とか(何時に出発すれば間に合うんだっけ?)といったことを、今やっていることをやりながら同時進行で考え始める。でも、遅刻人は「今」に夢中すぎて、それが出来ない。だから遅刻するのかもしれない。

ただ単に「先の予定の段取りを考える/考えない」というだけでなく、なんと言いますか、今生きているその時間をどれくらい重視するか、大事にするか、ということでもあると思います。

「今」と「将来」と、どっちが大事ですか?
そこで「将来」と答える人は遅刻しないのに対し、
「今」と答える人が遅刻をする/しやすい人なのかもしれない。

この点は大事だと思うので、また後で出てきます。


理由9.予定を入れすぎ

そもそも何かを予定しなければ、遅刻もしません。
人と会わない、出掛けない。ずっと家にいれば、絶対に遅刻をしません。

予定を入れれば必ず遅刻リスクが発生し、そのリスクは、予定の件数に応じてかけ算で増えていきます。一日に複数の予定を入れれば、遅刻リスクはかなり高まってしまうわけです。


理由10.「甘え」系の理由。甘ったれている、なんとかなると思っている、遅刻しても許されると思っている、多少迷惑を掛けてもいいと思っている

理由1.の「楽観的である」は、「甘えている」と紙一重だと思います。

遅刻よりももっと大きく「人生」で考えてみます。遅刻人の人生で何かトラブルがあっても(結局なんとかなるだろう)という、これまた楽観があるのではないでしょうか。
そして、実際なんとかなってしまいます(だからこそ、「なんとかなるだろう」というマインドセットが抜けない)。結局、人生なんとかなる。

それは「自力でなんとかした」という自助努力の場合ももちろんあるでしょうが、「勝手に環境がうまい具合に変わり、なんとかなってしまった」という外部環境によることもあるでしょう。そしてなによりも「誰かが助けてくれた」という、自助ならぬ他助の結果のこともあるでしょう。
で、それに甘えているところがあるんです、遅刻人は。

また、(なんとかなるだろう)という甘えとは別のものとして、遅刻をしても相手は許してくれるだろう、というさらに良からぬ甘えの気持ちも確かにあることを認めざるを得ない。また、そもそも遅刻がそれほど悪いことだと思っていないフシもある。しゃあないじゃん、みたいな。それも甘えと言えば甘えです。


遅刻する人は、待ち合わせ相手をナメているのだろうか?

あなたが誰かと待ち合わせをしているとしましょう。
約束の時間になっても相手がなかなか現れない。
あなたからすると、(ナメてるのか?)と思っても不思議ではありません。つまり、自分を軽視しているのか、と。(この人との待ち合わせなんてどうでもいい、遅れてもいい)そう思ってるから遅れるのか?と。遅刻人は、えてしてオンタイム人の方々にこう思わせてしまっていることでしょう。ごめんなさい。

オンタイム人がそう思ってもまったく無理はありません。
オンタイム人は、ちゃんと相手に気を遣い、時間通りに着くよう、早めに家を出て、実際ちゃんと時間通りに/時間前に着いたのに。それなのに遅刻人は、自分をナメているのか?だから遅れているのか?と思いますよね、そりゃあ。

では、実際のところどうなのでしょうか。遅刻人は、相手のことをナメている/軽視しているのでしょうか。だから遅刻するのでしょうか。

これは非常に難しい問題で、その答えはYes and noというか、両面あると思います。以下、ディベート方式で、両方の立場から論じてみたいと思います。まずはNo(ナメてません)の方から。


1.No。 ナメてなんかいない
待たせてしまったことはとても申し訳なく思いますが、それは別にあなたのことがどうでもいいとか、そういうことではないんです。これは特に、昔の自分のような「まんべんなく遅刻派」の行動を見ているとよく分かります。

一口に「遅刻人」と言っても、実は一様ではなく、各種流派があります。

「こういう種類の待ち合わせには遅れるけど、それ以外は時間を守る(守れる)」という、ピンポイントというか、セレクティブな遅刻人も中にはいるかもしれません。

それに対し、たとえば昔の私などは「まんべんなく」な遅刻人でした。大事な待ち合わせも、どうでもいい(失礼!)待ち合わせも、ちゃんとどっちも遅刻しました。
思い返せば大学時代。就職活動のとき、他の志望先が全滅し、唯一残っていた第一希望の総合商社の最終面接にもちょっと遅刻しました。


そして、これは遅刻人たちの名誉のために声を大にして主張しておきたいのですが、相手のある待ち合わせや約束だけでなく、自分ひとりで完結する予定にもちゃんと遅刻しているんです。

例えば、15:00に始まる映画をひとりで観に行く場合。当然遅刻しますよね。するんですよ。で、開始時刻の15分遅れぐらいに入場券売り場にたどり着く。
受付の方から「もう予告編終わって、本編始まったところですけどどうしますか?」なんて言われ、「ああ、それでもいいです、お願いします(汗)」みたいなやり取りをしているんです。
つまり、あなたが待ち合わせ相手のときだけではないんです、遅刻人が遅刻するのは。 相手を見てとか、内容に応じてとかで遅刻のする/しないを使い分けているわけではないんです。そんなに器用ではない。そうではなくて、あらゆるタイプの用事、待ち合わせ、会議・ミーティングにしっかりとまんべんなく遅れており、決して「相手をナメているから」遅刻しているのではないのです。


2.Yes、相手をナメている
一方で、逆の見方も出来ます。
約束の時間に遅れないオンタイム人とくらべると、遅刻人はやはりどうしても「相手を軽視している」と認めざるを得ないところもある。オンタイム人がなぜ時間通りに来るかというと、それは例えば「楽観的すぎない」とか「体内時計が正確」とか、そういうこともあるのでしょうが、やっぱり「相手を敬う」という気持ち、それもオンタイム人が約束に遅れない一因であって、そういう気持ちが遅刻人には決定的に欠けているのでしょう、きっと。 この辺は大いに反省すべきところです。


和田アキ子との待ち合わせ

世の中には遅刻というものをとても重く見ている人たちがいます。
「遅刻なんてとんでもない」と。
そういう人は、自分自身はもちろん約束の時間を厳格に守るオンタイム派なわけですが、それを相手にも求めます。

これは「自分に厳しく、相手にも厳しい」ということで、筋の通ったスタンスだと思います。
遅刻人が、自分自身の遅刻についてはときに「まあしょうがないか」と甘いのに対し、人様の遅刻については「なんで遅れるんだ」と不寛容なことがあるのと比べると、実に見上げたスタンスと言えるでしょう。


実際にそうかは置いておいて、たとえば芸能界の大御所的な人とかって、なんとなく「遅刻なんてとんでもない」派なのかな、という勝手なイメージがあるので、ここでは偏見を承知で、和田アキ子さんを「遅刻は許さん」派の代表として例に使わせてもらいます。

みなさんが、和田アキ子と待ち合わせをしたとします。
絶対に、絶対に遅刻など出来ませんよね。恐いし。

和田アキ子との待ち合わせが、来週の水曜日、AM11:00に東京の青山で、だとしましょう。
みなさんのご自宅から青山の待ち合わせ場所まで、ドアツードアで、そうですね、、、普通に行けば1時間で行けるとしましょう。
何時に家を出ますか?
約束の1時間前のAM10時に出ればまあちょうど間に合うわけですが、多少余裕を見て、例えば9:45とか、9:30とかに家を出ますか?

いやいやいやいやいや、それじゃダメですよね。相手は和田アキ子ですよ。あの有吉弘行が「R&B(リズム・アンド・暴力)」とのあだ名を付けた、芸能界の大御所です。万が一にも遅れるわけにはいきません。

じゃあ、2時間前となるAM9:00に家を出ますか?

いやいや、乗っている電車が故障して、しばらく車外に出られなくなるかもしれませんよね。待ち合わせ場所に向かう途中に気分が悪くなるかもしれませんよね。

やはり前泊しかないでしょう。

青山の、待ち合わせ場所に一番近いところにあるホテルを予約しました。

あ、当日、予想外の寝坊をするかもしれません。
なので前の晩は徹夜です。ヘンに寝たら寝坊するかもしれないので。
せっかくステキなホテルに泊まっているのに、ベッドを使わないなんてもったいありませんが、これも遅刻を避けるためです。

前の日に食べた何かで腹を壊し、そのせいで待ち合わせに遅刻する可能性がありますから、医師の監督の元、前日、、いや、前々日から断食ですよね、当然。

そのホテルから待ち合わせ場所へは徒歩5分。でも、その徒歩5分のあいだに何があるか分からない。道に迷うかもしれません。いや、もしかしたら交通事故に遭うかもしれません。そうしたら遅刻です。
なので、前の晩から、待ち合わせ場所にピンポイントで立っていることにしましょう。ホテルの予約はやっぱりキャンセルしました。

etc. etc.


どうでしょうか。
伝えたいメッセージを伝えるため、話をかなり極端にしてしまい、かえって伝わりにくくなっているかもしれませんが、何を言いたいかというと、「遅刻を絶対に許さない」ということは、相手にいろいろと制約を課すことになる、ということです。

本気で遅刻を避けようとすると、上記例で見たように、キリが無いわけです。
予定を入れたら、必ず、たとえどんなに注意しても、遅刻するリスクが発生します。我々に出来ることは「遅刻するリスクを最小化する」ことだけであって、どんなにがんばってもそれをゼロにすることは出来ません。どうしても遅刻リスクをゼロにしたければ、予定を入れないしか方法は無い。

「絶対に遅刻してはいけない」という運用は硬直的すぎます。そうではなくて、例えば天変地異とか、電車のトラブルとか、そういった不測の事態、やむを得ぬ外部要因については大目に見よう、という現実的なスタンスが大事であって、実際、世の中ではほとんどの場合そういう運用になっています(会社への出社が遅れても、それが電車の遅延によるものであって、ちゃんと遅延証明書を駅でもらってくればおとがめ無し、というのもその一例ですよね。)

確かに遅刻は許されないことです。そして、前のセクションで論じた通り、頻繁に遅刻する人は、相手を軽視している、相手に対する尊重が欠けている、というのはある程度認めざるを得ないことだと思う。だから改めないといけない。

一方で、その逆に、「遅刻を許さない」を強調すればするほど、それはそれで相手に対する敬意が欠けている、という見方も出来るからおもしろい。


「遅刻は許さん」というスタンス

実際に和田アキ子さんがそうかは置いておいて、世には「遅刻は許さん」というスタンスの人たちがいます。この心理を分析します。

そもそも「遅刻」とは何か、と考えてみると、それは相手に迷惑を掛けることであると言えます。そういう性質が遅刻にはあります。また、前述の通り、相手をナメているという面もあると思います。

すると、そんな「遅刻」というものを「許さん」というのはどういうことかというと、

「私に迷惑を掛けるなよ」ということであり、
「私をナメるなよ」ということでもあります。


「人様に迷惑を掛けてはいけない」という文化

仕事の関係で、海外に長期間(2-3ヶ月)滞在することがよくあります。そうした長期滞在の後、日本に戻ると必ず感じることがあります。

例えば電車に乗っていても、街を歩いていても、お店に入っても感じるんですが、みんなちゃんとしてるんですよ、日本って。そして、

「私はあなたに迷惑を掛けないから、あなたも私に迷惑を掛けないでね」

という雰囲気がビンビンと伝わってくるんです。

それに対し、例えばロンドンなんかはみんな好き勝手なことをしていて、お互い、ある程度の迷惑は許容する雰囲気があるような気がするんです。もちろん、じゃあロンドンの街がカオスかというとそうではないし、それなりにちゃんとしてますし、いくらでも迷惑をかけていいという雰囲気ではないんですが、なんと言いますか、、、とにかく日本と違うんですよ。

雰囲気というものは、外部に実際に存在するものという側面もありますが、その雰囲気を感じている人(上記のケースでは私自身)が、その頭の中で勝手に作っている、という側面もあります。だから雰囲気について考察する場合はその分を割り引いて考えないといけないんですが、やはり日本には「ちゃんとしなさいよ、迷惑を掛けなさんなよ」という雰囲気があることは間違いないと思う。

遅刻がその最たる例ですが、迷惑を掛けるのは悪いことです。だから、「迷惑を掛けない」のはいいことです。ちゃんとしていることは、間違いなく日本の良さの一つです。

でも、遅刻を100%禁じようとすると運用が硬直的になりすぎるのと同様、「絶対に迷惑を掛けてはいけない」という運用は硬直的すぎます。運用が硬直的、というか、、、そういう社会には住みたくありません(笑)。遊び・ゆとりがなさ過ぎますよね。

やはり人間はある程度持ちつ持たれつなところがあるし、一緒に、同じ街で、同じ国で生活する以上、ときにはどうしても人様に迷惑を掛けてしまうことだってあるわけです。今にも切れそうな、ピンピンに張ったチェーンではなく、困ったときはお互い様の、ちょっと緩さをもった精神でいきたいものです。その方が、社会全体としては効率的なんですよ。


遅刻をしない人は、なぜ遅刻をしないのか

いくつか前のセクションで、「遅刻する人はなぜ遅刻するのか」を考察しました。では、それとは逆に、遅刻しない人はなぜ遅刻しないんでしょうか。

「遅刻をする理由」で挙げた10の要素が、全部逆なんでしょうね。

楽観的すぎる のではなく、楽観的すぎない(あるいは悲観的である)
体内時計が壊れている のではなく、壊れていない


要するにちゃんとしてるんですよね。

で、「ちゃんとしてる」ってどういう意味ですかね。

人様に迷惑を掛けない、ってことですよね。そういうのがちゃんとした人、ですよね。


絶対に遅刻をしないのはどういう人か

予定が無い人です。
待ち合わせる相手がいない人です。
「絶対に人様に怒られないこと」を人生の至上命題にし、遅刻を避けるため待ち合わせ場所に前の晩から突っ立っている人です。そういう人は絶対に遅刻をしません。

そう考えると、遅刻して焦ることも、待ち合わせ場所で待たされることも、ある意味幸せに思えてきます。人生を生きている気がしてきます。


まとめ

遅刻をし、急いで待ち合わせ場所に向かう遅刻人の頭の中に去来する想いは何か。

m(_ _)m。あせり。後ろめたさ。申し訳なさ。甘ったれた気持ち。etc. etc.

では、それを待ち合わせ場所で待っているオンタイム人は何を思うのか。

(-_-)。なんで遅刻するの?ナメてんのか?etc. etc.

そして、そういった想いとは別に、

うらやましさ

みたいなものはあるんでしょうか、無いんでしょうか。


自分は、人様に迷惑を掛けないよう、ちゃんと生きている。今日だって、待ち合わせ時間のだいぶ前にここにやってきた。今も大事だけど、将来に向けた備えも大事だと思って日々生きている。

それに対し、遅刻人は「今」を夢中に生き、気ままな人生を送っている(のではないか)。相手の迷惑よりも自分の楽しさを優先させることが出来ているのではないか。

人様に迷惑を掛ける、ということがもはや体質的に出来ない自分。そして、だからこそいろいろと制約の中で生きている自分とは対称的に、人のことを気にせず、自分の人生を勝手気ままに生きている遅刻人。それが気になるというか、うらやましく感じることはあるんでしょうか、オンタイム派の人は。


もっと遅刻をしましょう、とは言いません。遅刻は悪いことだから。

でも、もう少し「持ちつ持たれつ」的な気持ちをもって、ピーンと張った心の中のチェーンを緩めて、「たまには人に迷惑をかけちゃっても、まあしゃあないよな(笑)」みたいな気持ちで生きてみるのもいいかもしれません。「絶対に人様に迷惑を掛けないぞ」を人生の至上命題にしてしまうと、、、いろいろと悶々とした大人になりそうです。気付いたら、自分のためではなく人のための人生を生きてしまっていそうです。


一方で遅刻人は、遅刻をしないようにしないといけない。僕は恥ずかしながらまだ道半ば、更生の途上にありますが、それでも昔と比べたら遅刻はだいぶ減りました。やれば出来るんだ、、と実感しています。これからも遅刻の回数・比率を人並みの水準まで引き下げていく努力を続けようと思います。


(最後に)遅刻人との上手な付き合い方

オンタイム人のあなたは、どうすれば遅刻人と上手に付き合っていくことが出来るんでしょうか。

1.相手を変えようとしない

あなたからすれば「なんで??」と思うことも多々あるでしょう。でも、相手はそういう体質なんですから、もうしょうがないと思った方がいいです。決してあなたのことをナメていて、あなたとの待ち合わせにセレクティブに遅刻してきているわけではないんです。

大事なのは、相手を変えようとしないことだと思います。ありのままを受け入れる。それが出来ない/したくないのであれば、その遅刻人との付き合いはやめるか、付き合い方を変えればいいと思います。

2.本屋で待ち合わせる

昔から本屋が大好きで、いい本屋であれば、それこそ何時間でも過ごせます。だから、本屋で待ち合わせればいい。相手が多少遅刻しても全然気にならないどころか、むしろちょっと遅れてきてくれ、ぐらいに思えるかもしれません。

3.あなたもときには遅刻してみる

人様に迷惑を掛けない、が王道であることは間違いありませんが、たまにはいいものです。なにより、相手だってちょいちょい遅刻してきてるわけですから。たまには心を解き放ち、いつもより10分遅く家を出てみてはいかがでしょうか。

「おう、ゴメン、待った(笑)?」

と悪びれずにのたまうとき、身も心も実にすがすがしい心持ちになるかもしれません。